『家族介護者の気持ち』 ①介護のはじまり・突然始まる混沌
この「家族介護者の気持ち」シリーズ(勝手に名付けて、すみません)では、家族介護者の気持ちが、介護が始まってから、どんなことを感じ、どんなことを思い、どんな風に変わっていくのか。
もしくは、どのような介護行為があるのか。家族介護者独特の気持ちに関してなど、全10回にわたって、お伝えしたいと思います。
(なお、私の経歴など、詳細は、note 「介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由」①~⑤を、参照していただければ、幸いです。ここを、クリックすると、その①にいきます)。
これまでの私自身の経験や、いろいろな方のお話や、学んできた事なども統合して、できるだけ一般的な事として、伝えることができれば、と考えています。
個人的な印象に過ぎませんし、生意気な言い方になってしまうかもしれませんが、介護者として、専門家の端くれとして、この20年を過ごしてきて、家族介護者の気持ちに対して、理解は進んだとしても、まだ本質に届いていないのではないか、という印象です。家族介護者が、どんな状況にいるのか、どんな気持ちでいるのか、そして、どのように接したらいいのか、そういう事に対して、社会が慣れていないのかもしれません。そのことが少しでも明らかになるようにできれば、と思います。
突然始まる「介護」の与える影響 「危機」的な状態の場合
まず、家族介護者というのは、原則として、介護開始の時期を選べないことがほとんどです。考えてみれば、家族介護者という存在は、プロの介護者と違って、はっきりと、この時から介護者になる、というわけではありません。
家族の誰かが、介護が必要になる。つまりは、体に支障が出たり、もしくは認知症になったりして、誰かが介護しなくてはいけない。そんな時に、わたしが介護します、と手を上げた人が、もしくは、押し付けられることもあるのかもしれませんが、誰かが介護をすることになり、その時に家族介護者が誕生します。場合によっては、家族が協力し合うことができれば、複数の家族介護者が誕生することもあります。
介護のはじまり 突然始まる混沌
自分自身もそうでしたが、介護のはじまりは、突然、何も分からない、そして、次々と対応しなくてはいけないことが襲ってくるようで、路頭に迷うとはこういうことだと感じていました。どこか、知らない荒野に放り出され、手には何もなく、知識も情報もなく、誰かに話すこともできない、ただ、気持ちが立ちすくんでいるような状況でした。不安ととまどいしか、ありませんでした。
突然、混沌の中に投げ出される気持ち、といっても、おおげさでないかもしれません。
人によって、違いはありますが、突然、家族介護者になる人たちにとっての、心理的な影響は、おおげさに聞こえるかもしれませんし、不謹慎かもしれませんが、災害に巻き込まれるのと同程度と考えていい場合もあると思います。
どうしたらいいのか、分からない。今の自分が、どういう気持ちなのかも、よく分からない。何に困っているのか、分からない。
全員ではないですが、突然、介護者となった人たちには、そういう状態の人たちも少なくないと思います。
おそらくは、呆然としていて、外から見ると、感情が分からずに、表情もかたまり気味であり、何かを話しかけても、返事はするものの、動いてくれない、というような状況だとしたら、今まで述べたように、ご本人としては、災害に巻き込まれたような衝撃の中にいるのかもしれません。
そして、こういう状況は、人間の心にかなりの負担がかかっています。介護開始直後は、支援が必要な時期でもあると思います。
介護のはじまりで、「危機」的な状態の場合の、家族介護者への対応
介護のはじまりに直面している家族介護者に対してできることは、その介護者の話を聞くのが、もっとも優先されるべきことだと思います。きちんと話を聞くことによって、動揺が減るでしょうし、そのことによって、今、自分が何に困っているのかを、その方自身が、把握する手伝いができるはずです。
負担があまりにも大きく、明らかに精神のバランスを崩している場合には、精神科医など専門家を紹介する、ということも必要かもしれませんが、多くの場合は、まずは話をきちんと聞くことから始まると思います。
具体的なアドバイスは、それからでも遅くありませんし、そうなってからでないと、こちらからの情報は、うまく受け取ってくれないと思います。
そして、かなり動揺していたり、混乱したりしているとしても、それは、言葉は、やや不適切かもしれませんが、「異常な状況の中にいる人間の正常な反応」だと思ってもらったほうが、その後のコミュニケーションがとりやすくなるのでは、と思います。
「あいまい」な「介護のはじまり」の場合
急に倒れたり、明らかに行動が通常ではなくなったりすると、入院が必要になったりし、その退院後に介護がはじまる場合も多いと思います。
ただ、そうではなく、特に、認知症の場合は、介護のはじまりが「あいまい」になることも少なくありません。
認知症は、すぐに「何も分からなくなる」わけではないと言われています。特に初期は、微妙です。ときおり、これまでとは違う言動をして、「あ、いよいよ」と思ったかと思うと、翌日には、シャッキとしていて、「あ、大丈夫だ。年をとったら、そういうこともあるよね」と自分にも言い聞かせて、不安を軽減させている、というご家族も少なくないと思います。
そのため、傍からみれば、すでに介護が必要であり、介護が始まっているようにみえても、まだ介護ではない、と家族も、認知症が疑われる本人も思っている可能性もあります。介護が始まってしまうと、生活そのものが決定的に変化してしまうから、それを避けたい、という気持ちが強くなるのも、無理はないと思えます。
社会の中で毎日競うように生きていると、介護の生活に入ってしまうと、そこから、はずれてしまうような気持ちにもなるでしょうから、「これは介護ではない」と思いたいのも、ある意味で、自然ではないでしょうか。
また、誰にとっても、できたら、認知症は避けたいことでもありますから、本人も家族も、そうでないと思い込む気持ちにもなりがちです。ただ、それは、繰り返しになりますが、理解できる気持ちだと思います。
もちろん、認知症の疑いがある場合、早く専門医に診察してもらい、介護体制を整えるのは理想だとは思いますが、なかなか踏み切れない家族や本人の気持ちにも、多少でも思いを馳せてもらえたら、とも思います。
「あいまい」な「介護のはじまり」の場所にいる、家族介護者への接し方
介護保険を利用する事をためらったり、介護認定だけでなく、専門医の診察なども避ける場合もあるかもしれません。この場合は、とにかく早く介護体制を整えてほしい、と周囲の方々が考えるのは、当然かもしれませんが、そうした思いが強いほど、家族や、認知症を疑われる本人に警戒される可能性もあります。
すぐに命に関わる状況でなければ、家族や本人との関係が途切れないように、必要な時は、話ができるように、家族や本人から相談を受けた時などに適切な情報を提供できるように準備をしていれば、少しずつ状況が変わってくると思います。
この場合も、とにかく話を聞くことを原則とするのがいいのでは、と思います。
周囲からの支援が、細くても途切れないようにするのが、重要になるのではないでしょうか。
専門家からの、家族に対しての、情報が足りないことへの思い
介護の専門家からみたら、特に介護のはじまりの家族や本人は、「どうして、こんなに介護のことを知らないのだろうか」と思うこともあるかもしれません。介護のことをよく知っている方から見ても、同様な思いになることもあるでしょう。
ただ、先ほども少し触れたように、社会の中で働いていたりすると、介護のことは、ほとんど目に入らない可能性も高いです。気になってはいても、多少知ってはいても、実際に家族に介護が必要になった時に、どうすればいいのかを知っているほうが少数派、というのが、現在の状況ではないでしょうか。
社会の中で、戦うように生きていると、他のことに目を配る余裕がなく、そのほうが、ある意味で自然です。また、家事や育児に関わっていたとしたら、そのことで毎日が過ぎて、他の要素を考える余裕はないのも当然では、とも思います。
つまり、介護について、介護の専門家からみたら、無知であっても、おそらく、今の社会では、介護について、あまり知らない方が、多数派と考えたほうがいいのでは、ないでしょうか。
ですので、もし、介護の専門家が、家族に介護が必要になった場合は、もちろん仕事の時とは違うのでしょうが、介護に関しては、圧倒的に情報量があります。そのために、「突然の混沌」の度合いが薄まり、特に介護初期の負担感は、減らせる可能性がある、と思います。
なお、家族介護者の気持ちの変化のことで、他の見方や、さらに考えを深めたい、というのであれば、私も参考にしている本を紹介します。
よろしかったら、読んでいただければ、と思います。
この「家族介護者の気持ち」シリーズは、全10回にわたって、お伝えしていきます。
「介護者の気持ちの変化」や、「あまり一般的には知られていない介護行為」などについて、書きました。基本的には、家族介護者の気持ちについて、少しでも理解が深まれば、と思っています。
もし、ご興味があれば、そのうちの1項目だけでも、読んでいただければ、幸いです。
この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。 よろしくお願いいたします。