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霊感とは 実話


はじめに

今回は私(Kitsune-Kaidan)の霊感の歴史について書いてみたいと思います。霊感は実に人それぞれだと思います。私の霊感とみなさんの持つ霊感は似ているところと、違うところがあると思います。さまざまな霊感を比べてみるのも面白いのではないでしょうか。

以前 は、第六感と霊感について五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の観点から箇条書きにして書き出してみました。こちらから読めますので、あわせてお読みください。

それでは、不気味な世界へとつながる扉をお開けください。どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ。


霊感への目覚め

小さい頃は、霊感がある・ないということはあまり気にしていませんでした。というのも、同居していた母方の祖母が常に不思議な存在についてあたり前のように話していたからです。

母が家で仕事をしている間は祖母と過ごす時間が多かったため、祖母の霊体験をよく聞いていました。幼い頃の私は特にそれが怖いとか不気味だとは思っていませんでした。人間関係の話と同じように、祖母の霊体験の話は生活の一部だという認識だったと思います。

これまでにあらゆる体験をしてきたので、記憶に残るいちばん初めの霊体験というのは特定できません。物心がついた2歳半〜3歳の頃にはすでに不思議な存在を日常的に目撃していたと思います。それは人間の姿をしたいわゆるお化けという存在もあれば、自然界の妖精のような存在もありました。それに加えてハッキリと目に見えるものだけではなく声、感覚、色、においなどの存在も認識していました。

そんなわけで、私の霊体験は衝撃的というよりは毎日の流れの中に普通に織り込まれている形で始まりました。その後、成長した私の霊感は第二段階へと突入していきます。それは幼い頃の穏やかな霊感とはまるで正反対の恐ろしいもので、幼い頃の私にはまったく想像できませんでした。

ひとりごと

Collage Artwork by Kitsune-Kaidan

私はよくひとりごとを言います。このひとりごとというのは、必ずしもひとりで話しているのではないということを付け加えておきます。もう少し詳しく説明すると、このひとりごとには私と対話する存在がいることが多いです。つまり、お化けや不思議な存在と会話をしているのですが、傍目にはひとりで喋っているように見えるというわけです。

会話が幼児とは思えない内容で驚いたという話を、私が成人してから母親に教えてもらったことがあります。当時はイマジナリーフレンド的なものだと思っていた母親が、何十年の時を経て私のひとりごとがある事実と繋がっていたことを知って驚いたという出来事がありました。そのことはまた別の機会にお話しすることにして…。

私のひとりごと習慣は歳を重ねた今でも継続しています。しかし、幽霊や人間ではない存在と誰彼かまわずに話をすることはかなり危険だと気がついてからは、会話する相手を慎重に選んでいます。寝ぼけているときなどにうっかり話してしまい、後から後悔することもしばしばありますが…。

昔は、幽霊と会話していることを周りの人には言えませんでした。今もあえて誰かに伝える必要はないと思ってはいますが、特に恥ずかしいとか隠そうと思う気持ちは少なくなりました。ただし、余計なことは言わないように気をつけています。


その後の霊感

学生時代の霊感は、幼い頃の霊感に比べると恐ろしい体験が徐々に増えていきました。これも衝撃的な出来事があったわけではなく、少しずつ見えるものの種類が変化していった感じです。

とは言え、霊感の質が変化した理由はいくつかあります。私の場合は体調が悪くなったのをきっかけにあらゆる存在、特にダークサイドの幽霊がハッキリと見えるようになりました。毎日見えすぎて、生きている人間と区別がつかず、幼い頃の感覚とは違って吐き気や頭痛を伴うような苦しい気持ちのほうが多くなりました。

不思議なもので、体調が悪ければ悪いほどこの世のものではないものと繋がる空間が広がる気がします。フラフラとした感覚の中で、まるでエネルギーの低い存在に引っ張られているようでした。この頃は今思い出してもずいぶんと危ない経験をしていたように思います。人によっては体調が良い時に幽霊を見る人もいると思いますが、私の場合はまったく逆でした。

巫病ふびょうと呼ばれるものが真実だとしたら、まさにそんな感覚でした。その頃のことを思い出すと今でも恐ろしい気持ちになりますが、よくこの世にとどまったと、自分を褒めてあげたい気持ちもあります。

巫病ふびょう

いわゆる召命型のシャマニズムにおいて、巫病は成巫過程の重要なステップと位置づけられている。思春期に発症することが多く、具体的には発熱、幻聴や神様の出てくる夢、重度になると昏睡や失踪、精神異常、異常行動などが症状として現れる。これは世界的にあり、症状はどの地域でも似通っている。

Wikipedia

事実、自分は精神的におかしくなってしまったのではないかと思い、病院やクリニックに足を運び、医学的な診断も受けました。自分の身に起こっていることが重度の病状ではないということを証明できたとは言え、その後もあらゆる体調不良と共に強まる霊感に脅かされる日々が続きました。

その頃の写真を見ると、体重が落ち明らかに覇気はきがないにも関わらず、目だけが異様に大きくてギョロッとしていて別人のように見えます。自分であって自分ではないような気がしていました。霊感スイッチのようなものがあるとすれば、いつでもスイッチオンになっていて境界線がない感覚でした。

しかし、どこかで強い力に守ってもらっているように感じるお守りのような気力がわずかながら自分の中に残っていました。言語化するのは難しいですが、良い神や明るいエネルギーを放つ天使的な存在を信じる気持ちを完全に捨てずにいた気がします。


現在いまの霊感

Collage Artwork by Kitsune-Kaidan

現在の私の霊感はというと、いまだに健在です。おそらく一生消えないのだと思います。祖母の霊感も歳を重ねるごとに子供の霊感と似たようなものへと変化していきました。

霊感スイッチが常にオンになっている状態からオフに切り替えることができるようになりました。それは私にとってはかなりの成長です。見なくてもよいもの、聞きたくない声、感じたくない気配などはいまだに頻繁に感じます。しかし、徐々に自分の体の弱さと共存することに慣れてきたため、最悪の状態からは抜け出せた感じがします。抜け出す過程にもあらゆる段階がありましたが…。

ダークサイドのものばかり見ていた時代から解き放たれ、明るいエネルギーを持つ不思議な存在とも関わりが増えてきました。

ところが、体調がすぐれない時にはやはり幽霊を見ます。相変わらず姿が見え、声が聞こえ、霊臭がして気配も感じますが、自分を守る方法をいくつか駆使することでダメージを最小限に抑えることができるようになりました。体調維持がうまくできずに体調が悪くなると、しっかりと霊の存在をダウンロードしてしまいしばらく動けずに寝込むということもあります。そんな時は安静にしているしかありません。私の体調のサイクルと霊感のサイクルはどうやら表裏一体のようです。


おわりに

果たして修行的なことをした方がいいのか…。そのような気持ちになったことは幾度とありますが、そのことはまた改めて書きたいと思います。霊能力に関してひとつだけ昔から頭の中に浮かぶ言葉があります。

「私の場合は霊感とお金を直接繋げてはいけない」

かなり漠然としていて、この意味を深く理解するのに長年かかりました。おそらく、「霊感を駆使して人のために役立てたり自分の使命を貫くことは大切だけれど、現代では直接クライアントからお金をいただくお祓いのようなことを仕事にしてはいけない」という意味だと思います。

あくまでもこれは私の役目の話です。しかし、これまでに誰かをサポートする職業に就くことが多いため、何らかの形で自然と霊感を使ってしまいます。使おうとしなくても結局使ってしまうことが多いです。みなさんの中にもそのような人が多いのではないでしょうか。いわゆる通訳的な役割を担うことがあります。メィディアムとサイキックのことについてもそのうち書きたいと思います。

今回は実話怪談とは少し視点を変えた霊感の話になりました。引き続き実話怪談を投稿していきますので、これからもどうぞ不気味な世界へとお立ち寄りください。

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Kitsune-Kaidan
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こちらのお話もぜひお読みください。


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