見出し画像

エッセイ「友達はアウストラロピテクス」


「ピテ」と呼ばれた同級生がいた。
彼は、教科書に載っていたアウストラロピテクスの挿絵に顔の輪郭が似てるというだけで、そのようなあだ名で呼ばれていた。

東北の片田舎にある、同じ高校のサッカー部に所属していたので、彼と下校の道が一緒になる事がたまにあった。
いつも陽気な男で、「おい!ピテ!」等と嫌みなあだ名で呼ばれても楽しげに笑い、隔たりなく人と仲良くなる愛嬌のある性格だった。そしてどことなく、母親のような懐の広さを感じさせる人だった。

一つ、彼には入学した頃から謎があった。住んでいる場所である。

私は、学校まで約二時間半かけて自転車で通っていた。この通学時間を超える者が周りにはいなかったので、私は密かにこの事を誇りにしていた。
ところがある日、ピテは私に向かってにこやかに、学校まで三時間位かけて来てるよ、と言った。その家の住所を聞くと、田舎の中でも山中、崖に近いような場所であった。
彼は見栄を張るような噓をつく人間ではなかった。きっと本当なのだろう。

それでも納得がいかない私を含めた三名が、ピテの家に実際行ってみようではないか、という事になった。土曜日の部活動は午前中だけで終わる日があったので、その午後に家に行ってもいいか、と彼に聞いた。
普段はいつも明るく話す彼が顔を曇らせた。いいけど危ないよ、と真っすぐな眼で静かに言った。ワイワイ騒いでいた我々に一筋の緊張が走ったのを覚えている。
が、高校生の若造。私達三人は、そんな事を言われた位では引き下がらなかった。足と体力にも自信があったので、我々三人は余計にいきり立った。

夏の土曜日、部活動が終わった後、私達は自転車置き場に集合した。ピテの家へ向かって、皆で学校を出た。それから二時間程経った頃、ピテ以外の男子はもれなく、その軽々しい決断を後悔していた。
私達は、ピテを先頭にして、ガードレールも何も無い崖沿いの細い獣道をゆっくり歩いていた。足を踏み外したら命に関わるような、山の中腹あたり、斜面を削っただけの崖道である。
私達は、崖から落ちないように斜面の岩や木にへばり付きながら前進した。
死にたくない、と本当に命の危険を感じたからだと思う。見た目なんかを気にしていられなかった。私達三人は前進することに集中した。ピテは、そんなお荷物達を危なっかしそうに見ながら、そこの岩につかまって歩くといいよ、等と逐一絶壁の歩き方のコツを教えてくれた。彼は一人先頭に立ち、絶壁の道をスイスイと歩いていた。
学校では見せる事のない、まさに野生児そのものといった面構えに変わっていた。この時から、私達は彼に尊敬の念を抱き始めていた。

何とか怪我人も出さずに、ピテの家に着く事ができた。
山の上にある彼の家は、私の予想を反して新築であったのを微かに覚えている。
到着しただけでクタクタ、もう遊ぶどころではない、生きてここまで来られただけで十分だろうと、家にお邪魔をし、横になってへたばっている私達三人に、まるで母親のようになれた手つきで麦茶を出した後、ピテは幼い弟や妹達の世話を焼いていた。
役に立たない単なる肉塊と化していた私達は、まだ十五歳という年齢でありながらも、確実に家庭を支えている彼の姿を見て、皆が一度に衝撃を受けた。学校では見られなかった彼の生き様が、私達の心を打った。

その後、日が暮れるまで我々は本当に動く事が出来なかった。
ただただ麦茶を頂いて横になっていた気がする。
帰りも、安全で平坦な山の下の道まで私達を誘導してくれた。
その後、また夕闇に紛れながら崖の道を颯爽と駆け上がっていく彼の姿は、すでに私にとって、ヒーローそのものだった。

その次の月曜日、学校で顔を合わせた時、
私達三人のピテに対する態度が一変した。
彼は、何事もなかったかのように相変わらず朗らかに笑っていたが、
私達三人は、彼に敬意を持って接するようになっていた。

私は、生きてきた中で、この人には敵わないと思う人物に何人か出会ってきた。十代の頃に出会った彼は、その中の一人である。


<電子書籍発売中>
童話「なんでもたべるかいじゅう」(北まくら著/幻冬舎刊)¥1,320-
怒りに疲れた大人に読んでほしい一冊です。


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?