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『彼岸過迄』を読む 4349 黒の中折れを巡って「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは?

 何度読み返してもよく分からないのは、田川敬太郎の探偵の下りで、途中でどうも目的が入れ替わり、殆どまぐれ当たりでことをし遂せたような書き方になっていることだ。

 新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位を崩くずす恐れがあるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿を眺めながら、ひとまず安堵の思いをした。女は彼の推察通りはたして後を向かなかった。彼はその間に女の坐っているすぐ傍まで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向きも改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢に植えた松と梅の盆栽が飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙を落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横たわる六尺に足らない距離は明らかな電灯が隈なく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔い光を四方の食卓から反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉と眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子を認めた。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 田川敬太郎が松本恒三の黒子を確認するのは宝亭に入った後である。つまりそれまで、

①「今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる」
②「四十恰好の男」
③「黒の中折に」
④「霜降の外套を着て」
⑤「顔の面長い」
⑥「背の高い」
⑦「瘠やせぎすの紳士で」
⑧「眉と眉の間に大きな黒子がある」

 ……という条件のうち精々③「黒の中折に」と⑥「背の高い」ぐらいが確かなものの、②「四十恰好の男」や④「霜降の外套を着て」はいい加減なまま、①「今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる」や⑧「眉と眉の間に大きな黒子がある」という条件は無視して宝亭に入ったことになる。

 無論霜降の外套だけでは、どんな恰好にしろ手がかりになり様ようはずがないが、黒の中折を被っているなら、色変りよりほかに用いる人のない今日だから、すぐ眼につくだろう。それを目宛に注意したらあるいは成功しないとも限るまい。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 実際田川敬太郎は殆ど黒の中折を頼りに確証バイアスという認知バイアスに陥る。だが、はて「色変りよりほかに用いる人のない」とはどういうことなのだろうか。ただ「中折帽」と言われた場合、それは何色を指すものなのだろうか。

 山高や中折や鳥打やフッドの何れも歪んだり潰れたり焦げたり水を被ったりしたのが一ト山積んであった。新流行のオリーブの中折の半分鍔を焼かれた上に泥塗れになってるのが転がっていた。滅茶々々に圧潰されたシルクハットが一段と悲惨めさを添えていた。

(内田魯庵『灰燼十万巻(丸善炎上の記)』)

 これは明治四十一年の記録である。

「おほほほほほ、おほほほ、おほほほほほ。」
 おや、顔に何かついている?……すべりを扱いて、思わず撫でると、これがまた化かされものが狐に対する眉毛に唾と見えたろう。
 金切声で、「ほほほほほほ。」
 十歩ばかり先に立って、一人男の連れが居た。縞がらは分らないが、くすんだ装で、青磁色の中折帽を前のめりにした小造りな、痩せた、形の粘々とした男であった。これが、その晴やかな大笑いの笑声に驚いたように立留って、廂睨みに、女を見ている。

(泉鏡花『みさごの鮨』)

 これは大正十二年の作だが、描かれている時代は不明だ。電話やトラホーム、衛戍病院などが現れることから明治後期以降、「黒い外套を来た湯女が、総湯の前で、殺された、刺された風説は、山中、片山津、粟津、大聖寺だいしょうじまで、電車で人とともに飛んでたちまち響いた」とあることから、富山電気軌道の敷設された大正二年九月以降の設定ではあろうとは考えられるものの、ずばり何年とまでは決められない。

 そして例えば青空文庫内で調べてみると、中折帽の色に関しては、茶と鼠と黒が同じ程度現れ、圧倒的に色の説明がないことが多いことが解る。

 中折帽子の如きは最近迄鼠色が十中の九を占めて居たが、本年は濃茶が最も流行した、卽ち濃茶五、鼠三、薄茶其他二の割合である。

(『大阪市産業叢書 第1輯』大阪市産業部 編大阪市産業部調査課 1935年)

 このような記述が見つかったものの、昭和十年では少し時代が離れすぎていようか。

 今帽の各種類に就き注意すべき諸點を略述せん、中折帽中折は冬物の內最も需要大なるものなること前既に之を述べたり昨年末より中流以上の人士に需要せらるゝも元來流行の變遷は極めて急速にして當初茶色のもの鼠色に變じ近来下等品には濃オリーブ色のものも見受けらる(中略)鼠色、褐色等一定せざるも派手なる色を好む支那人にはオリーブ色の如き目下稍嗜好せらる。

(『支那及印度向雑貨貿易調査報告』神戸市 編神戸市 1912年)

 これは時代は近いが、支那の話だ。

君府市內の店頭に陳列された中折帽の價格を見るに、大體四乃至八土貨傍(邦貨に換算し約五圓乃至十圓)にて、其の品質は大體本邦製品の上級品程度と、同一と見て差支なく、其の色合は主に灰色、薄樺色又はオリユーヴ色……

(『土耳其事情』日土協会 編日土協会 1928年)

 これは土耳の話だ。ただ両国の場合、そもそも「黒の中折れ帽」が出てこない。当地では「黒の中折れ帽」生産も流通もしていないのではなかろうか。

 寺田寅彦の『蓑田先生』、芥川龍之介の『父』、石川啄木の『足跡』に現れる「黒の中折れ」はそれぞれ明治二十七八年、明治三十五年、明治四十年という古い時代の記憶である。やはり明治四十五年、高等遊民の溢れた日本では黒の中折れは少数派だったのでは……、と印象操作したくもなる。ところが残念ながら昭和十年の山本周五郎『黒襟飾組の魔手』に「黒の中折れ」が出て來る。

黒ソフトの私立探偵 

 時計が四時を打つと、書生が一枚の名刺を取次いできた。それは顧問弁護士の紹介状を持って、私立探偵桂河半十郎が訪ねてきたのだ。
 書生に導かれて桂河探偵が入ってきた。大きな男で白麻の夏服に、黒の中折をかむり、大きな色眼鏡をかけている。顔色は日に焦けて黒く、髭を生やしている。ちょっと鼻にかかった声で、大変にのろくさく話した。

(山本周五郎『黒襟飾組の魔手』)

 いや、ここで「黒の中折れ」はむしろ私立探偵の特徴として描かれていないだろうか。白麻の夏服に「黒の中折れ」が特徴的であることを作者自らが「黒ソフトの私立探偵」という章タイトルで強調している。

 漱石の「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは如何にも大胆な時代感覚だがこれはむしろ、

 その時敬太郎の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪に結っているので、その辺の区別は始めから不分明だったのである。が、いよいよ物陰に来て、半なかば後になったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲って来た。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

  ……と廂髪に対する早すぎる一般化を見せる田川敬太郎の資質を現す仕掛けではあるまいか。実際千代子はこの後、島田に結う。小間使いの作は銀杏返しに結っている。年寄りは丸髷だ。「色変りよりほかに用いる人のない今日」という判断にいかほどの根拠があったのかは不明ながら、いずれにせよ田川敬太郎の認知バイアスなしに探偵は成功しなかったことだけは確かである。



[余談]

 細かいことはどうでもいいじゃない、という人がいるかもしれないけど『早春』と『アグニの神』では「箒」の意味がまるで違う。意味が違うのに気が付かないで意味が解るわけはない。大抵の人は読んでいるのではなく眺めているだけだ。それが許されるのは眺者だけだ。読者は眺めるのではなく読まなくてはならない。眺者に読書感想文は書けない。書けるのは眺書感想文だけだ。


  だから五分刈りだって。関係者全員原作読んでないだろ。それとちょっと悪意あるやろ、この造形。そういうことじゃないんだよ。Kは飽くまでピュアなんだよ。それが解らないやつは馬鹿だ。 



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