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『「介護時間」の光景』(176)「声」。10.5.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年10月5日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年10月5日」のことです。終盤に、今日「2023年10月5日」のことを書いています。

(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

 その頃のことです。

2001年10月5日

『午後4時15分頃、病院に着く。
 
 母が話をしてくれたのは夢のことと、現実が混じっているようだった。

「永井家風の映画を見たのよ。川端康成も出ていて、でも、戦争の頃を思い出したのよ」

 そういいながら、楽しそうだった。

 昔の映画をビデオで珍しく、見たらしい。ただそれが永井荷風の映画かは、わからなかった。

 内科医が来て「肝臓のハレがひきました」というような話をして去っていった。 

 詳細はわからなかった。

 午後5時頃、母の友人に電話をする。

 母は喜んでいるけれど、「退院できないの?」といった話になっているようで、私が代わった時も、「退院は?」と聞かれ、詰問されているような気持ちになった。

 でも、母は電話でも話せて喜んでいて、よかったと思う。

 しばらく経ったら、それでも微妙な顔になってきて、なんだか割り切れない顔になってきたので、今度は、電話をかけるのも考えたほうがいいかもしれない。

 私も、話の中で心臓の病気になってしまったせいか「あなたもお大事にね。私も経験あるけど」と言われて、なんだかモヤモヤしてしまう。

 それでも、「気分が明るくなった」という話はしてくれて、ただ、緊張したせいか、何度もトイレに行く。20分で3回もトイレに行っていた。

 大丈夫かと思ってしまった。

 午後5時35分から夕食。

 疲れて眠い、という話をしていたけれど、食事の途中で、少し寝ていた。どうしようかと思う頃に目を覚ましてくれて、それで、50分かけて、食事が終わった。

 自分の胸が少し苦しい気がする。

 退院、退院と聞いて、責められているようで、じわじわと気持ちが追い詰められるようで、ちょっと心臓が苦しいような感覚になってくる。

 心房細動の発作を起こしてから1年が経ったけれど、完全に治るわけではない。

 午後6時25分に食事が終わって、すぐにトイレに行く。

 弟の話をすると、「忙しいから、母の日かに何かには来るでしょう。バラとかを持って---」

 というような言い方を母はしている。今は、10月だけど、感覚的には、たまに来てくれれば、という感じになっているようで、それは、そのくらいの方がいいのかもしれない、と思った。

 午後7時頃、病院を出た』。

 病院を出て、少し広い道路を横切るまでは、かなり細い道で、左右は林なので、月があまり明るくないと、とても暗い。

 こういう黒さは、やっぱりまだ新鮮で、秋の虫の声も大きい。

 歩いて、移動していても、その大きい声は続いていて、道路を渡るときには、あまり聞こえなくなって、また、送迎バスに乗るために、違う病院の前まで細い道を歩いていると、虫の声が、また聞こえる。

 当たり前だけど、さっきの道路のそばとは全く違うはずなのに、その声の響きはとても似ていて、などと思っていたら、まだ秋の真っ盛りのはずなのに、何だか、声が少し弱くなったような気がした。

 それこそ、気のせいかもしれない。

                       (2001年10月5日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。

 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年10月5日

 昨日は雨が降って、気温も低く、急に季節が進んでいくようになった。

 洗濯ができなかったので、たまった洗濯物を洗濯機に入れる。

 空気が変わっているのが、わかる。
 晴れてくると、秋晴れという感じになってきた。

 あれだけ暑かったけれど、当たり前だけど、だんだん寒くなっていくのかと思うと、毎年の変化だけど、なんだか不思議な気持ちにもなる。

ケアという言葉

 朝、一度は起きて、このまま起きようと思ったのだけど、なんとなく疲れがあって、また少し眠った。こういうときは、気をつけないと体調を崩してしまう。

 だから、今日、「ケア」をテーマにした講演があって、調子が良ければ見にいこうと思っていたのだけど、迷って、行くのをやめて、そのことを妻に伝える。

 このところ「ケア」という言葉を使う人が多くなって、さまざまな分野で語られるようになって、だから、広く使われる方が、少しでも介護にも理解が深まるのではないか、と思って、この連続講座にも2度ほど行った。

 ただ、微妙に気持ちが行き詰るような感じがしていた。

 ケアの思想といったことは語られて、それはとても意味があるとは思うのだけど、私にとっては、元々は「介護≒ケア」であって、だから、高齢者介護は、「ケア」を語る際にも欠かせないものだと思っているのに、あちこちで目にするケアを語る言葉を聞いた時の、もやもやした感じは、その高齢者介護に関して、ほとんど触れられていないからだった。

 特に介護をする人たちのことが、ほとんど語られていなくて、そのことにとても割り切れない思いになっていたからだ。

 それと同様なことを、この講座でも感じていて、それでも、自分の理解も足りなくて、もう少し参加すれば違ってくるのではないか、という気持ちもあった。

 だけど、今日のように体調が微妙に良くないときにでも出かけて、そして、そこに参加することで、それで自分の力にもなるような気がしていないので、それで、出かける気持ちが下がってしまったのだと思った。

 それに、まだコロナ感染を恐れる気持ちはあって、体調が良くないときは、なるべく外出を避けた方がいいという気持ちもあった。次の講座があったら、どうするか、そのときに考えようと思う。

 昨日までは、夜に出かけて、その講演に行って、外で食事も摂ろうと思っていて、妻にそんな話をしていたので、予定が変わることになってしまうので、ちょっと申し訳ない気持ちにもなる。

 ただ、涼しくなってきたので、これまで暑いときには、なんとなく使いづらかった布団乾燥機をかけることにした。

 スイッチを入れるとき、「夏用」と「冬用」があるのだけど、文字が小さく、老眼では見えにくいので、メガネを持ってきて、セッティングをした。

 少し大きい音がする。
 熱い空気が送り込まれ、掛け布団が持ち上げられていく。

彼岸花

 庭に、一輪だけ彼岸花が咲いている。

 妻が、この花は、茎がいつの間にかシューっと伸びて、ツボミができて、花が咲くから、少し不思議、といった言い方をしていて、確かに、その咲き方は、桜と似ているのかもしれないと思って、その独特さに改めて気づく。

 それにしても、色も鮮やかだし、形も、余分としか思えない装飾的な花を咲かせているから、この季節はやっぱり目立つし、彼岸花というような名前も含めて、独特さが増しているように思う。

 今日は、その彼岸花が、傾いていた。

 このまま枯れてしまうのだろうかと思っていたら、妻が庭に出て、その彼岸花の根本からハサミで切って、花びんに入れた。

 そして、そのスケッチを始める。

 このままだと枯れてしまうから、今のうちに描いておこうと思って、ということだった。

 確かに花が咲いている時間は、それほど長くないけれど、関心が薄いと、枯れていくことにも気がつきにくいとは思った。

 最近は、日が暮れるのが、確実に早くなっている。



(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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