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知を主座に置く者は、美を見ることはできない

知は無知に勝る。だが知は無心より勝ると誰も言い切ることはできぬ。
知を主座に置く者は、美を見ることはできないであろう。
知識が信仰の位を犯す時、宗教の生活がないのと同じである。
もし知識が不当な位置を占めるなら、美には乱れが来るであろう。
古作品の美は無心に発した。
私たちはなぜ宗祖たちが、あの嬰児を讃えたかの心を味わわねばならぬ。それは無心の世界へ出でよという謂である。
無知に帰れとの声ではない。無念と無知とを混同してはならぬ。

『工藝の道』柳宗悦

無知は罪だという考え方があり
実際、それは肯定するほかないといえます。
一方で知は人を傲慢へと簡単に向かわせます。
知を真に知る人は
それにより逆に謙虚になり
果ては限りなく無心に近づいていくものでしょう。
今、「美」は知識として語られていると感じます。
どこぞのなにが、どんなふうに魅力的か。
それは誰がつくったものであって、
その誰かはどんな人物であって・・・
ほんとうのところ
そんなことはどうだっていいのです。
五月蠅いばかりといってもいい。
たとえば朴訥とした樂茶碗にしても
圧倒的な美しさを感じるかどうかは
その人の内的熟成によります。
つまり美とは内的世界の映し鏡でもあるのです。
そこに理屈は不要です。


写真:魚住心

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