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歴史が原点

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昔から趣味を聞かれると『歴史』と『嫁』って言ってます その『好きな歴史』について書いています よかったら見てやって下さい
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#学び

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その3=分析と提案

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その3=分析と提案

前回の続きです。
今日は今回の本題である『現状位置把握と提案』についてです。

『法』についてお話しようかと思いましたが、辿り着けませんでした。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回はプレゼンについてお話しました。

✅観点✅現状把握
その頃の秦国といえば、『西の外れにある夷狄(いてき)の国』とみられていました。
というのは風習も夷狄に近く、例えば『妻の共有』というのが挙げられます。

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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その2=仕官(プレゼン)

秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その2=仕官(プレゼン)

前回の続きです。
今日は商鞅にその後とプレゼンについてです。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回の記事はこちらです。

▶️そして、そして。
✅秦と商鞅秦はその昔、『春秋五覇』に数えられる秦の基礎を築いたとされる『穆公(ぼくこう)』が没した際に多くの有能な家臣が殉死をしたため国力がその後低下していました。
それが紀元前650年くらいです。

春秋五覇とは、先に紹介した『管仲』が使え

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商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その3(投資)

商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その3(投資)

こんにちは。
ケイジ4世の歴史のターンです。

▼前回の関連記事はこちら

大国秦の丞相にまでなった『呂不韋』ですが、その後もその才能を遺憾なく発揮しています。

秦王についた『荘襄王(そうじょうおう)』は周王朝を即位一年目で攻撃し、800年続いた周王朝の歴史に幕を閉じさせています。
これも呂不韋の助言によるものとされています。
また、趙に残された趙姫と嬴政(えいせい)を呼び戻します。

人質生活

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