スモールステップと習慣化は相性が悪い
スモールステップとは、目標を細かく分け、かんたんな内容から少しずつ達成していくこと。
あくまでも個人的な見解ですが、少なくとも私にはスモールステップで習慣となったモノがありません。
そんな私がnoteで毎日の投稿を続けているのには、ワケがあります。
今回は、スモールステップという手法と習慣化が、実は相性が悪いのではないか?という私見で話を進めていこうと思います。
読み終わったとき、共感いただけるのか反証されるのか分かりませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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まずはじめに、先ほどのサイトでも例示されている、読書について考えてみましょう。
「毎日の読書」が最終目標の場合、まずは「毎日本に触れる」点を最初の目標として習慣化します。毎日本に触れる点が習慣化したら、あとは本を開いて少しずつ読み続けるだけ。
…少し前に、下記の記事を投稿しました。
過去記事を読んでもらう必要はありませんが、そもそも論として「毎日の読書」という目標自体がおかしくないですか?という話です。
読書と言っても、本のジャンルは幾つもあります。
小説は読めるけど、哲学書が読めない人もいるでしょうし、ビジネス書が読めなくても、マンガだったら読み続けられる人もいることでしょう。
読書とは、基本的には学びの機会です。
何を学ぶかは人それぞれであり、学びたいジャンルを読むのでしょうが、これは知識を増やしたい、あるいは、感情を掻き立てる経験をしたいということが最終目標となるのであり、読書自体は手段に過ぎません。
にもかかわらず、読書という行為そのものを目標とするのならば、求めるモノは何なのでしょうか?
また、穿った見方をすれば、「毎日、本に触れる」といった行為をしてまで読書をする必要があるのでしょうか?
必要な情報がそこに在るのならば、人は「本に触れる」などではなく、貪るように読み漁りますし、そうでないのなら、単純にその本があなたに向いていないというだけだと思うのです。
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私個人の話をさせていただくと、毎日の習慣となっているものは、ある日を境に突如として習慣化されたモノばかりです。
例えば、10年以上続いていた喫煙生活は、現在の通信制大学への進学を決めた瞬間からピタリと禁煙することができています。
また、noteでの連続投稿も、アカウントを作成してからずっと続いています。
とは言え、私もスモールステップで習慣化を試みたモノも幾つかあります。
…ですが、どれも続いてはいません。
これは、行動することと継続することが、全く別の動作だから起こる歪みだと私は考えています。
スモールステップとは、タスクやノルマにおいて活用できるものであり、習慣化するものとは、自分の欲求と連結しているので、段階的な動作など不要だということだと思っています。
タスクやノルマは、自分が求めていなくとも発生します。
そのような気の乗らない作業に対し、達成目標や成果目標を定め行動する際に、スモールステップの理論は大いに役立つことでしょう。
一方で、アニメが好きな人が、原作のラノベを読むのにスモールステップを踏むとは私には思えません。
それは、自らが求めているモノに対しては、むしろ抑制する力が必要なほど、人はのめり込むことができるからです。
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スモールステップとは、最初は教育現場で使われていたそうです。
今回挙げているスモールステップに限らず、さまざまな理論や手法が、別の分野においても応用が利くとして、採り上げられることがあります。
ゲーム理論やカオス理論などは典型例かもしれませんね。
ですが、それは応用が利くというだけで、絶対的な方程式には成り得ないのです。
現代は情報に溢れています。
情報は、ときに事実と真実を履き違えてしまいます。
スモールステップで習慣化できる人もいるでしょう。
しかし、それだけが正解ではないはずです。
数多くのメディアに登場する学者が、自分の専門分野以外では凡人に過ぎないにもかかわらず、肩書から実力以上のモノを期待される光景を見たことはないでしょうか?
社会に流布されている数々の理論や手法も、絶対的なものではないのです。
私たちはつい、そのようなモノにすがってしまいますが、それは考えることを放棄していることと同義ではないのでしょうか?
読書を通して、書いてあることを鵜呑みにするだけでなく、実証し、自分の考えを上乗せする作業をしてこそ、学びはあるのです。
固定観念となっている価値観を見直し、改めて、あなたに適した習慣化するメソッドを構築してみてはいかがでしょうか?
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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