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「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法」④ 怒りが消えた行為

 介護が始まってから、いつ終わりが来るか分からない毎日が続いているかと思います。
 介護を受けている方(要介護者)が、できたら、いつまでも生きて欲しい、という気持ちと、同時に、介護が終わってくれないだろうか、という思いは、矛盾せず、どちらも起こってくることだとも思います。

 ただ、そうした両方の思いによって、ご自分を責められたりすることで、より疲労感が増すかもしれません。さらに、今は、それに加えて、感染症のことで、さらに、負担が増えている可能性も高いのでは、と思います。
 その気持ちの状態は、単純ではなく、説明しがたい大変さではないかと推察することしかできないのですが、それでも、ほんの少しでも負担感や、ストレスを減らせるかもしれない方法は、お伝えする努力はしていきたいと思っています。

時間的にも余裕がなく、どこかへ出かけることも出来ない場合がほとんどだと思いますが、この「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」シリーズでは、何回かに分けて、お金も時間も手間もなるべくかけずに、少しでも気持ちを楽にする方法を考えていきたいと思います。少しでも気が向いたら、試してみてもらえたら、幸いです。
 「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法」シリーズ第4回目のテーマは、「怒りが消えた行為」です。


 今回は、ある特定の介護者の方の具体的な例です。

 どなたにでも適応できるかどうかは分かりませんが、この方の話をお聞きした時に、一瞬、不思議な感じもしたのですが、どこか納得できるような気持ちにもなりました。ご本人の承諾を得た上で、紹介させていただきたいと思います。

 介護を続けていくと、介護が終わって欲しい、目の前の介護を受けている要介護者にいなくなってほしい、場合によっては、殺したい、という気持ちに近くなる場合があり、それは、決して珍しくない、ということは、以前、記事にしました。

家族介護者の気持ち③「死んでほしいは、殺意ではない」(クリックすれば、読んでいただけます)

怒りが消えた行為

 今回の家族介護者の方は、その当時で、10年間、ご自分のお母さんの、在宅介護を続けていました。
 そうした時間の中で、ご本人が思っている以上に、負担や負担感は高まり、そして、そうした疲労感の中で、気分転換を行うような気力も、そんなに整わなかったかもしれず、かなり追い詰められていたようです。

 介護は毎日、休まず続けて、食事の支度も、排泄介助も、着替えも、デイサービスへ送り出す支度も続けていて、そんな中で、たとえば、食事への小さな文句や、いつもとは違う母親の失敗などがあると、普段は穏やかな方なのに、ふと強い怒りがわくことがあったそうです。

 母親に対して、「心の中では、このやろう、ばかやろう、死ね」という気持ちが起こってしまうこともあり、それに対して、自分自身でも戸惑うこともあったようです。さらに、実際には、まだひどいことをしていないのに、こんなことを思っていました。
「母さんに乱暴してしまうんじゃないかっていう、恐さが…」

 もう在宅介護は無理かもしれないというような気持ちもあり、今すぐは無理でも、もう施設に入ってもらったほうがいいのでは、とも考えるようになりました。施設入所のための書類をもらってきました。それは、その家族介護者の方にとっては、初めての行為でした。

 書類をもらってきて、今後のことを考えました。
 施設に入れるためには、お金もかかるし、そのためには貯金もして、そのあとの自分の生活も考えて、どのくらいの費用がかかるのか。それで、何年後に入れるのか、そんなことを、具体的に、かなり明確に冷静に考えました。

 その結果、ご本人は意図していなかったことなのですが、気がついたら、母親に対して感じていた「怒り」がなくなっていました。それは、どこかに怒りが消えるような感覚でした。その後は、少し気持ちが大丈夫になったようです。その後も、ずっと在宅介護を続けたのですが、「死ね」と思うような追い詰められ方は、なくなったということでした。

どうして、怒りが消えたのか

 こうしたことを分析するのも失礼だとは思うのですが、できたら少しでも一般化したいので、「どうして、怒りが消えたのか」を、考えていきたいと思います。

 介護を受けている方(要介護者)に対して、いなくなればいいのに、といった思いが起こる場合は、それが相手が憎くての「殺意」とは、かなり違う印象があります。今回も、一見、殺意にも感じるかもしれませんが、それが消えたのは、施設入所を具体的に考えた時に、もしかしたら、一瞬でも、今の、「ずっと続いてきて、これからもいつまで続くか分からない介護環境」が意識の中から消えたせいかもしれません。

 介護をしている相手がいなくなってほしい、という思いは、今の介護を続けている現状がなくなってほしい、という気持ちが強い形で出ているとも考えられます。そのため、外から見ていれば、そんなに大きい変化ではなく見える行為(書類を取り寄せて検討する)ですが、ご本人の中では、それまでしてこなかったことでもあり、それに、具体的な物質として目の前に書類があり、それは、さらに具体的な費用など、考えざるを得ないものとして、そして、実際に施設入所をさせた未来に意識が移っていた可能性があります。
 その時は、穏やかな形ですが、現状は破壊されていた、という見方もできるのではないか、と思います。それで、いなくなってほしい、とまで思い詰めていた怒りも、消えた可能性があります。

家族介護者の「状況の変化」への反応

 この20年間、介護に関わってきて、自分の経験や、他の方の話や経験なども統合して、感じていることは、家族介護者は、変化に弱いかもしれない、ということです。これだけを書くと、かなり失礼なことになりかねないですし、外側から見ての言葉になりすぎますので、もう少し説明を続けます。

 家族介護者は、介護を続けるため、文字通り、魂を削るように介護状況に適応を続けています。変化があると、そのたびに、その介護状況に合わせていき、そのために、毎日の介護は比較的安定する時間も出てきます。それでも、介護者は外から見るよりも、おそらくは心身ともにギリギリの状態で、介護を続けているという印象です。

 そして、日々起こる変化に対して、もちろん適応しているのですが、時おり、その日常的な適応を踏み越えるような「小さい変化」が起こることがあります。それは、本当に、ちょっとしたことなのですが、でも、これまでの毎日では、予想しにくいことだったり、もしくは、体に訴えてくるような生理的な苦痛(匂いや痛み)を伴うようなものだったりすると、反射的に、強い怒りがわいてしまうことがあっても、おかしくありません。

 今回の介護者の、強い怒りも、もしかしたら、こんな「小さい変化」があった時に、発生した可能性があります。

「大きな変化」による、家族介護者の気持ちの変わり方

 それが、施設入所を検討する、といった「大きな変化」の準備だけで、どうして怒りが消えたりしたのでしょうか。

 ここからは、推察に過ぎず、しかも、ご本人でも、全ての理由を説明出来ないような、微妙なことでもあるのですが、それでも、少し考えてみたいと思います。

 日々の「小さい変化」は、介護者の意志とは関係なく起こることで、いわば「状況に振り回されている状態」です。思った通りにいかないのが介護であることは、介護者は身に染みるように分かっているはずですが、それでも、適応し続けてきて、いつも、これ以上は無理だと思えるほどの適応をしていると思います。

 そこに起こる「小さい変化」は、誰が悪いわけでもないのですが、まるで、その介護者の適応の努力に対して、嫌がらせのような、意地悪をされたような気持ちになり、そこで怒りが瞬間的に起こっている可能性もあります。

 さらにいえば、「小さい変化」は、いつもの介護環境の中にいて、起こることに翻弄されていることになっていて、自分が主体になれないことも含まれているので、より負担になるかもしれません。


 それに対して、施設入所を検討するために、書類を取り寄せ、それを目の前にしながら、これからの未来を具体的に考える行為は、「大きな変化」を意識すること、といっていいと思います。

 その上で、まだ準備段階とはいえ、介護者自身が「大きい変化」の決定権を持っている状態です。(実際におこなうかどうかは別にして)。そして、「大きい変化」を本気で思うことで、今の状況から、意識が離れることができた可能性もあります。

 そうした要素が重なり、怒りが消え、そのあともそれが続いたと、今回の家族介護者の方は、話されていたので、このままを行うのが難しかったり、合わない場合でも、「大きい意識の変化」「主体性」をキーワードとして、何かしらの方法を考え、試していただけると、もしかしたら、介護の負担感が少しでも減る可能性が出てくるかもしれません。

 

 今回は以上です。
 もし試してみて、あまり効果がない場合はすみません。もし、よろしかったら、他の方法も紹介していますので↓、クリックして、読んでいただければ、と思います。

介護の大変さを、少しでもやわらげる方法① 自然とふれる

介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法」③気分転換の方法を見つける


(他にも介護について、いろいろと書いています↓クリックして読んでいただければ、うれしく思います)。

介護の言葉②「一人で抱え込まない」

介護books③「介護に慣れてきたけど、希望が持てない人に(もしよろしければ)読んでほしい6冊」

介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由①


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 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。