小さな驚きの中身

『サラダ記念日』が刊行された一九八七年、わたしは二十二歳で、まだ短歌に何の関心も接点も持っていなかった。『サラダ記念日』を取り上げた新聞記事を読んだ覚えはある。それらの記事を読んで小さな驚きを感じたことも覚えている。驚きの中身は何だったのだろう。
今頃になって当時どう思ったのか細かい枝葉まで正確には思い出せないが、思いの幹の部分としては
(「いま」を描くために、小説でもエッセイでも詩でもなく短歌という古い形式を選ぶひとがいるんだ、それも、自分と同世代のひとが……。)といったところだったかと思う。短歌が表現方法として現代も脈々と生きているということを、当時のわたしは知らなかった。

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