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『「介護時間」の光景』(199)「ボトル」。3.28。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年3月28日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年3月28日」のことです。終盤に、今日、「2024年3月28日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。
 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。
 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年3月28日

『母が入院している病院で、毎月、患者さんに誕生日カードをつくるボランティアをしているのだけど、そうした人たちも含めて、懇親会が開かれた。

 少し昔の話をするだけで、まだ心が揺れる。

 そこにいる人も、もう5年、家族が入院していて、その話をするときに辛そうで泣いていた。

 それでも、ボランティアを続けているのだから、すごいと素直に思う。

 午後4時50分頃に、病院のエレベーターに乗って、4階に行き、母の病室についた。

 座って俳句を書いていた。その話をするときは、うれしそうだった。

 母の夕食は40分くらいで終わった。よく食べていた。

 今日の午後のことを思い出す。

 懇親会の中で、病院の総婦長という人と初めて、長めに話をしたと思う。

 強い人なのだと思う。
 その強さに、こちらは時々、気持ちがひける。

 以前の病院で、ひどいめにあって、それ以来、白衣が怖いところがあって、という話もやっとできるようになった。

 それには「気づいておりました。伏目がちでしたので。こちらが足りないところがあったのかと気になっていました」と答えてくれたのだけど、その立派な感じも近づき難く、それで、目を合わせられなかったのだけど、そこまでは言えなかった。いつも母親がお世話になっているわけだし。

 伝えるのは難しい。

 午後7時に病院を出る』

ボトル

 電車の中。
「いいちこ」とはっきり分かるボトルを片手でむき出しで持って電車の座席に座っている中年の背広を着た男性。

「いいちこ」の残りは3分の1くらいになっている。
 もう片方の手で携帯を持ち、ずっとメールを打っているようだった。

                         (2003年3月28日)


 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年3月28日。

 昨日は天気が良くて、今日は曇りになってきていて、どうしようかと思っていたけれど、やっぱり洗濯をした。

車輪の下

 庭には、あちこちに小さな花が咲き始めた。

 黄色い花は、午後遅くになると、つぼんでしまって、また次の朝に開くらしいのだけど、そんな動きがあるのを知らなかった。

 妻に名前を聞いたら、エンコウソウという名称をすぐに教えてくれたのだけど、私は、何度か聞いたはずなのに、いつも忘れてしまっていた。

 他にも、白い花なども咲いているが、エンコウソウは、庭に置いてある自転車の車輪のすぐ下に咲いていて、いつの間にか踏んでいたかもしれない、と思った。

 まだ寒いと思っていたけれど、本当に季節が進んでいる。

買い物

 近所にできた洋菓子屋が、今月いっぱいで閉まってしまうので、その前にケーキを買おうと思って、妻と出かける。

 八百屋に寄ったり、金融機関にも行ってお金をおろし、洋菓子屋でケーキを買って、家に戻ってくる。

 庭の柿の木は、今年はかなり剪定をして、随分と枝が少なくなった。

 その姿を見て、「あ、新芽が出てる」と妻が言った。

 きれいな緑色が見える。

 あれだけ枝を切り込んだのに、もう芽が出ている。

 今年は、柿の実はならないかも、という話をしながら、カギを開けて、玄関に入る。

 ケーキはおいしかった。

仕事

 タイトルに興味をそそられる本があった。

 仕事ができるかどうかについては、職種を問わずに気になっていたのだけど、今はやたらとスキルや資格などが言われているものの、なんとなく納得がいかなかった。

 それが、この書籍の著者たちによれば、やはり「センス」が大事なのではないか。言葉を変えれば感覚的なものの重要性を語っていて、それに対して、説得されるような思いにもなったのは、臨床心理学を学び始めるとき、サイエンスとアートの要素が両方ある、という言葉を聞いたのを思い出したせいもある。

 臨床心理学でも、エビデンスという言葉がよく聞かれるようになり、それは当然ではないか、とも思う一方、人の心に関わるのだから、どうしてもエビデンスが届かない部分もあるようにも感じてきた。

 そのことについては、広く社会に向けて、きちんと証明する能力も経験も足りないのは自覚しているが、それでも、実際に面接をしていると、感覚的な部分の重要性は、年を経るごとに感じている。

 昨年、この書籍↑を知り、幸いにも訳者の児童精神科医の講義を受ける機会があり、これまで自分の感じてきたことが大きく間違いではなかったことを確認でき、安心する思いにもなった。

 同時に、それならば感覚的な研鑽の必要性も再確認したので、ちょっと緊張するような思いになった。

 『「仕事ができる」とはどういうことか』を読み、現代の複雑になったビジネスの世界でも、そうした「センス」的な能力が問われることが共通していることに納得がいくような気持ちにもなった。

 ただ、その能力は測定しにくいし、その力をどう磨くかがわかりにくいところも似ているので、どの分野でも「仕事ができる」人が少ないことは変わりがないのかもしれない、などいろいろと考えてしまった。





(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)




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