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今日の言の葉

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その日、降りてきた言の葉を綴っています。あなたの良き日々に繋がれば幸いです。
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#美意識

「礼」人生をよりよくするもの

「礼」人生をよりよくするもの

めんどうな話だと想われるかも知れませんが
やはりすべての基本は礼なのです。
礼は言葉や態度のみならず
表情や立居振舞にもあらわされるもの。
礼を生活の基本とするなら
人生はもっと快いものとなります。
もしも今、人生に不足感を抱いているなら
自分に対する思いやりと
他者に対する思いやりとが欠けていないか
省みてみましょう。
他者から失礼な扱いを受けたとしても
その相手に礼を欠く態度をとれば
あなたに

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知を主座に置く者は、美を見ることはできない

知を主座に置く者は、美を見ることはできない

無知は罪だという考え方があり
実際、それは肯定するほかないといえます。
一方で知は人を傲慢へと簡単に向かわせます。
知を真に知る人は
それにより逆に謙虚になり
果ては限りなく無心に近づいていくものでしょう。
今、「美」は知識として語られていると感じます。
どこぞのなにが、どんなふうに魅力的か。
それは誰がつくったものであって、
その誰かはどんな人物であって・・・
ほんとうのところ
そんなことはどう

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インターネットにおける「間」

インターネットにおける「間」

SNSの場合、もっぱら言葉だけが頼りです。
オンラインでの対話であっても、
やはり実際に会って話すのと同じようにはいきません。
こしたことを踏まえれば、かなりの配慮が
必要になってくるはずなのです。
しかし、一般敵にはインターネットだと
妙に気安くなったり、大胆になったりするようです。
面と向かってなら決して言わないようなことだったとしても
投稿やコメントなら書けてしまうのは、
画面の向こうに人が

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「間」を心得る

「間」を心得る

「話は全身で聞くものです」
そう教えられたものですが、
それは「間を大切にしなさい」ということをも
意味していたのです。
相手の話を聞く時には、
寄り添う気持ちがありたいものです。
もしも意見が食い違ったなら、
歩み寄る努力が欲しいところです。
どれくらい近づいていいか、
どこまで歩み寄ればいいか、
あくまで感覚的なものであり、
しかも相手あってのことですから、
「間」を心得るのは簡単ではありませ

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良縁を紡ぐ心あるご挨拶を

良縁を紡ぐ心あるご挨拶を

私たちは一生のうちに、
どれだけ挨拶をするのでしょうか。
初対面でも、しょっちゅう顔を合わせる人とでも、
とにかく始まりは挨拶です。
初めて出逢った人と挨拶を交わすときは
誰でも気をつけるものでしょう。
その出逢いが発展するかどうかは、
出逢いの瞬間にほぼ決まるからです。
「人は見かけによらない」ともいわれますが、
たぶん99%の人が無意識のうちに
見た目で判断しているはずです。
「見かけによらず

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自分を磨くほど出逢いのステージが上がる

自分を磨くほど出逢いのステージが上がる

自分の格が上がると、出逢う人の格も上がる。
あまり好ましい言葉ではありませんが、
「ステージが上がる」とか
「レベルが上がる」とも表現できます。
なんだか傲慢な感じを受けるかも知れませんが、
これが私の正直な実感なのです。
ひとつ注意していただきたいのは、
「出逢う人のレベル」とは、
必ずしも社会的地位の高い人とか、
大富豪と称される人というわけではありません。
私が思う品格のある人とは、
お話し

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愛にもとづく真理

愛にもとづく真理

あらゆる現象は
みずからの心が創り出している。
お釈迦さまは、そう仰せになりました。
けれどこの真理を受け入れるのは
たやすいことではありません。
現状に何らかの不満を抱き
未来に不安を感じる人が少なくない今
むしろ
「そんなことあるわけない」と
拒絶し憤慨さえするでしょう。
まったく望まない現実を
この自分が創造するわけがない。
そう感じるのも致し方ありません。
そこで、「心」というもの
「自分

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深山の百合

深山の百合

日本女性の美しさとは
深山の百合のようでありたい。
そう教えたのは
女子教育の先駆者、下田歌子先生でした。
「みやまのゆり」
響きまでもが美しい。
草木が生い茂り
影がいちだんと濃くなる夏
暗い緑のなかで真っ白な百合の花が
忽然と咲いている姿は
静謐という言葉がぴったりです。
深山で咲いていても
芳香は否応なしに漂います。
それに気づいた人が
香りの主たる百合を求めておとずれる。
「私を見て」と前

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後ろ向きになっていい

後ろ向きになっていい

いつも前向きでいなければと
思いすぎていませんか。
前向きでない自分はダメだと
どこかで思っていませんか。
人はさまざまな信念を抱いていますが
それもそうしたものです。
何度も何度も
「前向きでなければダメ」と言い聞かせてきたのなら
今日、終わりにしましょう。
雨が降れば傘をさすように
危険な場所を避けて歩くように
時には逃げることも必要です。
前を向けないときもあるのが人生です。
元気がなければ

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過ぎ越してきた半年に

過ぎ越してきた半年に

夏至へと向かう日の光が
陽の気を極めようとしています。
思い返したいのは冬至の日
深い闇の中、陰が極まったあの日
何を想い、何を決意したでしょうか。
はじめるために終わらせたこと
次の扉をひらくため
涙をこぼしながら閉じた重い扉
そして今、あなたは
どこまで進み、どんな世界にいますか。
わずか半年前の、星も凍る寒い夜が
まるで遙かな昔のよう。
セーターにオーバーコートを重ね
手袋とマフラーをつけて

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その先の世界へ

その先の世界へ

道がないなんて思い込みかもしれない。
たとえなかったとしても
歩き続ければそれが道になる。
存在しないものは想像さえできないという。
ならばもう想いは
その先の世界へと続いている。
「前例がない」なんて
愚かな言い訳に過ぎないことを
知っているのに気づかないふり。
「出る杭は打たれる」なんて
誰が言い出したのか知らないけれど
だいたい人を杭にたとえるのが間違ってる。
狭苦しいところで
なんだってひ

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美しい決断

美しい決断

「美しい決断と夢中が私を支配していた」
中西悟堂の『槍ヶ岳』という詩の一節です。
美しい決断と夢中
この言葉が強く胸を貫いてくる。
しかもそれに支配されていた。
そこに幸福のひとつのかたちが
あるように感じられます。
美しい決断とは
必ずしも安らかではないかもしれない。
根底には挑戦していく静かな覚悟が
流れている。
いつの間にか私は「ほどほど」である方を
選ぶのが癖になっていたのかも知れない。

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歳を重ねた美しさとは

歳を重ねた美しさとは

「佇まい」とは単に立っている様子ではなく
その人のあり方までもが表されています。
佇まいには
その人が過ごしてきた
「時」が見えているのです。
どのような心持ちでいるかによって
表情も、言葉も、姿勢も、
立ち居振る舞いも変わってくるものです。
不安を抱え憂鬱に過ごす時間が多かったのか
不満が渦巻いて荒い言葉になりがちだったのか
あるいは
ささやかなことにも感謝して
小さな喜びを積み重ねていたのか

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人もものも自分を映す鏡

人もものも自分を映す鏡

「ものを大事にしないのは
神さまに感謝する心がないからですよ。
それは自分を大事にしていないのも同然なんですよ」
神社のお社には鏡が祀られています。
鏡に向かえば、そこに自分の姿を見出します。
このことは私達の中にも
神さまがおわすこということ、
また、この世のすべては
我が鏡であるということを
教えてはいないでしょうか。
人はもちろんものも鏡なのです。
相手に対して微笑めば
微笑みがかえってくる

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