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『彼岸過迄』を読む 4361 作中人物の設定④ 「佐伯」

佐伯

 出身地、年齢、身長体重、家族関係不明。寧ろ分かっているのは

①「佐伯」という名前であること
②田口家の書生をしていること
③田川敬太郎から「玄関番」と見做されていること
④須永市蔵と田口千代子の間の複雑な事情を知っていること

 ……のみである。問題はこの程度のキャラクターに何故「佐伯」という立派な苗字が与えられたのかということ。 

 それはこむずかしい理窟だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏らない先から、奥の委しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭な答はでき悪にくいんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪に障るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣いがないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 佐伯が名前を持って作中に現れるのはこの場面のみである。小間使いの「作」の苗字は解らない。もしも佐伯がこの場面にしか現れないとしたら、役割の重要さから言えば「作」よりもはるかに下なので、「佐伯」という立派な苗字までは必要なかったのではないと思われる。しかし「彼はただ漠然とした顔の筋肉をいつもより緊張させて」とあるので当然初対面ではない。夏目漱石は人物を名前を伏せて登場させておいて、かなり後になって名前を与えるということをする。してみれば佐伯とは、

 中一日置いて、敬太郎は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支えないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的横風なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末になっていた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この声の主でもあり、

 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉の袴を穿いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入て行った。その声が確かに先刻電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿を見送りながら厭な奴だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立つったっていた。敬太郎も少しむっとした。
「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」
「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳などが出て混雑ごたごたしているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪に障っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄の合わない捨台詞のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍を擦り抜けて表へ出た。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この小倉の袴をはいた書生も佐伯なのではなかろうか。さらに、

 田口の玄関はこの間と違って蕭条していた。取次に袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀に来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入はいったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次の揃えてくれた上靴を穿はいて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜から、彼は腰の高い肱懸も装飾もつかない最も軽そうなのを択って、わざと位置の悪い所へ席を占めた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 これも佐伯だろう。

 突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎は少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気が急くので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これから直ぐ行っていいかと聞くと、だいぶ待たした後で、差支さしつかえないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予なく内幸町へ出かけた。
 田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下駄が一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸物が二幅掛かっていた。湯呑のような深い茶碗に、書生が番茶を一杯汲んで出した。桐を刳った手焙りも同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団も同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中に畏かしこまって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

  この書生も「例の」でつながるので佐伯ではないかと考えられる。

「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」
 田口はただ微笑した。そこへ例の袴を穿いた書生が、一枚の名刺を盆に載のせて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、「まあ分らないところが本当でしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。先刻からよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好い機に、もうここで切り上げようと思って身繕いにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれを遮った。そうして敬太郎の辟易するのに頓着なくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明瞭に答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだ辛い思いをした。
「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この例の袴を穿いた書生も佐伯だろう。そして「名前は分りましたろう」という田口の問いは、読者にも向けられていると考えてよいだろう。

 これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はその後も用事なり訪問なりに縁を藉りて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這入って、かつて電話で口を利きき合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内向きの用を足す場合もあった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 明示的ではないが、ここで田川敬太郎は佐伯の名前を知ったものと考えられる。しかし佐伯という名はまだ伏せられる。

 佐伯の「書生」という立場はそのおかれた環境や寄宿する家の考え方、あるいは時代によって大いに異なる。『彼岸過迄』における佐伯は「玄関番」「電話番」「応接係」「秘書」であろう。住み込みで雑用をこなし、学校に通わせてもらうという書生もあり、丁稚のようにこき使われる書生もあった。谷崎潤一郎の『女人神聖』の由太郞のようなものは丁稚である。

 佐伯は高等教育を受けたとは書かれていないものの、実際家の田口要作の信頼を得て受付事務を一任されているようなところがある。田川敬太郎に失礼な態度を取られても淡々と自分の仕事をこなし、市蔵と千代子の間の複雑な事情を知りつつもそれを嬉々として漏らすこともない。

 田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重に眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 松本恒三の田口要作評に基づけば佐伯は「役に立つ」上に「安心して使える」男なのだろう。そのように見て行くと、「細君に呼ばれて内向きの用を足す場合もあった」という田川敬太郎との比較において、実際家の田口要作からみれば佐伯の方が価値のある男だと考えられる。

 そしてむしろ「たかが玄関番の書生」と高等教育を受けた自分を勝手に高い位置に置く田川敬太郎の傲慢に気が付く。

田口要作>松本恒三>須永市蔵>田川敬太郎>>>>森本

経営者>資産家>土地所有者>>>>労働者

 ……として整理してきた「身分」の問題の中に、「作」や「佐伯」を組み込むと、明らかに当時の社会の上澄み部分を描いている『彼岸過迄』が、一方では確かに下層部分にも接地していることがわかる。

 作も佐伯も労働者という意味では森本と同じではあろうが、その位置を守り続けている。作や佐伯の存在は実際家の東京朝日新聞の読者の潜在意識に安堵を与える役割も果たしていたのではなかろうか。


[余談]

 太宰治論2.0はそんなに複雑なものではない。言いたいことは概ね二つだけ。
①太宰は『右大臣実朝』をいじっている

②『人間失格』は笑って読むべし

 ……これだけだ。この二点だけ吞み込めれば、他の作品の読み落とし、誤読も簡単に糺せると思う。
 これの二点以外にも読み落としや誤読はあると思う。ただこの二点が如何にも高い壁なのだ。

 特に『右大臣実朝』に関してはきつい。この読みはありとあらゆるビッグネームを完全否定するものとなる。

 逆に言えばありとあらゆるビッグネームなんて実はたいしたことがないんだという話にもなる。
 太宰だって夏目漱石を「俗中の俗」とみなしていたのだから、そううこともあるんじゃないの。

https://note.com/kobachou/n/nc9ce18197448


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