『「介護時間」の光景』(192)「しだれ」。2.4。
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年2月4日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年2月4日」のことです。終盤に、今日、「2024年2月4日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2007年の頃
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
そのまま、介護は続けていたのですが、そういう生活が4年続いた頃、母の症状が落ち着いてきました。
そのため、それまで全く考えられなかった自分の未来のことまで、少し考えられるようになったのですが、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんはおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。
そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていましたし、2007年の2月にも、熱海に旅行に行く予定を立てていました。
母の体調は、それほどいいわけでもなく、そのせいか、ほぼ毎日、病院に通っていました。
2007年2月4日。
『今月の中旬には、母を連れて熱海に行く予定になっている。
その準備をしないと、と変に焦る。
午後4時過ぎのいつもの送迎バスに、病院の最寄駅から少し歩いて乗れた。
夕食は35分かけて、6割くらい食べた。昨日よりも、少し多く食べてくれて、少しうれしい。
母のツメを切った。
自分の左のまぶたがピクピクしているのがわかる。
自分が少し強くなったと思っても、でも、ちょっとしたことですぐ辛さに負けることを、改めて知った気持ちになる。
明日は休むと母に伝えて、午後7時に病院を出る。
最近、病院でのレクリエーションや行事が減っていると聞いて、いろいろと大変なのだろうと思う』
しだれ
電車の中から毎日のように見ている県境の河川敷。
川を渡る時、川のふちに何本も柳がある。
しだれている。
柳だから当たり前なのだけど、そのしだれ方が、弱い風のためか、下のところは微妙に毛先がはねるみたいにちょっとだけ上がっていながら、全体はしだれている。
柳は、何本も並んでいて、一斉に同じ角度に揃っていた。
改めて見ると柳の枝は細かった。それなのに、今、風のせいで枝の角度が少し上がっているだけなのに、そのまま固まって動かないほど頑丈な物質のようにも見えた。
それは、電車に乗っている、ほんの数十秒の事だった。
しだれ、って、こういう時にしか使わない、と思った。
(2007年2月4日)
母は、2007年の5月に病院で亡くなった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2024年2月4日
寒い。
東京地方だから、本当に寒い地域に比べたら、とても寒いとは言えないかもれれないけれど、やっぱり寒い。
その上で、雪の予報が出たりすると、その寒さがとても強いのがわかるから、ちょっと怖くなる。
明日も、雪が降るかもしれないし、午前中には雨も降っていたいみたいだし、洗濯をしようかどうか迷って、その気温の低さに、洗濯物が乾くわけはないのでは、と妻に指摘され、洗濯機を回すのをやめる。
とはいっても、おそらく明日もあさっても、洗濯をするのは難しそうだから、洗濯物がたまってしまうのが気になるが、でも、仕方がない。
気温
今日は、午後から出かけようと思っていた。
情報としては遅いのだけど、去年からその存在を知ったギャラリーがあって、学生時代によく行った街でもあるので、勝手に気持ちのなじみがあって、そこで扱っている作家も、比較的若く、そうした選択に対して志も感じ、何度か行った。
今日は、作品を展示するだけでなく、トークイベントもあると知り、それに向けて、少し昼食も早くしてもらったのだけど、ちょっと外へ出て、空気が硬く感じるような気温の低さを感じ、気持ちが完全に萎縮してしまった。
そのギャラリーは、最寄りの駅から徒歩7分とあるが、坂道をのぼったときの感覚を思い出し、あのときに、この気温の低さだと、行きはまだしも、トークイベントが終わって、作品を見て、夕方になって、さらに気温が下がる時間帯に、あの坂道を下がることを想像したら、カゼをひくのではと怖くなり、妻と相談して、行くのをやめた。
なんだか、自分が情けない。
老化
最近、読んだ本で、改めて考えさせられた。
著者は、科学者で起業家、という肩書のようだ。
この600ページ近い著書の中で、〝老化は病気である、だから治せるはず〟といった主張をずっと続け、それに対する根拠をあげ続けていたように思えた。
その主張が実現し、本当に「老化」が今よりも劇的に遅れることになれば、認知症になる確率も格段に低くなるはずだし、介護が必要になる人も減るはずだ。
そうなったら、不老長寿、という人類の夢のような状態でもあるのだろうし、確かに社会は変わるのだろうけれど、それが、もし可能になったとしても、おそらく全員に行き渡るような方法ではなく、一部の富裕層だけのものから始まるのだろうと想像できた。
現時点でも、まだ介護者支援にあまり目が向けられていないのに、そういう〝不老長寿〟社会に近づくと、どんな時代になっても存在するであろう支援への注目が、より減るのではないか。
屈折した見方かもしれないけれど、そんなふうに感じた。
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