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介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

 現在の状況では、介護だけでなく、さらに感染の心配など、負担が増えて、これまでにないような大変な状況になっているのでは、と思います。そんな時に、その大変さを、分かったようなことを言うのは失礼ですし、何かすぐに有効な対策があることは少ないかとも思います。

 それでも、ほんの少しでも負担感というか、ストレスを減らせる方法は、お伝えすることができるかもしれません。

 介護をしていて、どんな段階であっても、どんな状況であっても、その大変さは、人それぞれに大変です。介護開始時の混乱も、相当な負担ですし、そこに慣れたとしても、「いつまで続くか分からない」時間の中で、毎日、介護をしていくのは、想像以上に大変なことだと思います。

 今のように緊急事態宣言が出ても、外出自粛であっても、介護は続いているはずです。もしも、デイサービスなどが一時的に閉鎖などされていたら、その負担感は、さらに重くなっていると思います。

 それでも、家族介護者の多くは、ご自分のことは後回しになってしまうことも多く、気がついたら、心身共に負担が蓄積し、思った以上のダメージで急速に体調を崩す危険性もあります。

 とはいっても、私はまだまだ大丈夫、という気持ちになっている方が多いと思いますが、それでも、介護をしていて、ふとした時に、また介護行為をしていない時の、気持ちが微妙に緩んだ時ほど、逆に辛さが襲ってきそうなことがあるのかもしれません。

 時間的にも余裕がなく、どこかへ出かけることも出来ない場合がほとんどだと思いますが、この「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」シリーズ(これも、勝手にシリーズ化します。すみません)では、何回かに分けて、お金も時間も手間もなるべくかけずに、少しでも気持ちを楽にする方法を考えていきたいと思います。何か違うことを試みること自体も、おっくうだとは思いますが、少しでも気が向いたら、試してみてもらえたら、幸いです。

「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」シリーズ第2回目のテーマは、「書くこと」です。


1 まずは書いてみる

 いろいろなところで言われていて、ご存知かもしれませんが、何しろ、書くことは意味があると、やはり思います。

 介護中だけではないとは思うのですが、自分の気持ちを書く、というのは、特に辛いときなどに書くというのは、いろいろな分析はできると思うのですが、やはり、少し楽になります。楽になる、というのが、違和感があるとすれば、それ以上、辛くなるのをギリギリ防ぐ、といった働きに近いのかもしれません。

 もし、今辛い時間が多くて、辛い瞬間がたくさんあるようでしたら、その時すぐにではなくても、紙とペン(もちろん鉛筆などでも)があればいいので、きれいに書く必要もありませんから、自分の思ったことを書いてみてもらえませんか。

 それで、すぐに気持ちが晴れるとか、楽になることは少ないと思うのですが、気がついたら、いつもよりは、ほんの少しだけ違ってくるかもしれません。それが一度だけだと、そんなに違いも分からないとは思うのですが、何度も書いていると、ちょっと変わってくるかもしれません。

おそらくポイントになるのは、気持ちをそのまま、なるべく正直というか、正確に書くということだと思います。どれだけ、ネガティブであっても、たとえば「死んでほしい」とか「殺したい」とか思っていたとしたら、それも書いたほうがいいと思います。書かないと、その気持ちは、介護者の内部にとどまったままになってしまう可能性も高いと考えられます。

 もし、そうしたネガティブなことを書くことに、抵抗感がある方は、「いつまで続くか分からない」厳しい「介護環境」は、それだけで、人間にとっては、精神的にはもっとも厳しい負担をかけていますので、その「死んでほしい」や「殺したい」は、厳しい「介護環境」に言わされている、もしくは思わされている、と考えてもいいのでは、と思っています。


(この話を、もう少し考えたい方は、少しお時間のある時に、「家族介護者の気持ち」③「死んでほしいは、殺意ではない」をクリックして読んでいただけば、と思います)。


 そして、その時は、ネガティブなことを思ったとして、その時は「本音」であるとしても、家族介護者自身の、「本当の本音」とは言えないとも思っています。何度か出ている表現ですが、介護という厳しい環境での、ネガティブな感情は、異常という言葉を使うことに抵抗感はありますが、負担が大きすぎるという意味で異常なので、「異常な環境における正常な反応」と考えたほうが、介護者の負担感への正確な理解につながるのではないか、と思っています。


2 なぜ書くことで、負担感が減る可能性があるのか

 回りくどい言い方になってしまうと思いますし、書いている方は、その場で感じられていることなので、わざわざ述べることでないかもしれません。ただ、書くことで、それは、どのような形で書いたとしても、書いた言葉を、自分自身が読むことになるはずです。そのことによって、どれだけの大変さや悩みの中にいたとしても書く事で、その悩みや大変さからは、おそらく心理的な距離としても、ほんの数ミリくらいですが、距離をとれると思います。

だから、目に見えて気持ちが楽になることはないにしても、その「数ミリ」の分だけ、大変さや悩みの中にいて苦しみ続けている時よりも、少しだけ気持ちが変わるという微妙な作用だと思います。ただ、そのほんの少しが、いつまで続くか分からない介護生活の中では、小さな蓄積として、大きく変わってくる可能性もあります。

 私自身の感覚が古いのかもしれませんが、書く時には、紙とペン(鉛筆など)を使ったほうがいいかも、と考えています。それは、書く時に、筆圧を高めて(たぶん知らないうちでしょうが)、そのことで、また少し気持ちが発散される可能性もあるからです。

3 書きたい気持ちが、思い当たらない場合

 あまり大変な感じはしない。もしくは、なんだかイライラしたり、憂うつになったりしているのは間違いないのだけど、書いてみたら、特に、思ったことを書けない、という方もいらっしゃるかと思います。
 その場合は、無理に気持ちのことを書かなくても大丈夫です。
 たとえば、介護行為のことを書くのは、どうでしょうか。

 こんな感じです。

○時○分、デイサービスなので起こす。不機嫌な顔。
○時○分。夜中だけど、大声で呼ばれる。夕飯はまだか、と言われる。
○時○分。声がしたようで、見に行ったが、寝ていた。

 自分の行為を書くだけでも、何も書かないよりは、気持ちがほんの少しでも違ってくるのかもしれません。もちろん、そのうちに、ご自分の気持ちを書きたくなったら、書いていったほうがいいのでは、と思います。

 また、どの場合でもそうですが、やる気がしない時は、もちろん無理に書いたりする事はしないほうがいい、と思います。また、書いてみて、どうもなんだか違和感があったりする時は、ご自分の気持ちを優先していただけますか。無理に続けると、逆に負担になってしまうので、やめたほうがいいかと、思います。

 こうして、いったんオススメしながら、こんなことを言うのも申し訳ないのですが、人によって合う合わないがあるので、ご自分の感覚を最優先させてください

4 書いたものは、どうするか

 人によって違うと思いますが、書いたものが、その時の自分の正直な気持ちとはいえ、あとで、これは人に見せられない、と思うものであれば、誰にも読めないようにして、捨てるのがいいと思います。

 この時のメモなどが残ってしまい、たとえば「死にたい」とか「殺したい」という言葉があったとして、読む人が、日常的な生活をしている場合には、この時の言葉が、本音であっても「本当の本音」ではない、ということは、おそらく理解し難いと思います。

ですので、書く時は、その時の本当の思いを、どれだけネガティブであっても、そのまま書いたほうが、少しでも負担(ストレス)を減らせるので、そのまま書いたほうがいいのですが、その時の思いは、繰り返して述べていますが、「厳しい介護環境」に思わされている、と考えたほうが、いいのでは、と思います。

 もし、読み返して、こんなひどいことを私は思っていたんだ、と感じてしまうと、よりストレスが増えてしまうので、そういう時は、思い切り書いて、そして、誰にも(自分自身にも)読まれないようにビリビリにして、捨てる、というのは、いかがでしょうか。ビリビリにする、という行為で、ほんの少しストレス発散ができる可能性もあります。

 その時のメモなどが残ってしまうことで、「辛い気持ちの緊急避難」としての、ネガティブな言葉を書き出す、という行為が、介護者の人格までが疑われるということになってしまったら、それは、悲しいことだとも、勝手ながら思います。


 私もずっと書いていました。そのことで、確実に、ほんの少しですが、負担感(ストレス)が減ったというよりは、ギリギリ保てた、という実感はあります。そして、この経験を、そのうちに誰かに伝えることで、介護者の気持ちの理解につながるかもしれない、と何の保証もなく思い続けていたので、その時のメモは残しました。そのために、こうして、書けることもあるのですが、積極的にお勧めできることではないようにも思います。また個人的な事情で、しかも、お恥ずかしい話でもあるのですが、私自身の文字は、かなり下手で、特に辛くて書き殴るように書いた文字が、自分以外誰にも読めない、という利点?があったこともプラスに作用したと思います‥…。


 スマホのメモなどを日常的に使っている方は、紙にペンよりも書きやすい場合もあると思います。その場合は、書く時に、よりストレスが少ないほうを選択していただければ、と考えています。

 ただ、保存と言う意味では、デジタルのほうが、残りやすく、読みやすく、場合によっては拡散してしまう可能性もあるので、もし、この項で述べたように、あとで読まれると、不都合と考えた場合は、一段落した時に、消去することもセットでおこなえれば、とも思います。ただ、消去をマメにすることがストレスになったら、それは、無理をしないほうがいいと、思います。


 今回は、以上です。
 平凡なことばかりかもしれませんが、もし、よろしかったら、試してみてください。試してみても、全然、効果がない場合もありますが、その際は、申し訳ありません。また、別の方法も、考えていきます。

 次回は、「介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法」③気分転換の方法を見つける です。

 読んでいただき、ありがとうございました。
 もし、気持ちをやわらげる方法で、もっといい方法がある、といった方がいらっしゃれば、図々しいお願いだと思うのですが、たとえば、コメント欄に書き込んでいただいて、共有できれば、とてもありがたく思います。
 よろしくお願いいたします。



(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、クリックして、読んでいただければ、うれしく思います)

『家族介護者の気持ち』 ①介護のはじまり・突然始まる混沌

「介護books」 ① 介護未経験でも、介護者の気持ちを分かりたい人へ、おすすめの2冊

介護の大変さを、少しでもやわらげる方法① 自然とふれる

『介護時間』の光景① 「母娘」


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