【私の仕事】 忘備録(1)「貿易業務サポート」「広告動画制作」「銘板製造販売」
はじめに
鬱になり会社を辞めましたが現在はとっても元気に生きてます。心の整理のためにnoteを始めます。どの記事も有料にはしません。全てノンフィクション、実話です。自分のために【忘備録】として書きます。
人種的な差別や特定の人の中傷などの記事ではありません。また、中国、中国人、韓国人などの話が出てきますが、良い印象も悪い印象もありません。
実際に体験したことを書きます。僕のnote記事で少しでも何かの役に立って頂ければ幸甚です。また、記事や画像はご自由にコピーして使って頂いて結構です。
記事について
大きく下記の3つくらいになります。
● 整体店・女性エステ店を経営する中国人との出来事
● 広告を制作する側から見た中国メンズエステ店の実態
● 過去と現在の仕事を通して語学「日本語、英語、ドイツ語、中国語」に関する発見や思うこと
【阪本研究所】 SK laboratory
私は、個人経営で「阪本研究所」SK laboratory の代表をしています。次の3種類の仕事、「貿易業務サポート」「広告動画制作」「銘板製造販売」をしています。
会社を退職し自分でこの阪本研究所を始めるとき、貿易が40%、広告が30%、銘板が30%の仕事の割合が目標でした。
しかしながら、この約1年程で、この割合が大きく変化し、現在、広告動画制作が60%くらいです。
【動画制作】 一般企業 ➡ 整体店 ➡ メンズエステ
会社を辞めて個人で仕事をするまでの出来事と現在の状況を書きます。
特に「広告動画制作」についてたくさんの出来事がありました。一般企業の広告動画制作をしていましたが、ちょっとしたきっかけで、中国人が経営するメンズエステ店のYouTube動画制作がメインになりました。
その関係の仕事と日々起こる様々出来事を詳しく書いていきます。おそらく100記事以上になると思います。
ネットサーフィン
「うつ病」で会社を辞めました。会社を辞めてすぐの頃は、精神的に落ち込んで元気がなく、必要な場合は外出することもありましたが、基本的には、「ひきこもり」になっていました。
それでも、何もしていないことに焦りがあって、「何かしなければ。。」という強迫観念から、新しい仕事のアイデア探しのため、家で一人、一日中ネットサーフィンをしていました。
そんなとき、「メ●●リ」、「楽●●●●マ(旧●●●)」を知るようになりました。とにかく、気分を一新したかったので、自分の部屋にある不要な物、大事にしていた物まで、毎日、売って、売って、売りまくりました。
ネット販売のノウハウを持っていたわけではありません。安くしたから売れただけです。半年くらいで部屋の大掃除が完了。売ったのは、CD、VHSビデオ、ラジカセ、古いiPhoneなど。
毎日ネット販売していると売り方のコツもつかんだし、トラブルも多々経験して、色々勉強になりました。今の自分のサイトには売れ残ったものが掲載されているだけ。それでも、たまに売れて、梱包し、郵便局から送ることがあります。
ネットで個人売買するには、やはり「●●マ」より「メ●●リ」のほうがよく売れると実感。
スキルマーケット
部屋がすっかり片付いて綺麗になった後は、「あなたの得意やスキルを出品」がキャッチフレーズの「コ●●ラ」をしました。
個人経営をしてる方のホームページを動画にしてYouTubeへアップし、それを数個の自分のSNSで拡散した。SNSは当時、複数保有することができました。今は、年々、規則も厳しくなり、一日に同じ広告記事を何回も拡散することはできないです。
「コ●●ラ」で動画制作+拡散は、本当にヒットしました。1つ制作するのを最低金額の500円にしたので、注文数は多かったです。受注実績が増えれば、上位に掲載されるので、さらに注文が増えました。
「コ●●ラ」は素晴らしいシステム。「英文契約書を作成」も同時に掲載しましたが、こちらは質問ばかりでまったく受注しなかったです。やり方が下手だったのでしょう。
動画制作の方は、大手のタクシー会社、全国展開の掃除会社から毎日、複数注文が入るようになりました。時々、200、300個作って欲しいと、依頼がきました。
嬉しいけど、だんだんと、制作作業がしんどくなってきました。1人で24時間体制でやっていたので、いつも睡眠不足になりました。それでも常に注文が切れることはなかったので、嬉しくいつもハイテンションでした。
あるとき、いつも大量に注文を頂く大手会社の担当の方が、コ●●ラでは、依頼するにも時間と手間がかかるので、直接、僕と取引をしたいと申し出がありました。
こちらも受注時と入金されたお金を引き出すとき、手数料が取られるので、その担当者と直接取引することを決め、「コ●●ラ」をやめてしまいました。やめたい気持ちもあったので、やめるきっかけができて嬉しかった。
でも、実際はもっと大変になりました。その担当者に自分の銀行の振込先だけ連絡しておくと、ある日、何の連絡もなく、大金が振り込まれました。すぐに電話があって「至急、動画300個お願いします。いや、500個。」と。。
自分としては、動画制作の仕事をしてから、ゆっくりと分割して入金してもらおうと考えていたので、いきなり大金が入金されると予定が大きく狂ってしまいました。その年は、税金の関係で出来る限り、儲かってないようにしたかったのです。
この頃は、「うつ病」で会社を辞めて、まだ1年も経っていないので、毎日、精神安定剤を飲んでいました。急に忙しくなるのも嬉しい反面、急にしんどくなったり、理由もなく気分が急に落ち込んだりしました。
パソコン環境整備
一生懸命、動画を制作し、SNSで拡散、24時間、外出せず自宅で仕事をしました。もらうお金はラサリーマンをしていた頃よりもいいかもしれない。。。いや、24時間で割ったら、時間給は変わらない。
一日中、パソコンを使って一人で大量の映像処理の作業。
目が強烈に痛い ➡ 肩が凝る ➡ 頭痛がする。
パソコンも動画制作に耐えるハイスペックパソコンを4台購入。外出せず常に自分の部屋で仕事をしていました。
夏の暑い日、冬の寒い日は、サラリーマン時代の電車通勤のことを考えると幸せに感じた。パソコン画面のすぐ横の窓から、駅まで急いで歩く人たちを眺めた。
正式な「出張マッサージ」
毎日ずっと椅子に座ってパソコンに向かい合って、動画編集をするので目と腰が痛い。儲かってきたのでお金に余裕が出てきた。外出しないのでお金を使うこともなく、贅沢といえば、近所のマッサージを家に呼ぶようになりました。
動画編集の仕事は24時間、ネットを通して注文が入るので、マッサージ店までいく時間がもったいなくて行けない。マッサージ師さんを家に来てもらうことにした。いわゆる「出張マッサージ」ではなく、こちらの無理なお願いなので、マッサージ代金は通常よりも高額。
施術してもらうと毎回、すごく疲れている身体がすっきりするのが癖になり、動画編集で儲けたお金の半分くらいを日々のマッサージに使うようになった。
儲けたらマッサージに使う。身体が元気になって、また仕事で儲ける。また疲れてマッサージ。。この繰り返し。
いったい何のために仕事をやっているのだろう。。 現役のサラリーマン時代の若い頃を思い出す。。
お正月も盆もなく、海外出張ばかりで、帰国したらすぐ溜まっている国内の仕事を処理して。。。
会社帰りに深夜までやっているマッサージ店へ行って元気を取り戻して、また遅くまで仕事して。。。また、マッサージに行って。。。
会社を辞める以前からスーパー銭湯によく行って、そこでマッサージをしてもらっていた。
これでは、サラリーマン現役のときと同じだ。。。
ツイッター規制強化
ある日、マッサージ師を呼ぶ必要がなくなりました。ツイッターの規則が厳しくなり、動画制作+拡散の仕事ができなくなったのです。アカウントを複数もつことも難しくなり、意図的に広告に誘導する内容を、短期間に拡散することは規則違反となりました。
自分でも、もうそろそろ止めたかったので、これで動画編集、SNSでの拡散の仕事を止める理由ができた。。もうお金は入金されないけど、内心ほっとした。
◆上記ネット、SNSの状況は2019年頃の話です。現在は状況が大きく変化しています。
ひきだし
今まで「ひきこもり」のような自分部屋で長時間する仕事だったので、仕事がなくなって、その反動で、「ひきだし」になりました。
個人で自宅でするネットの仕事は、家が会社であり、部屋が職場と同じ。
勇気を出して、一度、外出すると、自分の部屋に戻りたくない気持ちになりました。帰るのが嫌。ずっと外出中。
ぼっちサイクリング
出来るだけ外にいたいので、自転車を買って、「社寺仏閣巡り」を始めました。もう動画制作の仕事をしなくていいので遊ぶ時間はいくらでもありました。
会社に勤めている頃から趣味で「社寺仏閣巡り」をしていました。とくに神社が好きなので自転車で、毎日、出来るだけ遠くへ行きました。本当に楽しく、運動にもなり、体調がとてもよくなりました。
「社寺仏閣巡り」した内容を毎日、WORDPRESSで記事を書きました
社寺仏閣巡りも毎日、遠くまで自転車で巡っていると、さすがに身体が疲れて時々、大阪府内の公園で休憩しました。
精神も休めたいとも思いました。「自分は本当は何をしたいのだろう? 何をしたかったのだろう? 子供の頃のなりたい夢は何だったのだろう?」と考え始めました。
そして、突然、ひどい「空虚感」になることもありました。こんなことをしてていいのかな?いつまで続けることができるかな?
ある日、大阪市内の上町台近くの小高い山にある公園で休んでました。その場所から数メートルある下へ飛び降りようと思ったことがありました。
なぜか突然、そのような気持ちになるので、怖くなって、その公園には近づかなくなりました。
この時期は、安定剤を飲んでいましたが、気分が上がったり下がったりが続いていました。
鬱について
個人的な見解です。一度、鬱になった人は完全に治ることはないと思います。いつかまた繰り返すと思います。でも、また次に鬱になる時が、1年後、3年後、5年後、10年後、20年後・・・と、自分の気持ちの次第で、できるだけ後ろに持ってていけると思うのです。それが50年後であれは、ラッキーです。
「なんとか頑張って鬱を克服するそ!」と気合が入るとしんどいです。
僕は今までの自分とは異なる業界の人たちと関わって、自分が鬱だったことを忘れてしまいました。
エステ店の中国人ママさんたちと関わったドタバタ物語を書いていきます。
陳腐な内容ですが、「忘備録」を読んでもらって鬱の人が鬱であることを少しでも忘れて頂ければ嬉しいです。
【私の仕事】 忘備録(2)メンズエステ店「女神」へつづく。。
*このnoteで書いてある記事はすべて実話です。「忘備録」として自分のために書いています。
◆ご注意:一部の記事はnoteのシステムによって18歳以上向けに分類されています。この記事も含めすべて18歳以上向けです。