エルピス牛丼考

秋葉原へ行くと牛丼専門店サンボに入ることが多い。特別に美味い訳ではないが、あの味はサンボにしかないため、ついつい暖簾をくぐってしまう。一般的に外食においては旨いは甘いの原則があり、チェーン店の牛丼は甘みが強いが、サンボの牛丼はしょっぱさの方が上回る。繰り返すが特別に美味い訳ではない。しかし、どこでも食べられる味でもない。
今でこそ接客は優しくなったが、昔は電気街であるにも関わらず携帯電話利用禁止で、店内でのルール違反に店員に叱責されている客を何度も見かけたことがあった(現在はそこまで厳しくはない)。

今年の正月明けであったか、秋葉原へ行った際にそのサンボの前に行列ができている光景に驚いた。理由は年末まで放映していたドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』のロケ地になっていたからだということを検索で知った。『エルピス』が評判であることは聞いていたが、サンボが聖地になるように描かれていることで俄然興味が沸いた。そして遅ればせながらやっと『エルピス』を鑑賞したのでここにその感想と考察を書く。

前段で「ロケ地」と書いたが実はサンボでロケは行われていない。店内の雰囲気と牛丼と牛皿がサンボを感じさせるのだが、食器や内装が微妙に違う。ドラマ映像のスクショをそのまま上げるのは著作権的に憚られるので、映像画面をスマホで撮ったものを以下に掲げる。

すでに多くのロケ地考察サイトで紹介されているが、第9話と第10話(最終回)で登場する牛丼屋は実は横浜にある「平安」という中華料理店である。この町中華とサンボの内装の微妙な違いを食べログの写真で見比べて欲しい。

平安
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140306/14016058/dtlphotolst/3/smp2/

牛丼専門店サンボ
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13006063/dtlphotolst/3/smp2/

見てすぐに気づく違いは、ドラマ(平安)には厨房と店内をつなぐ小窓があるが、サンボにはそのような小窓はなく、厨房はかなりオープンである。
テーブルも椅子も似てはいるが微妙に違う。ただしロケ地(平安)のものでもなく、サンボに似ているものを持ち込んで撮影したようだ。
この場面を見てサンボと感じるのは言うまでもなくあの独特の価格表(定価表)があるからだが、サンボはアルコールは出さない。ロケ地でない以上、似せたものを作るのは当然だが、「瓶ビール 五〇〇」はシナリオ(岡部たかし演じる村井が牛皿をつまみにビールを飲んでいる)に合わせたもので、サンボの価格表には勿論ない。ただし、さすが細部にはこだわっており、他のメニューの価格は撮影当時の値段と同じである(今年3月に30円値上げ)。

牛丼屋をサンボにしようと考えたのは大根仁監督であろうが、恐らくロケはにべもなく断られたのだろう。昔に比べれば客当たりは優しくなったものの、そこはやはりサンボだ。何かしらの最低限の仁義は切ったのかもしれないが、似せることについてとやかく言われる筋合いはない。制作陣はサンボっぽく見せるための代替ロケ地を探し、パッと見サンボと思わせる映像にするために徹底的に作り込んだ、ということなのだろう。さすがと言う他はない。

ーーーーーーここからは若干のネタバレを含みますーーーーーー

しかし、それにしてもなぜサンボだったのだろうか。今更解説するまでもないが、ドラマ『エルピス』の考察として重要なのは食欲だ。このドラマではアナウンサーの浅川恵那(長澤まさみ)とディレクターの岸本拓朗(眞栄田郷敦)の双方が交互に入れ替わるようにして吐いてしまうほどに食物を受け付けない状態に襲われることを繰り返す。これは社会の理不尽を飲み込まざるをえない精神状態の現れとして表現されている。
その二人が晴れて食欲を取り戻し最後に揃って食べるもの、それは気持ちよくかっこむドンブリ飯が似合うと脚本の渡辺あやは考え、牛丼の大盛りにしたのだろう。しかし、これがチェーン店の牛丼でいいのか、という問題になる。そこで大根監督の頭に浮かんだのがサンボだったのではないか、と私は想像する。最初に書いたとおり、決して人に薦めるほど特別に美味い訳ではないが、外食産業のセオリーに飲み込まれることなくわが道を行く唯一無二な味(はちょっと褒めすぎか)と店構えのサンボはラストに二人が自分を取り戻す場として最適なのかもしれない。
そう思うと、週末にちょっと秋葉原に行きたくなってしまうが、決して万人にオススメするようなお店でないことは改めてお伝えしておく。

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