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介護の言葉⑧「声かけ」

    この「介護の言葉」シリーズでは、家族介護者に対して使われたり、また、介護を考える上で必要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

   今回は、第8回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います。

(私自身の経歴につきましては、ここをクリックしていただければ、概要は伝わると思います)。

介護の言葉⑧「声かけ」

   この「介護の言葉」シリーズでは、前回も(リンクあり)、同じようなことを書いているような気がしますが、今回は、特に、とても個人的な感覚ですし、大勢の人に賛同を得られるような気がしませんので、読んでいただいた上に、もし、ご意見や疑問などがありましたら、お伝えくだされば、うれしいです。

  ただ、この「声かけ」という言葉には、介護の現場などで使われるようになった当初から抵抗感がありました。それを、振り返ることで、この「声かけ」という言葉だけではなく、他にもいろいろなことが考えられるのではないか、と思い、今回、テーマに選ばせてもらいました。

訪問介護員3級 研修最後のあいさつ

 現在、介護のプロの方々に対しては、私は、完全に「ペーパーヘルパー」ですので、お恥ずかしい話ですが、2002年に地元の社会福祉協議会の主催する「訪問介護員3級」の研修を受け、無事に修了ができました。

 その時に、どこでも行われているかどうかわかりませんが、何人かが、修了のあいさつをすることが恒例になっていたようでした。40数名の同期の方々は、ほとんどが私よりも年上の女性の方々で、男性は4人くらい。それも、私がもっとも若い(といっても当時40代ですが)こともあり、周囲の女性の方々から、「男の人が」などと押し出されるようにして、あいさつをすることになりました。

 その時に、この「声かけ」の話題も、少し入れました。
 私が無知なだけでしょうし、実は広く使われていたのかもしれませんが、個人的には、この研修で、「声かけ」という言葉を頻繁に聞くようになりました。

 だけど、この言葉の響きは、「肥かけ」と同じで、子供の頃には、まだ「肥溜め」のあるような地方に住んだこともありましたから、どうしても、そうしたことと重なっていた部分もあります。

 だけど、短い挨拶の中に、そんなにややこしい話を入れることができず、そんな地方の例えをあげたら、笑ってくださる方もいたので、あとは、自分は、この「声かけ」という言葉に対して、微妙に抵抗感があります、といったことを控えめに話すだけで精一杯でした。

 その後、同じ場所で、「訪問介護員2級」の研修もあり、申し込んで受けることができ、それも無事修了できたのですが、その時の「最後のあいさつ」は、3級の時と、メンバーがほぼ一緒だったこともあり、「わたしは、前回、挨拶をさせてもらいましたから、充分です。それに、人前で話すのは、いろいろ嫌かもしれませんが、私は、とてもいい経験だったと思いましたので、どうですか?」と穏やかに主張をし、なんとか女性の同期の方に、あいさつをしてもらいました。

「声かけ」という言葉を聞いた時

 少し話は戻りますが、研修は、今は建て直されてなくなってしまった古い鉄筋の教室で冬から始まりました。

 暖房は石油ストーブで、私は割り当てられた席がそこに近かったせいもあり、講義が終わると、石油を入れることが多かったような日々を過ごしていましたが、年上の女性の方々に声をかけられ、お菓子の交換もするようになり、その交流はその後10年以上続くようになったので、とてもありがたいことだと、今でも思います。

 そして、講義の中で、たとえばベッドの上でシーツを変えるために、要介護者の体位を変えていく時に、こんなことを講師の方に言われました。

まず、「声かけ」をして、不安を取り除いてください。

 この時の講義では、おそらく唯一ほめられた記憶があります。ちゃんと「声かけ」をしていますね、といった言い方だったと思います。

 それは、仕事をやめて、介護に専念してから、3年くらいはたっていて、そういうことに関しては日常だったので、慣れていただけだと思います。そのあと、シーツを素早く交換する作業の時は、ぐずぐずしてしまい、上がった株はあっという間に下がりました。

 それからも、講義などで「声かけ」と言う言葉は、よく聞くようになりました。それは、介護業界のような対人サービスの世界では、普通に使われているようでした。

「声かけ」への抵抗感の理由

 最初から、「声かけ」という言葉への微妙な抵抗感はありました。 

 それは、もしかしたら、個人的な、偏狭な感覚かもしれませんので、今、特に抵抗感もなく使われている方には、ここからは関係ない話になってしまうかもしれませんが、どこかで、そんなかすかな違和感を抱いている方が、もし、いらっしゃったら、読んでいただければ、と思います。

 この研修は、介護が必要になった高齢者を相手として想定したものでした。そうであれば、個人的には、どうしても母親や義母のことをイメージしてしまい、それで体位の変換や、車イスの操作を無意識のうちにしていたと思います。

 そうなると、たとえば「声かけ」という言葉は、普段の介護生活の中で、使いません。妻と二人で、介護をしていたのですが、「今日、声かけした?」という言葉は使ったことがありません。それならば、「今日、声をかけた?」になるはずです。字数もそんなに違いません。

 介護は日常の中にあります。
 日常的な行為を指し示す言葉があるのでしたら、なるべく同じ言葉を使ったほうがいいのではないか。そんなことを思っていたのは、自分が、その時は、何しろ現役の家族介護者であったことが大きいのかもしれません。

 もしも、その時に、仕事として介護に取り組もうと思って、そうした家族介護の経験がなく、その講義を受けていたら、もしかしたら、そういう抵抗感もなかった可能性もあります。

 その時の教室の中に、家族の介護をしながら、ここにきていた人は、私が知った中ではあと2人くらいしかいませんでした。当然のことながら、私も、ここに通えるような、恵まれた介護者でもあった、ということなのだとも思いました。本当に大変であれば、外へ出かけること自体が難しいからです。

進化した「声かけ」

 それからも、「声かけ」に対しての微妙な抵抗感は、ずっとあったのですが、年月がたつほどに、「声かけ」は多く使われるようになり、形も変えていきました。

 最近は、接客業の現場では、「お声がけ」という形にまで「進化」してしまったようでした。この言葉には、丁寧さというよりは、どこか距離をとって、守りを固めすぎているような印象があり、だけど、それはクレームを予防する社会になれば、仕方がないような気もします。

 それでも「声かけ」は、たとえば介護の現場で使うのは、使われ始めてから20年近くたっているので、今、現役の介護の専門家にとっては、自然な言葉になり、私のような抵抗感を持っている人は、もういないのかもしれません。もしかしたら、当初から、抵抗感を持つような人が存在しなかった可能性もあります。

普通に接すること

 それでも時間がたち、臨床心理士となり、介護者の相談を受けるようになり、いろいろな人と接するようになった時に、再び「声かけ」のことを考えるようになったのは、介護の専門家の方の言葉を知るようになってからでした。

 介護の専門家の中でも、かなりのベテランの方になると、「どうやって介護をすればいいですか?」といった質問に対して、どうやら同じような答えをすることを知りました。

「人として、普通に接すること」(※1)

 ただ、これは言葉にするとシンプルですが、特に専門家の方なら、私よりもご存知かと思うのですが、とても難しいことだと思います。
 何も知らないわけでなく、たとえば、認知症への知識や、その介護の経験があった上で、「人として普通に接すること」なのですから、不自然さを潜り抜けた自然さみたいな感じになるのでは、と想像します。

 それでも、自分が出来るかどうかは別として、認知症になったとしても、この「人として、普通に接すること」は、「認知症」が先にくるのではなく、具体的な存在である「〇〇さんが、認知症になった」という接し方になると思われるので、それは、人としての尊重が自然にされる可能性が高くなると思います。

 こうした「人として、普通に接すること」に、少しでも近づこうとすれば、それを意識する、という抽象的な努力だけでは難しく、もう少し具体的な工夫や努力が必要なはずで、その一つが、言葉に気をつけるということではないでしょうか。

 そこで、こじつけというか、自分の感覚に引きつけすぎかもしれませんが、最初の「声かけ」のことに戻ります。

日常的な言葉

「声をかける」と「声かけ」。

 どちらが日常的で普通の言葉かといえば、私は「声をかける」だと思っています。ただ、今は「声かけ」も多用されることによって、なじみが深くなり、人によっては「自然」な場合もあるので、強く主張もできないのですが、それでも、自分が日常で使う言葉を話したほうが、自然に近くなると思います。

 「声かけ」という用語を使うことによって、微妙な距離ができてしまうかもしれない、と思うのは、自分でも考えすぎかもしれないとは思いますが、そういう抵抗感は、今だにあります。

 日常生活の中で、「声をかける」と使っているのであれば、「声をおかけしますね」の方が、「お声がけしますね」よりも、より自然に近づくと思うのですが、いかがでしょうか。

 こうした細かいことから、介護の時の姿勢が微妙に変化するとは思うのですが、今回は、「声かけ」という言葉が、定着しつつある時間に生きてきた人間の感覚でもあるので、すでに「声かけ」という用語が普通に存在している時代に生きている方とは、大きくズレている可能性もあります。

 ですので、他の方に押し付ける気もありませんが、それでも、私は、今のところ、「声をかける」は言葉ですが、「声かけ」は用語という感覚なので、「普通に接する」を目指すのであれば、「声をかける」を使っていきたい気持ちでいます。


 今回は、以上です。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 ご質問、ご意見などございましたら、コメント欄などでお伝えくださると、とてもありがたく思います。よろしくお願いいたします。



〈引用〉  

(※1) 黒川由紀子 上智大名誉教授



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。

介護books⑦「認知症」当事者のことを、より深く理解するための6冊

「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法」④ 怒りが消えた行為

「介護相談」のボランティアをしています。次回は、2020年 11月26日(木)です。

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