シェア
KIGO
2021年5月13日 23:57
KIGOです。最近、Twitterでこの曲を見つけてこればっかり聞いてる。あの夏は…。なんでかな、やっぱこういう恋の歌にいいなって思うのは、私がそういう風にできているだけなんだろうか。実は昨日を取りこぼしていたり。試行錯誤の毎日です。「思考索語」…なんて、徒歩通勤中に考えていたら、検索してみるといるもんですね、先駆者が。笑アウトプットのエネルギーが溜まるまで、徒然と過ごしていこ
2021年5月5日 15:33
みなさん、こんにちは。KIGOです。お久しぶり?でもないか。本日は、端午の節句、こどもの日ですね。久しぶりに長く実家に帰っておりました。でも一人暮らしに慣れると、一人の時間がないのはストレスだったりして。昨日アパートへ帰ってきて、ようやく日常に戻ってきた感じ。人間落ちると早いもので、最近は毎日、物語を紡ぐのがちょっと難しくなっておりました。それでも、季語をきっかけに文章を書くことは、度々私
2021年4月15日 23:06
小学校も始まったようで、初々しいランドセル姿も見かけるようになった。私の小学校では、集団登校をするのは、新入生が入りたてのいくらかの期間だけで、普段は各自で自由に通学をしていた。私は、そのころより一人で登校するのが好きだった。ませた子供だったので、昔から友達付き合いは上手だったけれど、学校までの1キロちょっとの道のりを、一人で歩く時間が大好きだった。その暫くの間、私の思考は遠く空を駆けていた。頭の
2021年3月23日 22:50
春、温かい日が続いて、大根や蕪などの花茎がぐんぐん伸びることを「茎立(くくたち)」という。一般的には、「薹(とう)が立つ」という言い方のほうが馴染みが深いか。つい、袋入りで買った人参なんかを使いきれず、鬆(す)が入るまで置いてしまった時とかは、申し訳なく思う。薹(とう)が立つ。でも、この表現はあまり好きじゃない。なんでって、人に使う輩がいるからだ。大根や蕪だって、いかに太陽を効率よく受け
2021年3月17日 23:04
今回、希死念慮について語っております。苦手な方は、本日は対岸にてお待ち頂ければ。「暑さ寒さも彼岸まで。」お身体にご自愛くださいますよう。******あるミュージシャンが、高所恐怖症だと言っていた。高いところが苦手なのではなく、うっかり飛びそうになるからだと。それを聞いた時、その衝動を表す言葉を持ち得ていなかった私は、大変に納得してしまった。書類の端に高確率でしにたいと何度も書き殴
2021年3月15日 23:58
涅槃会、陰暦二月十五日は釈迦の入滅の日にあたり、この頃に吹く風を事を「涅槃西風(ねはんにし)」と呼ぶ。この西風は、西方浄土から現世に吹く風と言われているとか。お供えとなる涅槃団子は限られた地方の風習で、呼び方もまた地域で異なるらしい。寺で撒かれるカラフルな団子を祖母が拾ってきて、うちでは、ストーブの上のアルミホイルや餅網で焼いて食べていた。火が入ると、つるりとした表面にはこんがりと焦げが付き、
2021年2月27日 23:17
シンプルに引かれた線ほど、美しいものはない。美大予備校に通っていた頃の記憶は、年月を経ても、未だに鋭敏な感覚として身体に残っている。ぴんと水張りされたケント紙と糊の匂い。デッサン特有のカッターで抉り取られた鉛筆の切先。塗り込められた画用紙の、ざらつきに微かに残る白。モチーフにかざすデスケルの枠に囚われて、目の前のキャンバスに向かうふりをして、悶々と自分と対峙していたあの頃。
2021年2月5日 23:12
私は時折、廃れてしまった風習や、失われつつある言葉のことを思案して、何とも形容し難い気分に浸ることがある。それは、シャッターが並ぶ商店街を見やる時のような、郷愁に近いが、よりどこか物悲しく、それでいてある種の諦観が入り混じる感情。例えば、私は方言も消えゆく言葉の一つだと思っている。祖母が使っていた言い廻しは、私にとって意味は分かるが、自らが使うことのない言葉の羅列。母ですら用いないそれらは