笑いのカイブツを育てた図書館という存在

今年1月、映画『笑いのカイブツ』が公開された。原作のツチヤタカユキは、古くからのオードリーのオールナイトニッポンリスナーなら誰もが知る伝説のハガキ職人であり、若林正恭の『社会人大学人見知り学部卒業見込』にも登場する「人間関係不得意」のエピソードでも有名な人物だ。その「人間関係不得意」さから東京での作家見習いを諦め帰阪後に書いたブログが出版化されたのが原作あり、映画ではツチヤを岡山天音が演じた。

『笑いのカイブツ』でも触れられているが、同じくツチヤの書いた『オカンといっしょ』によると、ツチヤは家庭環境から経済状態にあまり恵まれなかった少年時代を過ごしている。学校の勉強は好きではなかったようだが(進学による人生の希望を持っていなかった)、中学時代には図書室に星新一を読みに行っていたようで、高校は留年しない程度にサボって図書館に通っていたとある。この図書館通いの習慣がのちのツチヤ青年を救うことになる。

ツチヤは高校1年でケータイ大喜利でレジェンドを目指すことを決め、まるで荒行のように生活のすべてを大喜利に注ぎ込み、高校卒業後もアルバイトと大喜利に明け暮れ、21歳で目的に到達する。その後、劇場作家として吉本興業の門をくぐり、一部からは才能を見込まれていたものの持ち前の「人間関係不得意」さから辞めてしまう。
そこで次に始めたのがラジオ番組を主戦場としたハガキ職人だった。ツチヤの創作場所はショッピングモールのフードコートで、当時は長時間居座っても追い出されることはなく、午前中の3時間を脳が疲弊するまでネタ出しに充て、午後はインプットの時間としていた。金のないツチヤ青年の情報収集先は小説と詩集は図書館、雑誌はコンビニで立ち読み、漫画はブックオフで立ち読み、音楽はYOUTUBEとツタヤ、お笑い映像もツタヤ、映画はスカパー(自宅で契約していたのか)で録画したものを片っ端から消化していた。
図書館での本の借り方が凄まじく、1週間に4つの図書館をハシゴして30冊を借りる。これは高校生の頃から身についていた習慣で、高校時代には重い文学全集などを大量に自転車に積んでパンクさせてしまったこともあり、その反省から半分は文庫にして調整するようになったという。また図書館にはさまざまなイベントのチラシが並んでおり、そうした情報収集にも役に立っていた。
ツチヤはアルバイト先の大学生の無知に呆れ、怒りや恨みすら覚えたことを書いているが、それらの知識・教養をツチヤに与えたのは図書館であった。長らくツチヤの居場所であったフードコートからはある日突然追い出されてしまい、ネタの執筆場所も図書館に追いやられる。上京していた時もツチヤの居場所は図書館であった。大阪に帰り、新作落語作家を目指すと決めたときも図書館の落語のCDを片っ端から聞くことから始め、引き続き知識欲を満たす場所は図書館であった。もっとも、ここまでで自らの進む道に絶望する度にツチヤはそこから得たものを役に立たなかった血の通わない死んだ言葉だと痛罵するが、それでもその飢餓感を解消する場所は図書館しかなかったのであった。

当時、金のないお笑いのことしか考えていない目の血走った若者はさぞかし異様であったろうが、図書館はそうした利用者を排除しない。吾妻ひでおの『失踪日記』でもアル中の吾妻がよく図書館を利用しているが、横になって寝たりしなければ追い出されることはない。『パブリック 図書館の奇跡』(2018年)というアメリカ映画があり、大寒波の夜、図書館に訪れるホームレスをどうするか、というストーリーであったが、泊めさせるかどうかの問題はさておき、利用ルールさえ守れば開館時間にホームレスであろうが出入りを排除しないのが図書館である。

『笑いのカイブツ』(2017年)刊行後、作家ツチヤタカユキは生活にも居場所にも困らなくなったが、現在コンビニでは立ち読みはできず、ブックオフも漫画は立ち読みできない。そして音楽・映像コンテンツはネットのサブスクに集約されつつある。10年前のカイブツがタイムスリップしてやってきたら、「俺の行くとこ図書館以外ないやんか、どうなっとんじゃい!」と文句を言うのかもしれない。
これから近所の図書館に行ってみてもそこまで目の血走った青年に出くわすことはなかなかないかもしれないが、ちょっとだけアレ?という感じの利用者なら結構簡単に見つかるのが図書館というところ。そして日本のどこかで館内を物色している未来のカイブツがいることを期待して図書館が多くの市民・国民の居場所となり続けることを祈るのみだ。

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