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『彼岸過迄』を読む 4354  時系列で整理しよう③ 作は千代子に嫉妬していた。

大学には春休みも夏休みもあるとして、大学が四年生なら先ほどの大学三年次「過去一年余り」は「過去一年半余り」となろう。現在田川敬太郎は大学を卒業した法学士、探偵を経て田口から職をあてがわれていて、梅の季節なのでもう大学三年次からは一年半は巡っている。

 昨日はこの「過去一年余り」か「過去一年半余り」かというところで筆を置いた。時系列で整理しようと云いながら、「過去一年余り」と「過去一年半余り」が曖昧では話にならないからだ。しかしここは一日置いて眺めてもちょっと答えが出そうにない。ただ鎌倉の海水浴は須永市蔵が大学三年の期末、四年になる前の夏休みの出来事であり、翌年の夏には須永は見事に高等遊民になり、さらにその半年後、9、10、11、12、1、2、と来て梅の季節、その話を田川敬太郎に話していると読むよりほかはない。

 兎に角須永市蔵と母は田口家の鎌倉への避暑に参加する。そして須永市蔵は高木に嫉妬する自分に堪えられなくなり、一人で東京に戻る。作に安慰を得る。ゲダンケの本を読む。「僕はこの二日間に娶るつもりのない女に釣られそうになった」と言いながら、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開きながら見る。母が千代子に連れられて鎌倉から戻ってくる。

「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰えば好かった」
「だから他の云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好いいのに」
「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」
「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」
「云っても断られそうだったから」
「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」
「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この時点で高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開きながら見ておきながら、この会話は妙にケロリとしている。それは何も考えない作に安慰を得られたおかげだろう。母親の前で千代子に甘えている。そしてぼんやりと女としての作が現れる。

 僕は先刻の籐椅子の上に腰をおろして団扇を使っていた。作が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆の火を入れ更えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子を盆に載せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女としてふるまって通るべき気位を具えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起って梯子段の傍まで行って、もう降りようとする間際にきっと振り返って、千代子の後姿を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐れに眺めた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 細かい。細かすぎる。これではまるで須永市蔵を巡って作が千代子に嫉妬しているかのようではなかろうか。こうまでして「対」を拵えなくても良いように思うが、そういえば須永市蔵は作にこんなことを言っていた。

 作は固より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎しやかにいかに控目に、いかに女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 こう言われて作は須永市蔵を主人ではなく男として意識したという仕掛けだろう。後に須永市蔵の出生の秘密が明かされると、ここでまた父親と御弓との関係が「対」になる。高木と千代子と市蔵、母と父と御弓、いささか「対」がやかましい。

 市蔵は千代子から高木のことを聞きたかったが千代子は話さない。千代子は島田に結う。鎌倉に帰る千代子に「なぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……なぜ嫉妬なさるんです」と詰られる。

 ここで「須永の話」は終わる。田川敬太郎に対して随分とあけすけな話がなされたものだ。田川敬太郎は作のぼんやりとした嫉妬のようなものをどう理解しただろうか。あるいは「階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作」といった須永市蔵の若旦那らしい見立てをどう思うのか。ギリギリ時代の上澄みにいた田川敬太郎にとってもやはり「階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作」と見えるだろうか。

 この「階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作」に微かに芽生えた嫉妬心は、その一年後、あるいは二年後、養母と市蔵の床しい引きこもり生活に、ほのかな色彩を与える可能性を秘めてはいまいか。

 作は当時十九歳、まだ老婢ではない。





[余談]

 コスプレの歴史は深い。


 なんでそれ読む?



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