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アリ・アッバシ『聖地には蜘蛛が巣を張る』イラン、聖地マシュハドの殺人鬼を追え

2022年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。アリ・アッバシ長編三作目、前作『ボーダー』が"ある視点"賞を受賞してコンペに昇格した形になる。本作品は2000年から2001年にかけて、シーア派の聖地マシュハドで起こった連続売春婦殺人事件、通称"スパイダーキラー"事件を描いている。視点人物は二人。一人目は事件の取材にやって来た女性記者ラヒミ。彼女はテヘランで編集長からセクハラされ、それを会社に告発したら逆に解雇されたという経歴があり、自らの意思で危ない橋も渡る強さのある人物だが、女性であるが故に彼女が標的になることもしばしばある。協力を要請にし行った警察官に言い寄られたり、夜の道でバイクに追いかけられたり、女性を迫害する社会構造があって、殺された娼婦たちはその中でも特に力の弱い存在だったから狙われたことが示唆されている。二人目は事件の犯人サイード・アジミ(史実ではサイード・ハナエイだが脚色のためか別名となっている)である。イラン・イラク戦争の帰還兵だが、自分が殉教者にも戦死者にもなれない、つまり英雄になれなかったことを嘆いており、今では建設現場で働きながら献身的な妻と二人の子供と共に暮らしている。彼のことは努めて"普通の人間"として描こうとしており、彼の行為を称賛する人々は勿論のこと、捜査や裁判に加担する人々も彼と似ていることも示唆される。警察官は"殺人は駄目だから"、裁判官は"全ての命が神聖だから"という理由で事件を捜査し、サイードを死刑とするわけだが、彼らにとっても被害者たちの存在は"仕様になったバグ"のような存在であり、"バグ"と認定されれば彼らも野放しにしていたであろうことが示唆されている。

事件が起こった当時、監督はまだイランにいたらしく、裁判の異様さを鮮明に覚えていると語っている。16人も殺したのに、保守系メディアは"堕落したヤク中女を殺して聖地を浄化した"彼を英雄と称え、ハナエイの裁判での証言を支持したのだ。監督は彼の登場を"イランにおける女性憎悪の伝統が最も純粋な形で析出したもの"としており、終盤で息子に"対策をしなければ第二第三のサイード・アジミが出てくるだろう"と言わせている。ただ、残念ながら映画自体はラヒミ視点からもサイード視点からも問題を深掘りすることはせず、中途半端かつ安易にジャンルに乗っかってるだけで、というか寧ろ監督の興味は殺人の方にあるように思えるほど裁判のシーンは適当なので、量産型実録犯罪ものの域は出ないかな。期待してた私が馬鹿でした。

・作品データ

原題:عنکبوت مقدس‎
上映時間:117分
監督:Ali Abbashi
製作:2022年(デンマーク, スウェーデン, ドイツ, フランス)

・評価:60点

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