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つらつら

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思うことや考えることをひっそりと。 短かったり長かったり、日記みたいなものも。
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#思うこと

感謝

感謝

なんだか最近、自分の投稿する頻度が増えたっていうのもあるかもしれないんですけど私の投稿を見て「スキ」を押してくれる方が増えたように感じます。

このnoteでの投稿は元々かなりの自己満あるいは自身の記録のためにやっていたのですが、やっぱりなにかしらの反応があると嬉しいものですね。

TwitterやInstagramでも投稿しているものの、絵やドローイングに添える言葉をどうも当たり障りのないものに

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自分の手

つい最近まで絵の具まみれだった手。
少し長いくらいの爪にお気に入りの色を乗せて、ふとした時にその色が目に入るのが好きだった。もともとお洒落は苦手で、ブランド物みたいな服は着なかったし濃いお化粧もしなかった。でも、手だけは女性らしく見えてて、自分の体のパーツで唯一好きだった。

調理関係のお店で働く今の手。
短く切りそろえられた爪。マニキュアは塗れない。絵の具も頻繁には使わなくなった。染み付いた油絵

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花

もしも花や植物に明確な感情があって、

枯れ始めた時に
「自分はもう美しくないから消えてしまいたい」
とか
「枯れてもなお私の美しさは消えない」
とか

枯れて朽ちていくことに
抗ったり
受け入れたり
思い悩んだりしていたら、

そのいじらしさに、私は、

日記とドローイング

日記とドローイング

4月から日記とドローイングを(ほぼ)毎日続けてます。

前々から日記書きたいなあと思いつつ、しかし三日坊主の自分はどうせ続かないだろうと半ば諦めていたのだけれどとある出来事があり、大したこともせず怠惰な毎日を送っていたら駄目になる…と日記を始めた今年の4月22日。

とある出来事、とは不甲斐なさ過ぎて明かしたくはないことなのだけどぼんやり表すとしたら「スタートダッシュが遅れた」。
周りのみんなが大

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曖昧だけどそこにあるもの

死と生の境界線、あの世とこの世の境界線なんて、そんなもの存在しないんじゃないだろうか。

例えば湖にざぶざぶ入っていったとき、なんの予告もなく不意に足が着かぬ深さにまで落ちていくような。例えば森の深くへわけいって気が付けば迷子になっているような。そんな曖昧なものなんじゃないだろうか。

けれど、そこには確かに死が存在している。
自分自身の死であろうと、他人の死であろうと、それはあまりに突然で緩やか

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