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『介護時間』の光景① 「母娘」

 1999年から、2007年まで、母と義母(妻の母親)の2人を、妻と一緒に介護していました。その頃は、母の入院する病院に毎日のように通い、帰ってきてから、義母の介護をする、という毎日でした。それは、自分の体力のなさや、気持ちの弱さもあるかもしれませんが、やたらと疲れて、気持ちも追い込まれて、病院と自宅以外の世界がないかのように思っていました。

 ただ、その単調な繰り返しの時間の中で、日常の小さな風景の違和感に、今よりもはるかに敏感になっていたと思います。それは、家族介護者の独特の緊張感があってこそだと、今から振り返ると、思います。あの頃の自分が、今の自分を見たら、かなりゆるんでいる、と思うのかもしれません。
 昔のことですし、人によっては、たいしたことでないように思うかもしれませんが、今日は、3月31日ですので、ちょうど13年前に見た光景を、掲載させていただきます。(その日のメモを一部修正しています)

 なお、私の経歴など、詳細は、note 「介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由」①~⑤を、参照していただければ、幸いです。ここを、クリックすると、その①にいきます。


 今後も、同じ日付の「介護時間の光景」の記録が残っていれば、その時に、やはり、この場所に掲載させていただきたいと思っています。
 介護時間という独特な時間の流れの中で、そういうとても小さい発見が、自分を支えていたことの一つだったようにも思います。そして、家族介護者としての感覚が、そういう光景を見つけてくれたようにも思います。
 もしかしたら、当時の自分の暗くて重い気持ちが、見るものに反映しているかもしれませんが、でも、今だと、たぶん、見過ごしてしまう光景のようにも思います。


『介護時間』の光景①


母娘

 駅のホームで、女性2人が立っていた。
 たぶん、母と娘、という感じに見えた。
 母親が60代くらい。娘が30代くらい。

 母親と見える人は、ベージュのコートに、縦にいろいろと色が入っている黒っぽいマフラー。
 娘に思える人は、黒っぽいコートに、青いマフラー。
 2人ともオシャレで、それもスタイルもいい立ち姿なので、ホームで目立っていたのだけど、なんだか2人ともスゴく暗い顔をしていたように思えた。

 そして、何かしゃべっているようにも見えないのに、その2人の距離が近くて、2人で90度の角度を作っていた。

 深刻な直角。
 勝手に名付けてしまったが、少したって、電車が来て、乗り込んだ後のその2人の姿を見ていたら、普通に笑って、しゃべっているようだった。さっきのは何だったんだろう?と思うくらいの落差があった。自分だけが、勝手にそう見えてしまったのかもしれない。

                         (2007年3月31日 川崎駅ホーム)



『「介護時間」の光景』②  も書きました。   ここをクリックすると、リンクしています。


(他にも、介護に関して、noteを書いています。よろしかったら、読んでいただければ幸いです。クリックすれば、リンクしています↓)

『家族介護者の気持ち』 ①介護のはじまり・突然始まる混沌

介護の大変さを、少しでもやわらげる方法① 自然とふれる

「介護books」 ① 介護未経験でも、介護者の気持ちを分かりたい人へ、おすすめの2冊




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