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夏目漱石論2.0

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#国語教科書

野暮なこと

野暮なこと

 みなまで書くことを野暮とした夏目漱石からしてみれば、随分と野暮なことをしているという自覚はある。これでも四五年前なら、『こころ』の先生の奥さん「静」の由来は乃木静子であろう、とだけ書いて解って貰えるつもりでいた。
 しかし実際は、

つまり「静」の由来は乃木静子であろうってことは、わざわざ乃木将軍の遺書にフォーカスしておいて、軍旗の方に意識を振り向けてミスディレクションしているけど、本当は

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岩波書店・漱石全集注釈を校正する41 何でも蚊でもせつな糞

岩波書店・漱石全集注釈を校正する41 何でも蚊でもせつな糞

丹波の国は笹山から

 この「丹波の国は笹山から」に岩波書店『定本 漱石全集第一巻』注解は、そのまま丹波篠山の説明をしてしまう。これは物言いから芝居か講談に由来があると見てよいだろう。調べたいが国立国会図書館デジタルライブラリーの調子が良くないので後回しとする。

 デカンショ節の「丹波篠山山家の猿が」とか「文武きたえし美少年」あたりとはゆるく意味のつながりがあるように思える。

※後藤又兵衛のイ

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岩波書店・漱石全集注釈を校正する40 それでは意味が解らない

岩波書店・漱石全集注釈を校正する40 それでは意味が解らない

勘左衛門

 烏を勘左衛門と呼ぶのは昔からのことなので、ここにも注はない。しかし主要な辞書にはこの語の説明もない。ここには何らかの注釈があってしかるべきなのではなかろうか。一説に色の黒い人を罵って使うともされる。この鴉勘左衛門、実在の人物として尼子氏の伝記に出て來る。

 この辺りはこの人物と「勘左衛門」という言葉の使われ方にどのような関係があるのかないのか、精査が必要なところだ。

がんがらがん

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『彼岸過迄』を読む 4373 丁年未満の呑気生活

『彼岸過迄』を読む 4373 丁年未満の呑気生活

文明批評が影を潜めた?

 
 この『彼岸過迄』という作品も何百万人もの人に眺められた筈ですが、例えば「読書メーター」などではわずかな感想しか見られません。感想を書いて居る人達はいずれもそこそこの読書家らしく、それだけ『彼岸過迄』が敷居の高い作品であるということなのかなと思います。「To the Spring Equinox and Beyond」という英訳本が2004年にも出版されています。こち

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『彼岸過迄』を読む 4361 作中人物の設定④ 「佐伯」

『彼岸過迄』を読む 4361 作中人物の設定④ 「佐伯」

佐伯

 出身地、年齢、身長体重、家族関係不明。寧ろ分かっているのは

①「佐伯」という名前であること
②田口家の書生をしていること
③田川敬太郎から「玄関番」と見做されていること
④須永市蔵と田口千代子の間の複雑な事情を知っていること

 ……のみである。問題はこの程度のキャラクターに何故「佐伯」という立派な苗字が与えられたのかということ。 

 佐伯が名前を持って作中に現れるのはこの場面のみで

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『彼岸過迄』を読む 4360 作中人物の設定③「須永市蔵」

『彼岸過迄』を読む 4360 作中人物の設定③「須永市蔵」

須永市蔵

 親戚からは「市(いっ)さん」と呼ばれている。生年月日不詳。年齢二十六七歳。江戸っ子。独身。法学士。喫煙者。一塩の小鰺が好き。

 高等遊民。叔父の高等遊民松本恒三を尊敬していて、影響を受けている。大学は卒業したものの信念の欠乏から来た引込み思案のために働く気がない。就職のことは一日も考えたことは無い。松本恒三の見立てでは須永市蔵は雑誌に写真が載るような良家の御令嬢を貰い受けられる御身

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『彼岸過迄』を読む 4356  時系列で整理しよう⑤ それは最悪のタイミングだった

『彼岸過迄』を読む 4356  時系列で整理しよう⑤ それは最悪のタイミングだった

 そもそも「時系列で整理しよう」と言い出したのは「須永の話」が市蔵の撃沈で終わっているのに、その須永市蔵が大学三年から四年になる夏休み期間の過去から引き戻された近過去、つまり「雨の降る日」の第二章、大学を卒業して半年後の梅の季節、旗日云々の千代子と市蔵の会話に全く屈託が感じられないからでした。

 そしてさらに読者を混乱させるのは「松本の話」の語り出しです。

 この「それから」がどの時点に続く「

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芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか①  カプグラ症候群ではない

芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか① カプグラ症候群ではない

それは冗談として

 太宰治の名言と言えば何と言っても「ワンと言えなら、ワン、と言います」(『二十世紀旗手――(生れて、すみません。)』)だろうと思う。そのタイトルごと、日本文学史上最高の名言と言って良いのではないか。
 夏目漱石には「そりゃ、イナゴぞな、もし」他スマッシュ・ヒットが数多い。しかし芥川龍之介の名言はなんだろうと思い出そうとしても、これというものが浮かばない。教科書的に言えば中島敦の

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『彼岸過迄』を読む 4355  時系列で整理しよう④ 市蔵は百代子に嵌められた

『彼岸過迄』を読む 4355  時系列で整理しよう④ 市蔵は百代子に嵌められた

 以前

 として、百代子が千代子と高木の交際を取り持ったのではないかという話を書きました。須永市蔵は田口家の正月の歌留多にも呼ばれないので、百代子からは嫌われていたのではないかと。

 この点、よくよく読んでみると百代子はもう少し意地が悪いのかもしれません。おそらく鎌倉の避暑に来るように高木に連絡したのは百代子です。関係性からするとそうなります。
 そしてこんなこともしていました。

 ここなん

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『彼岸過迄』を読む 4354  時系列で整理しよう③ 作は千代子に嫉妬していた。

『彼岸過迄』を読む 4354  時系列で整理しよう③ 作は千代子に嫉妬していた。

 昨日はこの「過去一年余り」か「過去一年半余り」かというところで筆を置いた。時系列で整理しようと云いながら、「過去一年余り」と「過去一年半余り」が曖昧では話にならないからだ。しかしここは一日置いて眺めてもちょっと答えが出そうにない。ただ鎌倉の海水浴は須永市蔵が大学三年の期末、四年になる前の夏休みの出来事であり、翌年の夏には須永は見事に高等遊民になり、さらにその半年後、9、10、11、12、1、2、

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『彼岸過迄』を読む 4353  時系列で整理しよう② その日は旗日ではない

『彼岸過迄』を読む 4353  時系列で整理しよう② その日は旗日ではない

 昨日私は『彼岸過迄』を時系列で整理して、いや、時系列で整理しきれなくて、「雨の降る日」が何年前の出来事なのか不明だということを突き止めた。去年でも十年前でもなさそうだが、三年前なのか五年前なのか分からない。しかしこのことも近代文学1.0の世界では殆ど言われてこなかった筈だ。

 三層の意識構造や回想と現在との行き来によって『彼岸過迄』は読者を幻惑させている。特に「二三日前」、「矢来の叔父さんの家

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『彼岸過迄』を読む 4352  時系列で整理しよう① 咲子は今何歳なのか?

『彼岸過迄』を読む 4352  時系列で整理しよう① 咲子は今何歳なのか?

 夏目漱石作品の中でも『彼岸過迄』ほど読者に頭の負担を強いる作品は他にないと思います。それはまず、作品全体を田川敬太郎を主人公とした冒険譚として読むことを「結末」で規定されていることから、「松本の話」の中の須永市蔵の手紙を松本恒三が読むことを意識しながらさらにその語りを田川敬太郎が聴いている体で読まなくてはならないという複雑な構造になっているからです。これが何度試しても読者として読んでしまい、田川

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『彼岸過迄』を読む 4351 松本恒三と田口千代子は「交際」していたのか?

『彼岸過迄』を読む 4351 松本恒三と田口千代子は「交際」していたのか?

「若い女には誰でも優しいものですよ。あなただって満更経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。

→田口要作から見て
①松本恒三は人一倍若い女に優しい男

②田川敬太郎は少しは経験のある男

 私は昨日までこの「肉体上の関係があるものと思いますか」という田口要作の言葉を剽軽では片付けられない下品なジョークだと思いこんでいました。

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『彼岸過迄』を読む 4349 黒の中折れを巡って「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは?

『彼岸過迄』を読む 4349 黒の中折れを巡って「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは?

 何度読み返してもよく分からないのは、田川敬太郎の探偵の下りで、途中でどうも目的が入れ替わり、殆どまぐれ当たりでことをし遂せたような書き方になっていることだ。

 田川敬太郎が松本恒三の黒子を確認するのは宝亭に入った後である。つまりそれまで、

①「今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる」
②「四十恰好の男」
③「黒の中折に」
④「霜降の外套を着て」
⑤「顔の面長い

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