マガジンのカバー画像

季語哀楽

122
季語をテーマにした投稿まとめ。 365日が目標。
運営しているクリエイター

#エッセイ

薄暑

薄暑

KIGOです。
最近、Twitterでこの曲を見つけてこればっかり聞いてる。

あの夏は…。

なんでかな、やっぱこういう恋の歌にいいなって思うのは、私がそういう風にできているだけなんだろうか。

実は昨日を取りこぼしていたり。
試行錯誤の毎日です。「思考索語」…なんて、徒歩通勤中に考えていたら、検索してみるといるもんですね、先駆者が。笑

アウトプットのエネルギーが溜まるまで、徒然と過ごしていこ

もっとみる
端午

端午

みなさん、こんにちは。
KIGOです。お久しぶり?でもないか。
本日は、端午の節句、こどもの日ですね。久しぶりに長く実家に帰っておりました。でも一人暮らしに慣れると、一人の時間がないのはストレスだったりして。昨日アパートへ帰ってきて、ようやく日常に戻ってきた感じ。

人間落ちると早いもので、最近は毎日、物語を紡ぐのがちょっと難しくなっておりました。それでも、季語をきっかけに文章を書くことは、度々私

もっとみる
百千鳥

百千鳥

小学校も始まったようで、初々しいランドセル姿も見かけるようになった。私の小学校では、集団登校をするのは、新入生が入りたてのいくらかの期間だけで、普段は各自で自由に通学をしていた。私は、そのころより一人で登校するのが好きだった。ませた子供だったので、昔から友達付き合いは上手だったけれど、学校までの1キロちょっとの道のりを、一人で歩く時間が大好きだった。その暫くの間、私の思考は遠く空を駆けていた。頭の

もっとみる
茎立

茎立

春、温かい日が続いて、大根や蕪などの花茎がぐんぐん伸びることを「茎立(くくたち)」という。一般的には、「薹(とう)が立つ」という言い方のほうが馴染みが深いか。つい、袋入りで買った人参なんかを使いきれず、鬆(す)が入るまで置いてしまった時とかは、申し訳なく思う。

薹(とう)が立つ。でも、この表現はあまり好きじゃない。
なんでって、人に使う輩がいるからだ。

大根や蕪だって、いかに太陽を効率よく受け

もっとみる

彼岸

今回、希死念慮について語っております。
苦手な方は、本日は対岸にてお待ち頂ければ。
「暑さ寒さも彼岸まで。」お身体にご自愛くださいますよう。

******

あるミュージシャンが、高所恐怖症だと言っていた。高いところが苦手なのではなく、うっかり飛びそうになるからだと。
それを聞いた時、その衝動を表す言葉を持ち得ていなかった私は、大変に納得してしまった。

書類の端に高確率でしにたいと何度も書き殴

もっとみる
涅槃西風

涅槃西風

涅槃会、陰暦二月十五日は釈迦の入滅の日にあたり、この頃に吹く風を事を「涅槃西風(ねはんにし)」と呼ぶ。この西風は、西方浄土から現世に吹く風と言われているとか。

お供えとなる涅槃団子は限られた地方の風習で、呼び方もまた地域で異なるらしい。寺で撒かれるカラフルな団子を祖母が拾ってきて、うちでは、ストーブの上のアルミホイルや餅網で焼いて食べていた。火が入ると、つるりとした表面にはこんがりと焦げが付き、

もっとみる
揚雲雀

揚雲雀

シンプルに引かれた線ほど、美しいものはない。

美大予備校に通っていた頃の記憶は、年月を経ても、未だに鋭敏な感覚として身体に残っている。

ぴんと水張りされたケント紙と糊の匂い。
デッサン特有のカッターで抉り取られた鉛筆の切先。
塗り込められた画用紙の、ざらつきに微かに残る白。

モチーフにかざすデスケルの枠に囚われて、
目の前のキャンバスに向かうふりをして、
悶々と自分と対峙していたあの頃。

もっとみる
旧正月

旧正月

私は時折、廃れてしまった風習や、失われつつある言葉のことを思案して、何とも形容し難い気分に浸ることがある。
それは、シャッターが並ぶ商店街を見やる時のような、郷愁に近いが、よりどこか物悲しく、それでいてある種の諦観が入り混じる感情。

例えば、私は方言も消えゆく言葉の一つだと思っている。
祖母が使っていた言い廻しは、私にとって意味は分かるが、自らが使うことのない言葉の羅列。母ですら用いないそれらは

もっとみる