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音楽は自由ではない。

「クラシックは自由だ」
「ジャズは自由だ」
「ロックは自由だ」
「「音楽は自由だ!!」」

時折このような言葉を耳にする。
私個人としては概ね同意だ。自由なところも勿論ある。
しかし、一部分については真っ向から否定したい

自由に『見えている』だけ

あなたにも普段聞く好みの音楽というものがあると思う。
バンド演奏であったり、一人きりの演奏が好みであったりと十人十色だ。

バンド演奏の場合、二人以上
ビックバンド(大人数編成のバンド)の場合、十人以上
オーケストラや吹奏楽の場合、更に大人数での演奏となり五十人を超えることも珍しくない。

はたして本当に音楽は自由なのだろうか?
答えはである。

音楽の中にある全てのルールを一度忘れたとしよう。
そして本当に自由に演奏したとしよう。
少し想像すれば分かることだが、ほぼ間違いなく崩壊するだろう。
もしもコンサートであれば「金返せ!」の大クレームとなってしまう。

誰かの演奏を聞いて、自由に演奏しているように見える・聞こえるのであれば、その演奏者の表現力が大変素晴らしいということだ。


ギターやピアノ、チェロなど様々な楽器演奏において
一人きりの演奏音源も数多く存在する。

この演奏者達は、はたして本当に自由に演奏しているのであろうか?
勿論この答えもである。

たとえ独奏だろうと本当に自由な演奏をしてしまえば、聴衆は良くても唖然とし、悪ければ大クレームである。

絶対不変のルール

譜面上の出来事、和声進行上の出来事、音楽には様々なルールが存在する。
クラシックやジャズ、ロックやEDMを愛する人は大変多い。
だが、いかなるジャンルにおいても絶対的に不変なルールが存在する。
それは宗教の価値観だ。

我々日本人が普段耳にする音楽、実に9割以上がキリスト教の音楽理論に基づき作られている。

「音楽のルールは正直よく分からない」という方
ここから少々専門的な話となるので次の段落へお進みください。




キリスト教では、全ては主の元へ導かれるという前提・死生観がある。
音楽のルールも同様に、主の元へ導かれなければならない。
音に携わる者であれば導音・主音という言葉を耳にしたことがあるはずだ。
主音(神)へ導く為の音が必ず必要とされ、これだけは何があっても絶対的に不変であるとされている。

他にも、和声において
T→D→T
T→SD→D→T
T→SD→T
の三種類があると学んだはずだ。
そしてこれも、主音(神)へ導く為の音がよりスムーズに聞かせる為のルールである。
※3つのうち1つはアーメン(キリストorユダヤの教えに同意するという意味)

少なくともこれだけのルールに縛られておきながら
「音楽は自由だ」と本当に言えるのだろうか?

余談ではあるが、宗教と音楽は密接に関係している。
キリスト教音楽という理由によって多くのルール・原則が存在しているわけではない。
他の宗教音楽のルール・原則と比較するとまだ少ないくらいだ。

本来の自由とは、『守破離』の中にある

『守破離』とは
剣道や茶道などで、修行における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

コトバンク

師から学び、自分の物とし、昇華させる。
日本だけでなく、世界各国にこのような意味合いの言葉がある。
そしてこれは音楽にも通じることでもある。

例として出すが、ジャズにおけるアウト奏法(わざと濁らせたり違う調の音をあえて演奏すること)が自由な表現だということをどこかで聞いた覚えがある。
結論から言えば、自由ではなくむしろ不自由である。
そしてこれは離の段階での出来事だ。

知識・技術が一定の水準に達した時、感覚的に出来てしまうケースも勿論ある。
ジャズジャイアンツと呼ばれるレジェンドプレイヤーの多くがそうである。
師から学べない、あるいは師がいないことが普通だった彼らは、自分達で勉強会を開き仲間と共に学び、離へと至ったのである。

また、18世紀には音楽の父と呼ばれるバッハがジャズ理論の8割以上を作ってしまっているのも事実だ。
オルタードやテンションというものは400年以上前から使われていたのだ。
信じられないのであれば、一度バッハの作品集を分析してみることをお勧めしよう。

まとめ

さて、今回の記事は音楽は自由というテーマでのお話しでした。
もちろん自由な部分も多くありますが、全部が全部自由というわけではありません。
ルール・原則を理解した上で、それをどう昇華させるのかということです。

昇華された方の演奏を耳にすると、一見自由に演奏しているようにも見えますが、そう聞こえさせる為の並々ならぬ努力
それこそ言葉通り、血の滲むような努力を行なった背景が見えてきます。

背景が見えてくると聞こえ方も自然に変わってくるんですよね
不思議なことに…


さてさて、そんな感じで今回の記事はここまで!
最後までお読みくださりありがとうございました🥳

今後も記事の更新を頑張りますので、スキ・コメント・フォローなどいただけますと嬉しい限りです。

少しでもあなたのお役に立てれば幸いです。

小林 結 / Yui Kobayashi
ピアノ奏者・作編曲・指導

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