以前
として、百代子が千代子と高木の交際を取り持ったのではないかという話を書きました。須永市蔵は田口家の正月の歌留多にも呼ばれないので、百代子からは嫌われていたのではないかと。
この点、よくよく読んでみると百代子はもう少し意地が悪いのかもしれません。おそらく鎌倉の避暑に来るように高木に連絡したのは百代子です。関係性からするとそうなります。
そしてこんなこともしていました。
ここなんですが、わざわざ漱石は「千代子と百代子の連名」にしています。ここで「千代子と百代子の連名」にあえてしたのは、百代子の関与を明確にしたかったからですね。
まず鎌倉への海水浴が「娘達の希望」です。「達」なんです。千代子と百代子です。
おそらく鎌倉の避暑に来るように高木に連絡したのは百代子です。
そして千代子は須永市蔵の母に鎌倉の避暑に来るように勧めていました。
手紙は「千代子と百代子の連名」でした。
高木は、
こうある通り、「知的なイケメン」でしょう。さらに
おそらく英国流の紳士で実際家です。どこぞの高等遊民の引きこもりとは大違いです。その「知的なイケメン」の英国流の紳士で実際家を百代子はわざわざ呼び出して市蔵に引き合わせています。強敵です。そもそも百代子はずいぶん市蔵を脅かしていました。
これが単なる「無神経」でないことは、鎌倉でのこんなシーンが証明しています。
百代子は実験でもするように市蔵を観察しています。そして一見市蔵に肩入れしたかのような「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」という百代子の台詞は、しっかり者の長女たる千代子の性格を見抜いてのことだとしたらどうでしょう。もし、百代子が市蔵に肩入れしていて、市蔵の味方なら「だってあたし先刻誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が言った後、可哀相な市蔵からは目を逸らすのではないでしょうか。ここでの百代子の躊躇いはどこまで追い詰めるかという点にあったのではないでしょうか。
いやそれもこれも手紙が「千代子と百代子の連名」でなければ、たまたまで済ませられます。百代子は敢えて市蔵に「知的なイケメン」の英国流の紳士で実際家をぶつけてきて反応を見ているわけです。悪いか悪くないかの話でいえば灰色です。しかし結果として市蔵は卑怯な嫉妬深い男として撃沈してしまいます。
百代子の意図とは無関係に、百代子の拵えた設定の中で敗北してしまいます。漱石が「千代子と百代子の連名」と書いたのは百代子を悪く見せるためではないでしょう。しかし結果的に、鎌倉の海水浴で市蔵は百代子に嵌められたのだ、とは言ってよいと思います。
[余談]
文学たんはいつも真っ当な文学観を語っているけれど、やはりこうした分類はなかなか難しいんじゃないかと思う。
そもそも「思想がない」と言われる谷崎純一郎には、これまた思想とは言い難い日本の土着的なものがしみ込んだ泉鏡花的なところもあり、「唐」ではない当時の支那に対するあこがれがあり、クラフト・エビングのようなある意味の西洋思想に毒されたところもある。
この点ハイカラで西洋的なものを受け入れた稲垣足穂の『少年愛の美学』がナボコフやクラフト・エビングのような西洋的な概念を歯牙にもかけない伸びやかさで少年愛を定義し、A感覚とV感覚の価値の転倒を試み、宇宙ロケットまでも手に入れたことは興味深い。
尾崎紅葉の『金色夜叉』が井原西鶴的な色彩を持ちながら実は西洋の小説の翻案であるも、樋口一葉が日本土着的であるがために、饗庭篁村とともにBグループに入れられるのかなと考えてしまうと少しおさまりが悪い。
Aグループには坪内逍遥、二葉亭四迷、正宗白鳥らが這入るのだろうか。
それにしてもアイヌに肩入れした幸田露伴の立ち位置が怪しい。