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きいち
2019年7月8日 02:59
もしも花や植物に明確な感情があって、枯れ始めた時に「自分はもう美しくないから消えてしまいたい」とか「枯れてもなお私の美しさは消えない」とか枯れて朽ちていくことに抗ったり受け入れたり思い悩んだりしていたら、そのいじらしさに、私は、
2019年6月16日 03:35
4月から日記とドローイングを(ほぼ)毎日続けてます。前々から日記書きたいなあと思いつつ、しかし三日坊主の自分はどうせ続かないだろうと半ば諦めていたのだけれどとある出来事があり、大したこともせず怠惰な毎日を送っていたら駄目になる…と日記を始めた今年の4月22日。とある出来事、とは不甲斐なさ過ぎて明かしたくはないことなのだけどぼんやり表すとしたら「スタートダッシュが遅れた」。周りのみんなが大
2019年6月12日 05:00
とある夕方、バスに乗って何気なく外を眺めていたらガソリンスタンドで給油しているスーツ姿の男性と女性の後ろ姿があって、なんだか、なんとも言えない気分になってしまって、ああこれはだめだと、明日誰にも何も言わずにパッと消えてしまいたくなった。毎日繰り返される日常の中で、自分でもよくわからない方程式でこういう「消えてしまいたいなあ」という思考が生まれる。なにがきっかけかなんて、本当に些細などうでもいい
2018年3月21日 02:12
私は「ことば」が好きだ。けれど、うまい付き合い方はまだわからない。私は「美術」も好きだ。けれど、これまたうまい付き合い方はまだわからない。まあ、でも、そうだろう。きっとこの先もそうなんだろう。それが良いのか、悪いのかそれすらもわからないけれど今のところ、どちらも大切で好きであることに変わりはないからこのままでいいかな、と。…いつかわかるときがくるのだろうか。気長に待と
2018年3月17日 00:13
死と生の境界線、あの世とこの世の境界線なんて、そんなもの存在しないんじゃないだろうか。例えば湖にざぶざぶ入っていったとき、なんの予告もなく不意に足が着かぬ深さにまで落ちていくような。例えば森の深くへわけいって気が付けば迷子になっているような。そんな曖昧なものなんじゃないだろうか。けれど、そこには確かに死が存在している。自分自身の死であろうと、他人の死であろうと、それはあまりに突然で緩やか