三島由紀夫の死について深沢七郎は大人の小説が書けない偽者の死だと書いている。そこにはあくまでも政治的に見せかけた三島の死を個人的な死だと切り捨てる視点がある。「シャンデリアの下でステーキを食って、なんでニホンが好きとか言うのよ」という指摘は鋭い。吉村真理ともペペロンチーノを食べていた。村上春樹ではないがどうも三島由紀夫には和食のイメージがない。
そのことはきわめて個人的な死だとしか言われることのない芥川龍之介の死について考える時思い出してみてもいいだろう。三島由紀夫の自殺未遂は死の一年前である。つまり三島も実は二年前から死に方を探していたのではなかろうか。
この「死ぬこと」は死ぬか生きるかという話ではなく、方法、場所、家の始末、独りで死ぬか女と死ぬか……という具体的な内容であった。
僕に対する社会的条件、――僕の上に影を投げた封建時代とは何か。このことを考えるにあたって短絡は要注意だ。我々人間は今日でも多少は封建時代の影の中にゐるからである。なるほど、そういうものが消えてしまった今でこそ、それは家制度、家長父制、より具体的に言えば、養子として育てられ、実の母に対して愛情を持ちえず、また愛されもせず、新原ではなく芥川を名乗り、吉田弥生との結婚を養父母と伯母フキの反対によって諦めねばならなかったことを指すのではないかと二秒で思いつく。思いついたところで本当にそうかと疑ってみよう。
実の母の愛情を受けられなかった点は漱石も同じである。その恨みと、何かを取り返そうという試みが『坊ちゃん』には見られる。三島由紀夫は祖母によって母親の愛を遮断された。その恨みと、何かを取り返そうという試みは、どこにも見つからない。芥川龍之介の恨みと、何かを取り返そうという試みは、やはりどこにも見つからない。『鼻』にはない。『羅生門』『芋粥』『藪の中』にもない。大正九年の『捨児』にはむしろ養母たちへの愛情が見える。
これは捨子を自分の子と偽り育てた母とその子の話だが、ここには血縁に対する未練は見えない。捨子の名前は「勇之助」、どうしても芥川龍之介を意識しないわけにはいかない。
祖母の趣味で芝居に連れていかれ、泉鏡花を読んだ三島と芥川の環境はよく似ている。『文学好きの家庭から』を素直に読めば、「実の母に対して愛情を持ちえず、また愛されもせず、新原ではなく芥川を名乗ったこと」は封建時代の影ではないように思えてくる。
山崎光夫は『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』において残された資料を綿密に調べ上げ、芥川の死が睡眠薬の過剰摂取によるものではなく、青酸カリが用いられたものだと突き止めた。またその薬品は隣家の鋳金家・香取秀真から手に入れたものではないかと推察している。また、
…と小穴隆一が頼られている点について、実母ふくの命日十一月二十八日に生まれた小穴隆一を母の生まれ変わりではないかと思っていたからではないかと書いている。
「君は僕の母の生まれかわりではないかと思うよ」と言って、義足をはずして座っている小穴の膝に手をかけ、さらに仰向けに横になると、「たのむから僕にその足を撫でさせておくれよ」と切断されたほうの足に手をかけた。(山崎光夫『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』)
このともすればホモセクシャルにも見えなくもない光景のその実は、実母に対する愛情の表れなのであろう。従って私は封建時代の影の中、それは家制度、家長父制、より具体的に言えば、養子として育てられ、実の母に対して愛情を持ちえず、また愛されもせず、新原ではなく芥川を名乗り、吉田弥生との結婚を養父母と伯母フキの反対によって諦めねばならなかったことを指す、という思い付きを捨てる。では改めて封建時代の影の中、とは何か。それは「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。」というところにヒントがあるのではなかろうか。大正天皇の崩御は前年、大喪の礼は昭和二年一月である。従って芥川の死は大正天皇に対する殉死ではない。しかし僕に対する社会的条件という文脈から考えると、作家としての立場、日々厳しくなる検閲、そして明確に芽生えてきた反体制的なものとの葛藤があつたことは間違いないだろう。文学的な転機は大正十三年の『桃太郎』であろうことは既に書いた。『羅生門』では太いヒーローであった下人が『桃太郎』では嫌悪すべき太い侵略者にすり替わってしまった。また生活面では大正十四年の長男・比呂志の誕生を指摘せざるを得ない。
ここに明確に表れる生命の否定はまさに「生まれてきてすみません」である。わが子の誕生の瞬間、自らがこの世に生まれてきたことを「何の為に」と悔いるのは、まだ何事も成し遂げず、またこれからも何も成し遂げられないだろうという諦めの境地にある人の態度だ。
有名人にもなった、傑作も書いた。しかし芥川龍之介自身は嘗て見下していた田山花袋を超え、嘗て絶賛した谷崎潤一郎に肉薄できたと自覚していただろうか。「夏目先生もまだまだだ」と嘯いていた青年は、「あれが森さんかえ」と漱石の葬式の受付で感嘆した青年は、何かを成し遂げたと自覚していただろうか。そうではあるまい。
みづから神にしたい一人だったものが大凡下の一人として自死しようとしている。自ら城山の西郷さん、増上慢の死に狂い、天皇に熱い握り飯を差し上げると息まきながら、最後には何もないところへたどり着いてしまった三島由紀夫の死と、この大凡下としての芥川龍之介の死は、真逆のようでどこか重なって見える。
※そういえば三島由紀夫の自殺未遂も芥川龍之介の自殺未遂も帝国ホテルでのことだった。