生き抜いてきたことへの敬意

2021年8月、テレビから、アメリカ軍がアフガニスタンから撤退したという
ニュースが流れてきた。国外に退避しようとするアフガニスタンの人たちが、大きな飛行機の底にぎゅうぎゅう詰めに乗り込む映像があった。小さな子を抱えている人もいた。胸を衝かれた。
母もあのようにして内地に戻って来たのではないか。
母は昭和13年に台湾の台北市で生まれ、そこで幼少期を過ごした。国民学校二年の時に戦争が終わって、内地に引き揚げることになった。祖父は兵隊にとられていたから、祖母は母を頭に五人のこどもをひとりで祖父の郷里に連れて帰らなければならなかった。
「貨物船の一番底に、ぎゅうぎゅう詰めになってね。苦しくて苦しくて、やーっと舞鶴の港に着いて、やれやれと思ったら、頭からDDTの粉をかけられて」
台湾にいた間は、祖父母が営む質店の長女として、台湾人の抱え人や子守さんに囲まれて不自由なく暮らしていた母だった。八歳のこどもの身にどれほど過酷な体験だったのか想像もできない。引き揚げ後も母には多難な日々が続いた。しかし母は生き抜いた。周囲の人間の人生に歪みを残すほどの強さで。

[これまでへの敬意]
これまでの大変な状況を生き抜いてきたことへのリスペクト
〈あなたはずいぶんと長い間このような大変な事態を戦ってきたわけですね。もしかしたらあなたはそうやって、とてつもないほどの力をたくわえたのではないかと思います。多くの人たちはあなたのような力はもっていないですよ〉
(『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭崇 長井雅史著 丸善出版より引用)

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