成功しないことも、それはそれで幸せ。
成功って、なんでしょうね?
今回も意味を掲載してから、考えてみることとします。
【成功】せいこう
1 物事を目的どおりに成し遂げること。
2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。
(デジタル大辞泉より)
私たちは、社会性を身につける過程で、いつの間にか「物事を目的どおりに成し遂げること」から「物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること」に成功の意味を置き換えているように感じます。
つまり、例えるなら、スモールサクセス(スモールウィン)で小さな目標を達成することは社会的地位や名声などを得ることにつながる、といった文言に何も疑問を抱かなくなってしまっている状態です。
本来の成功者や成功体験とは、挑戦し、成し遂げることができたという事実だけを指してもいいはず。
にもかかわらず、社会的地位や名声がなければ成功とは呼ばないという風潮に、あなたは疑問に感じませんか?
ということで、今回は成功について書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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以前に、成功者についての書籍を読んだことがあります。
それは成功者と呼ばれる人たちの年齢にまつわる書籍でした。
10代や20代といった若い世代が成功者を目指す意思を持つことは、あってしかるべきだと思っています。
ビジネス面でもプライベート面でも、それぞれに思い描く成功者像があり、その為に何が必要かを見極めてライフプランを設計していくことは、中長期的な視点を養い、実りある人生を歩むきっかけになると思います。
しかし、若くして社会的地位や名声を手に入れたい、早期リタイアして悠々自適な生活を送りたい、といった思想に価値観を引きずられると、生きづらくなっていくだけではないかと私は危惧しています。
人生100年時代と言われている現代において、若くして成功者となった場合、長い下り坂が待っていると考えたりしないのか?
意地悪な質問かもしれませんが、若い世代の方には尋ねてみたい気がします。
これは、私自身が若い頃に社会的地位や名声を獲得したいと考え、長い下り坂ではなく急斜面を転がり落ちたからこその老婆心から来る意見に過ぎません。
若くして何十年も成功し続けている方も、多く存在しているのも事実なのですから。
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急斜面を転げ落ちたことで、私は「物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること」について、自分には無理なことと気づくことができました。
今現在、この挫折は悔いるどころか感謝すべき経験だと思っています。
なぜなら、「物事を目的どおりに成し遂げること」のみを成功の意味に据えたことで、結果的に自己効力感が揺らぐことが無くなったからです。
また、失敗することがあっても、社会的地位や名声といった欲が色眼鏡となって事実を曇らせることもないので、「なぜ成し遂げられなかったのか?」に対して、素直に向き合うことができていると感じているからです。
もちろん、人間ですから今でも社会的地位や名声に対する欲が、ひょっこり現れることもありますが、過去の挫折が増長しそうな自我を上手に抑えてくれている感じです。
成功とは何であるのか?
自分自身に与えたハードルを、きちんと跳ぶこと。
そして、転んでも立ち上がり、再び挑む勇気を持つこと。
だからこそ、成功しなくても、それはそれで幸せなんです。
それは成功の途中というだけなのですから…。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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