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『「介護時間」の光景』(153)「くさり」。4.19.

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年4月19日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年4月19日」のことです。終盤に、今日、「2023年4月19日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2002年の頃


 とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の4月頃だったかもしれません。

 そのころの記録です。

2002年4月19日

『今日は、母の病院に行く前に、その近くの病院に行く。
 自分の心臓の病気の診察のために、通っている。
 1か月前の尿検査、血液検査での結果も聞いた。問題はないそうだ。

 以前、母の病院にいた人が、この病院に移っていて、私のことを覚えていてくれた。

 そこから、またバスに乗る。
 母の病院に、午後3時40分頃に着く。

 お菓子の入れ物に、カセットテープも、化粧品も、全部、置いてあった。

 午後4時55分に、母はトイレへ行く。

 母の髪の毛を少し切った。

 食事は、35分かかる。
 そのあと、母はすぐにトイレへ行く。

 いろいろと入れ物を持ってきて、いろいろな小物を入れるために、それを見せて気になったみたいだけど、いらないと断わられる。その断り方の、そっけないのが、余計に、気になる。

 病院のスタッフに聞かれて「トイレ14回。夜2回」と、また言っている。

 母が書いたメモが見える。

「トルシェかんとく、どろぼう入った。お気の毒」

 そんなことが書いてある。

「昨日、院長さんが来て、快調ですよ、と言われたのよ」

 そんなことを言いながら、元気そうで、よかったけれど、なんだか複雑な気持ちになる。

 午後7時に病院を出る。
 少し肌寒いので、セーターを着る。

 明日と、あさって、この地元のお祭りがあると聞いた』。


くさり

 家の風呂のせんのくさりが切れた。

 フタに近い根元のところは千切れたようになっていた。使えなかった。真ん中の部分は黄色い、たぶん水に強い釣り糸のようなものでグルグル巻きになっていて、くさりがたばねてあった。

 糸をほどくと、まだ一度も使っていないような銀色をしたくさりだった。風呂の栓とつなぐ部分もあった。

 今まで、途中で千切れたくさりと、完全なくさりを黄色い釣り糸でつなげていて、壊れたのは、元々、途中までしかないくさりだった。

 だから、今日初めて、そのグルグル巻きになっていたくさりを使うことになった。栓とつないだ。新しいのは買わなくてすんだ。

 この不自然な形で何年使っていたのだろう。もし、亡くなった義父が、この作業をしていたとしたら、もう10年以上はたっている。

                         (2002年4月19日)


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年4月19日。

 天気がいい。

 洗濯物が少ないので、今日は、洗濯をするのをやめる。

庭の花

 季節が進んで、柿の木がきれいに緑で覆われてきたが、庭の花も咲いてきた。

 妻に呼ばれて、見た花は、シンビジウムという花だった。

 知人からいただいた鉢で、それを、妻が、そのままさらに火鉢に入れ替えて、ツボミが最近、ふくらんできて、いつ咲くんだろうと思っていて、それが、やっと咲いたので、私にも教えてくれた。

 白い品がある花だった。

 と思っていたら、妻にとっては、淡い黄緑色、と修正された。

 他にも、雑草も含めて、いろいろな花が咲いていて、いつの間にかその種類も増えていた。

ドラマ

 今日は、妻の筋トレの日だったので、それに付き合い、そのあと録画していたドラマを妻と一緒に見る。

   うちではアンテナもなく、BSは見られないので、こうして総合テレビで再放送しているのを見ている。大相撲があると、比較的長い時間、放送が休みになるので、全8回なのに、随分と長い期間をかけて見ていて、今日は、第6回だった。

  主演の山本耕史は、ここ数年で「シン・ウルトラマン」では、メフィラス星人という存在の腹黒さを見事に演じたあと、ドラマではしぶとい悪役をこなし、さらに時代劇の主役もしているから、急激に幅の広い俳優になっている印象がある。そして、舘ひろしも出演していて、まだ、現役で、それも、その雰囲気も変わらないから感心もしていた。

 最初は、肩の凝らない「時代劇」だと思っていたが、途中から、人の宿命や業といった重いテーマも絡んできて、妻は、見ながら泣いていた。そのタイトルが、「地獄」に関係しているらしいことも、今回で初めて知る。

 あと2回で、終わる。

買い物

 そのあと、買い物に行く。

 2軒のスーパーに寄って、メモを見て、いろいろと買った。レジの近くで、荷物を運ぶこと自体に苦戦している高齢者がいた。少し手伝ったのだけど、こういう時に、買い物を頼んだりできるシステムがあればいいのに、とは思った。







(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。


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