帰社倶楽部

「まあまあ、みなさん落ち着いて、冷静にやりましょう」

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最近の記事

安倍家岸家考⑪(晋太郎と弟と安倍家と)

晋太郎は1958年、第28回衆議院議員総選挙で旧山口1区から出馬し、2位で初当選を果たす。しかしこの選挙、父・寛の地盤を継いだ周東英雄(最初に継いだ親類の木村義雄は公職追放となった)がいながらの出馬表明であった。これには岸周辺からも異論が出るほどで、それに対し晋太郎は「立候補を止めるくらいなら洋子を岸家に返す」とまで言い放ったという(木立⑨p124、洋子⑦p120)。これを調整したのが義理の叔父となる佐藤栄作で、旧山口1区で落選中だった佐藤派の吉武恵市を参議院へ鞍替えするよう

    • 「世直し源さん」を読み直して見えてくるもの(ネタバレあり)

      業田良家『ヨシイエ童話 世直し源さん』と聞いてピンと来るのは40代後半以降の主に男性(有体に言ってしまえばオッサン)だけであろうか。「ヨシイエ童話」は「ヤングマガジン」で89年終わり頃から92年まで連載されたシリーズ的タイトルで、その中で「世直し源さん」は91年まで約2年間掲載されていた。 連載開始の89年は昭和から平成となり、リクルート事件を受けて竹下内閣から短命の宇野内閣、そして海部内閣が誕生した激動の年で、連載中は政治改革と政権交代前夜の時期であった。 作品は時代を特定

      • 笑いのカイブツを育てた図書館という存在

        今年1月、映画『笑いのカイブツ』が公開された。原作のツチヤタカユキは、古くからのオードリーのオールナイトニッポンリスナーなら誰もが知る伝説のハガキ職人であり、若林正恭の『社会人大学人見知り学部卒業見込』にも登場する「人間関係不得意」のエピソードでも有名な人物だ。その「人間関係不得意」さから東京での作家見習いを諦め帰阪後に書いたブログが出版化されたのが原作あり、映画ではツチヤを岡山天音が演じた。 『笑いのカイブツ』でも触れられているが、同じくツチヤの書いた『オカンといっしょ』

        • 安倍家岸家考⑩(両家の縁)

          母の顔を知らずに育ち、戦後東大に復学してこれからという時に父と後見人的存在であった大伯母を亡くした晋太郎であったが、活発な学生時代を過ごす。父の後継者となった親類の木村義雄は公職追放となってしまうが、晋太郎が成長するまでの地盤固めということで当時吉田内閣副書記官であった周東英雄の擁立が決まり、晋太郎もその応援に貢献した。 卒業後、晋太郎は外交官か新聞記者を思案して政治の道を行くなら記者と考え毎日新聞社に入社した(1949年)。駆け出しは社会部であったが1年ほどして政治部に移る

        安倍家岸家考⑪(晋太郎と弟と安倍家と)

          安倍家岸家考⑨(母のいない安倍家)

          安倍晋三の父・晋太郎、祖父・寛を通した政治家として繋がる安倍家については本稿1回目で紹介したように『安倍三代』(青木理)と『いざや承け継がなん』(木立眞行)が最もわかりやすくまとまっている。以下、両書を参考に安倍家の推移を眺めてみる(個別エピソードの引用以外は参照先は割愛する)。 安倍家は山口県大津郡日置(へき)村(その後油谷町、長門市)で代々醤油などの醸造業を営んでいた大地主であった。明治に入りその安倍家の中興の祖と言われる慎太郎が第一回の県議選に当選する。中央政界への期

          安倍家岸家考⑨(母のいない安倍家)

          安倍家岸家考⑧(ヤング安倍晋三~社会人編)

          晋三は77年3月成蹊大学を卒業するが、すぐに政治の道へは歩まず、留学のために渡米する。留学とはいうものの、まずは78年1月から語学学校へ通うがホームシックで毎晩コレクトコールで自宅へ電話をかけていたため電話代が月十万円となり、父・晋太郎から「もう晋三を日本に戻せ!」と言わしめ、79年の春に帰国する(野上①p106-110)。留学を目的とした渡米の理由や帰国までの迷走について考察の余地はあるが、結果としては単なる空白期間と位置づけられるものであり、話は次に進める。 帰国後、父

          安倍家岸家考⑧(ヤング安倍晋三~社会人編)

          西原理恵子が抱えた負の連鎖

          西原理恵子が幼少の頃から上京して漫画家として食べて行けるまで、相当に苦労したことは有名であり、Wikipediaを読むだけでもなかなか大変であったことが伺える。美大に入るまで、入ってからも相当に貧苦に喘いでおり、みうらじゅんとの対談(「ユリイカ」2006年7月号:特集*西原理恵子)で「仕送りが七万で、母子家庭だったからそのうち四万は育英金で、それでどうやって課題をやれっていうんだって。絵の具チューブが一本千円もするのに。だから」(以下コンプライアンス的理由で割愛)と振り返って

          西原理恵子が抱えた負の連鎖

          安倍家岸家考⑦(ヤング安倍晋三~キャンパス編)

          晋三はエスカレーターでそのまま成蹊大学法学部に進むが、高校時代の同級生は当時の晋三の特に気負う感じのない性質から必然的にそうなったと見ている。 高校時代の同級生・金子浩之(大学は別)は「兄貴(寛信)も普通に成蹊大に行ったし、彼も普通に、なにか自然に成蹊大に行った感じです。結局は16年も(成蹊学園で)過ごして、当時の知り合いをいまも大事にしていますから、成蹊学園が好きでしょうがないんじゃないでしょうか」(青木④p247)と振り返っている。 小学校から高校まで同窓であった野崎康彦

          安倍家岸家考⑦(ヤング安倍晋三~キャンパス編)

          東京都第23区の選挙結果に残る平成与野党攻防の地層

          河村建夫元官房長官の長男・河村建一氏が日本維新の会公認で東京6区から立候補する調整に入った、と報道されている。 河村元官房長官の長男、維新から出馬で調整 21・22年は自民公認(毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20230620/k00/00m/010/325000c この3年間での政治家としての河村家の没落は少々気の毒で、21年の衆議院選挙で林芳正(現外相)が山口3区(当時)からの立候補の意向を発表し、党との話し合いで河村建夫は政界引

          東京都第23区の選挙結果に残る平成与野党攻防の地層

          南海キャンディーズとオードリーとを評価したM1審査員

          放送中のドラマ「だが、情熱はある」の南海キャンディーズとオードリーが両コンビともM1で名を上げたところまで進み、いよいよ佳境を迎えつつあります。 南海キャンディーズは男女漫才の新しい形を、オードリーはいわゆるズレ漫才という独自のスタイルを確立したと言われています。昨今お笑い競技の審査委員問題というのが話題になっていますが、2004年(南キャン)と2008年(オードリー)、両コンビはどのような評価を受けたのか、そこに注目して気になったことを書いてみたいと思います。 まず200

          南海キャンディーズとオードリーとを評価したM1審査員

          安倍家岸家考⑥(兄の存在)

          本稿シリーズ2回めにも書いたとおり、安倍家には長男・寛信がいる。祖父・安倍寛、岸信介の字をそれぞれもらっており、名前からして長男への期待は明らかに高い。 寛信と晋三はふたりとも成蹊学園を小学校から大学まで学び舎にしている。小学校に上がる前(5歳時)、寛信は全寮制(ただし土日は自宅)のインタナーショナルスクールに両親の意向で入らされている。しかし、いきなり放り込まれた外国の子ばかりの環境に馴染めず登校を強固に嫌がった結果、半年で寮生活から開放された(寛信⑧p23-24)。成蹊を

          安倍家岸家考⑥(兄の存在)

          エルピス牛丼考

          秋葉原へ行くと牛丼専門店サンボに入ることが多い。特別に美味い訳ではないが、あの味はサンボにしかないため、ついつい暖簾をくぐってしまう。一般的に外食においては旨いは甘いの原則があり、チェーン店の牛丼は甘みが強いが、サンボの牛丼はしょっぱさの方が上回る。繰り返すが特別に美味い訳ではない。しかし、どこでも食べられる味でもない。 今でこそ接客は優しくなったが、昔は電気街であるにも関わらず携帯電話利用禁止で、店内でのルール違反に店員に叱責されている客を何度も見かけたことがあった(現在は

          エルピス牛丼考

          安倍家岸家考⑤(少年安倍晋三のこだわり)

          中学高校の安倍少年も変わらずこれといって目立った評判は同級生からは上がらない。 中高学時代、晋三は地理研究部に所属していたという。同じ部の同級生によると、父親(晋太郎)が剣道をやっていた影響か「小学校で剣道部をやって、中学でも剣道部に入ったんですけれど、練習が大変だったので2人で一緒に辞めちゃって、地理研究部に入った」(青木④p233-234)そうである。特別に地理に興味があった訳はでなく、「日本のいろんなところに行ってみたいよね」(青木④p234)程度の動機であったという。

          安倍家岸家考⑤(少年安倍晋三のこだわり)

          映画Winnyがひっそり掲げているメッセージ

          映画『Winny』がまずまずな評判となっている。個人的にもかなり面白く見れた。法廷劇として上手くまとまっており、東出昌大の好演が印象的だ。 京都府警の捜査と起訴内容がずさんであったことについては一定の結論が出ているが、Winnyとその製作者である故・金子勇に対する評価はさまざまであり、本作はその点で評価が分かれる可能性がある。 映画『Winny』は金子勇と弁護士の視点から描かれているが、本作で描かれたエピソードのほとんどは弁護士・壇俊光が書いた『Winny 天才プログラマー金

          映画Winnyがひっそり掲げているメッセージ

          安倍家岸家考④(少年安倍晋三の孤独)

          少年時代の安倍晋三に関する証言を総合すると「いい子」という言葉にまとめられるが、取材対象によって陰と陽があるように感じられる。 青木理の取材で安倍晋太郎の元秘書はこう回想している。 「晋三さんは本当にね、いい子でしたよ。そりゃあ子どもですから、わがままなところはありましたし、奥様(洋子)も『(いうことを)きかないのよ』とはおっしゃってましたが、ケンカをしたとは聞いてないし、お行儀が良くて、優しくて、いい子でしたね、本当にね…」(青木④p219~220) 青木の取材には小学校(

          安倍家岸家考④(少年安倍晋三の孤独)

          センキョナンデスを声を上げて絶賛しておかなければならなくなった件

          『劇場版センキョナンデス』が公開されて2週間が経ちました。私は早速最初の週に見に行きましたが、素人が知ったようなことをネットで書き散らすのは野暮と思い、無駄な自己主張は控えておりましたが、ある批評を読んでそうもいかなくなってきたためひとnote執る次第です。 ある批評とは、こちらのとある映画・音楽ジャーナリストのもの。 http://www.kinenote.com/main/feature/review/vol184/ 捨て置けなかったは、「建前としての中立性(劇中で特定

          センキョナンデスを声を上げて絶賛しておかなければならなくなった件