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『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑬「発表と疲れ」。

   いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「発表」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

 よろしくお願いいたします。

 母が亡くなり、介護をするのが義母一人になったこともあったので、勉強を始めて、2度目の受験で臨床心理学専攻の大学院に合格することができました。今回は、介護を続けながらも、大学院に通い始め、講義が始まって1ヶ月が経ち、少し疲れてきた頃の話を紹介させていただこうと思います。

 その時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいですが、もしかしたら、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、かなり長くなりました。すみません。

 新しい環境になってから、時間の流れもとてもゆっくりに感じていました。

発表

 5月11日。火曜日。

 今日から、学内にあるカウンセリング施設での実習でした。

 そこは、国内では珍しく、すでに50年ほどの歴史のある施設で、そこには、カウンセリングを受けに来る人たちがいます。その受付の実習です。

 午後1時頃には大学に着きました。雨が少し降っています。小さい声であいさつをして、その部屋に入ります。緊張して説明を聞きつつ、少しずついろいろな事が進んでいきます。待合室に座らせてもらいました。

 意外と広くて、微妙に不安ですみっこに座ったら、加湿器か何かの音がうるさくて、という事や、別の席だと、受付の人の顔がやたらとはっきりと大きく見えて、当たり前ですが、けっこう気になる事などが分かったりしました。

 そのうちに、クライエントの人たちが何人もあらわれて、紅茶を出したりしているうちに、時間が過ぎ、午後3時頃から急に電話が増え、さらにクライエントの方々がいらっしゃって、集中してバタバタしていたら、時間が過ぎ、午後4時半が過ぎて、午後5時になりました。

 それから、各部屋を回って、ゴミを集めて、さらに時間が過ぎて午後5時半に実習の初日は終わりました。

 初めてのことでした。

 それから閲覧室へ行って、同期に会って、学食で食事をして、家へ電話をしたら、実家のお隣さんのご主人が亡くなった、という事を知りました。今月の始めに会ったばかりでした。確か、あの時は元気なないように見えたのですが、それは、単にあとからのつじつま合わせみたいなことでしょうし、何より、元気だったのに突然の事で、かなりびっくりもしました。

 そのあと、講義が始まり、今日は自分が発表でした。

 介護の施設をテーマに、介護、というもののプレゼンテーションのつもりで臨みましたが、おそらく必死すぎたせいでしょう。フレーズが長過ぎて、こちらが言葉をはさめない、と教授に言われました。確かにその通りでした。そして、自分では必死で書いたつもりのレジュメでしたが、抽象的なので具体例をあげてください、とも言われました。

 そこで、実際に、介護をしていて、困っている話をあげて、それを元に職員への精神的なサポートの話になり、何より、そこにいた教授や学生のみなさんが、真剣に考えてくれたのがとても嬉しくありがたく思えました。

 テーマは、組織を心理的にどう考え、対処していくか?になります。

 そして、講義が終わり、帰ってから今日の講義の参加者の感想のシートを読んだら、なんだかかなり知識だけでなく気持ちまで届いた気がしました。すごくありがたい、と思いました。

 昨日もカウンセリングがうまくいかなくて、今だにそのジャンルは苦手かもしれないけれど、でも、自分でも、何度も、心理士が働く場所として介護も考えてください、みたいな話もして、プレゼンテーションとしての自分の能力としては、(しゃべること自体はあまり得意ではなく、どうしても感情優先で、ごちゃごちゃしてしまい、その上、描写が入って長くなる、という欠点もあるので)あんまりダメだったのだけど、やっぱり必死に気持ちだけはこめました。

 ホントにみなさんの感想はありがたかったです。なんだか、これからも支えてくれたような気がするし、講義の中でも出てきていた「感謝というものがあれば、人は何とかやっていける」といった言葉は、きれいごとでなく、本当かもしれない、と思いました。発表してよかった。今日、頼んでいた本が図書館に入ったと電話がありました。ありがたい。

レポーター

 5月13日。木曜日。

 今日も発表。今週は2つめ。明日は、また発表。

 学校に行って、これまでいろいろと教えてもらった大学院の2年生に御礼を言ったら、私の事で見習いたい事があって、と言われ、さらに詳しく聞いたら、この前の発表の時のことらしい。
 
 私が、誰かの話に対して、何かを言う時にも、聞いてもらってありがとうございます。みたいな事を言ってから話していたから、それがその人への存在の承認で、といったような事になっていて、とてもいい、それで空気が柔らかくなっている、みたいな事を言われ、正直、意外だったのは意識していないせいでした。

 でも、そんな風にほめられてうれしかったのですが、それは、人に話を聞いてもらうこと自体が、この10年間なくて、だから、本当にありがたかったのだと思います。

 講義が始まり、最初はこの前の発表をしていた人の続きだったけど、さっき言われたことがあったせいか、過剰に人をほめてしまったような気がして、でも、話は広がりを見せて、なんだか有意義でしたが、そのかわり、かなりの時間がたっていました。

 もしかしたら自分の発表の時間が足りなくなって、来週に続くかも、と思っていたら、今の発表者の人が、早くやるから大丈夫です、みたいな事を言ってくれて、そして、確かにスピーディーに進ませてくれました。

 その人に質問のようなものが出て、それで言葉につまっていたようなので、余計なことかもしれないけれど、自分でも意見を言い、そして、話はまた少し違う方向へ進み、時間が流れ、それでも、自分が発表できる時間が出来ました。

 あと約40分。自分が書いたレジュメを読むだけだとつまらないと思い、解説を加えながら進むみたいな形にしていって、その読み方もなんだか感情的すぎるよな、と自分で思いながら、進めましたが、そこに参加している同期や上級生はちゃんと聞いてくれているのは分かりました。

 前半が終わって、時間がまだあったので、さらに進めたら、残り10分を残して終了しました。

 行間を読んでもらい、自分の意見も付け加えて、おもしろかった、と教授に言ってもらい、そのコメントの中で、おもしろかった、というのがとてもありがたく思えました。さらに、私が、ここのところを詳しく知りたかったという点も、きちんと話をしてもらい、最後に立ち去るとき、一瞬、その教授と二人になった瞬間に、さらに評価をしてもらいました。

 それは、心理学を初めて本格的に学んでいる自分にとっては、過分だと思うことも言ってもらったので、これからのハードルが上がりそうとか、いい事があると揺り返しがあってこわい、とかもちらっと思ったのですが、でも学校という場所でほめられた事はほとんどなかったので、素直にうれしく思いました。

 帰りの駅で、その教授と偶然に会ったら、午後9時を過ぎているのですが、これからスイミングをする、と言っていました。そういう体力がなければ、ああいう根気のいる研究は出来ないのだろう、と思いました。それがなければ、おそらく雑になるのだろうとも感じ、自分もホントに体力をつけなければ、と思いました。

 明日も発表。同期と途中の駅までいっしょでしたが、明日のレポートの話をしながら帰りました。ホントに学生だ。と何だか少しおかしく、でもうれしい気持ちでした。帰ってから、義母の介護ですが、その合間に、これからレポートを書かないと。

重い空気

 5月14日。金曜日。

 今日で発表が続いた週の、最後の発表です。

 早めに行ってコピーをとって、学食へ行きました。ぶたすき丼を頼んだら売り切れていて、弁当しかないと言われ、30円を返してもらいました。

 いつもはいっしょに食べようと言ってくれる同期が何も言わないので、何か女性の友人同士で話があるのだと思い、遠くで一人で食べました。そして、今日の授業の発表のためのレジュメを再度チェックしていたら、別の同期から声をかけられ、一緒に教室へ行きました。

 文章を、まとめたものが、いまいちおもしろくない、と思っていましたが、質問というか、話し合ったりしたいこと、という項目をたて、それでなんとか話がみんなで出来たらいいな、というような事も思っていました。

 講義が始まり、前半は「語り」がテーマでした。語りは語られる事がそのまま、その人の語りについて影響が出るみたいな、どこか難解で、グルグル回るような内容で、話もぼつぼつしか進みませんでした。

 そして、休憩をはさんで後半になり、インタビューがテーマの話で、そして自分の書いてきたレジュメを読むように発表を始めました。今回は、グループに分かれて、それぞれに発表者がいるような方法でした。

 私は、どうしても、自分のレジュメ通りに読んだりする事が出来ず、アレンジをしてしまうのですが、でも、なんだかつっかえつっかえ、みたいな感じになって、どうしてもスムーズに話が進まないというか、自分でもおもしろくない、というような話になってしまって、なんだかつまんなくなりそうになりながら、でも、なんとか最後まで読めました。

 それから質問なり話し合いをしたり、の項目に進んだが、ぜんぜん何も出ないので、自分で、ここ聞きたいんですけど、みたいな事で、調査インタビューと臨床面接の意識の違い、みたいな事を聞いたのですが、なんとなく気まずいという感じになるだけでした。

 何しろ、空気が重く、一つのテーマで話していて、そこに担当の教授が来てくれて、インタビューは話の内容を聞くけど、面接は声を聞く、といった話をしてくれて、それはなるほどと思えました。

 ただ、それからも話は進まず、いろいろとテーマを変えてみても、話と空気は重く、最後までそんな感じだったので、なんだか頭が重いままだし、少し眠くなるし、がっかりしつつ帰ってきました。


 今週は月曜日にちょっと重い気持ちになり、火曜日に介護の世界をプレゼンテーションできた気になり明るくなり、水曜日は研究の進め方で焦らなくていい、という話を聞いてちょっと気持ちが軽くなったものの、自分が怒りで動いているのではないか、と微妙な気持ちも出て、木曜日は思ったよりも発表がほめられ、金曜日はダメだったのに、そのレジュメを見せてください、とクラスメートに言われ、そうやって1週間が過ぎました。

 やっと発表に一段落がついたものの、明日は早い講義です。夜中に介護があり、午前5時前くらいに寝ることが多くなったので、けっこう憂うつでしたが、行くしかありません。

 今日で講義が始まって、だいたい1ヶ月。だけど、ものすごく長い1ヶ月でしたし、ささいな事で悩めるぜいたくな1ヶ月でもあったと改めて思いました。

プライベート

 5月17日。月曜日。

 今日は、告別式でした。

 今は、少し遠い場所になってしまったのですが、実家のお隣さんで、長くお世話になった家のご主人が急に亡くなってしまいました。その告別式に、妻と一緒に出席しました。

 それから家に戻り、少し昼寝して、午後6時過ぎからの、講義に向かいます。

 今日は、太宰治の「御伽草子」を読んでくる、というのが課題でした。その内容が予想がつきにくかったのですが、まずはそれぞれが感想を言って、それから、話は深まっていきます。

 こぶとり、の話がカウンセリングの話にまで広がり、それは、でも、ただのこじつけというよりは納得の行く広がりでもありました。臨床心理学だけだと狭いから、という言い方を担当の教授が淡々と語り、それは、ここ数日、私も考えていました、

 この臨床心理学の世界だけでの発想になると、他のジャンルをないがしろにするような発想になるかもしれず、それは場合によっては、他の事はどうでもいいになりがちで、そうなると、いくら目の前のクライエントを大事にすると言っても、それが本当の意味では出来なくなるのではないか、みたいな勝手な感想も出てきていましたし、そういう意味でも、こういう講義が必要なのだろう、と思い、勝手にありがたい気持ちにもなりました。

 そして講義が終わり、同期の20代の女性と一緒に駅まで歩いていったら、途中で、プライベートでのシリアスな話になりました。先週から、なんだか、元気がないとは思っていました。

 駅に着いたら、さらに同期が何人もいました。年齢に幅がある女性の方々と、若い男性がいます。その同期の女性のシリアスな話に対して、励ましたり、慰めたりを続ける女性もいて、そのあとに電車に乗り、話はまだ続きました。

 そして一人降りて、2人降りて、なぜか私に預けられるような感じになったのですが、そのあとも、その女性に対して、何かを言うことも出来ず、それでも、その同期は、淡々と、決意をするような話を続け、とても、一生懸命になっている姿を見て、なんだか、より悲しさが伝わってきた気がしました。

 カウンセリングの講義を受け始めて、人の気持ちを分かるのはとても難しいと改めて思い、昔、仕事の時は、人の話を聞けたと思ってきたけど、それも本当だろうか、と疑い始めるようになってきたので、こうしたときも、ほぼ黙って聞くだけで、でも、何も言えることもなく、その女性も、途中の駅で降りていきました。

 私よりも、圧倒的に若く、でも、人の気持ちというのは、何も、変わらないような気もして、自分がもう50近くという事も忘れるような時間でした。人の気持ちを分かるのって、本当に難しいんだ、と改めて思います。

実習

 5月18日。火曜日。

 2度目の実習の日でした。午後1時からなので、いつもよりも、かなり早い時刻に学校へ向かいます。

 カウンセリングの受付の実習の前に学生課に行って、トレーニング講習会の申し込みをしました。トレーニングルームを利用するために、必要な手続きでした。

 大学院生だといけないとか、運動部でないとダメだとか、年齢制限とか、そういうのはありますか?というような事を聞いて大丈夫と言われたのですが、ハンコがいると言われ、明日の午前中にとも言われ、それは無理なので、と言うと、すぐそばで相談して、明日の午後の講習会のときにもらえばいいから、などと会話が丸聞こえでしたが、でも申し込めました。

 それからカウンセリングの施設の受付の実習。2度目でした。

 その部屋には、そっと入っていって、時間になって、実習を一緒に行うはずの、同期の、もう一人の女性がいなくて、それで私だけが、午前の受付からの引き継ぎをしました。

 そうしたら、もう一人の人は、5分前に来なくてはいけない、と思い込んでいたらしく、もっと早く着いたのに時間調整をしていた、と言っていました。来てもらって、ホッとしました。

 午後2時前に、行政関係者の人が来ました。ここにいると、ここは外とは隔絶されている雰囲気があるので、その行政関係者の人は、とても、テンションが高めで元気に見えます。

 それから、クライエントの方達が来て、電話があって、なんだかバタバタして、自分のお茶の出し方がおかしかったり、いろいろとやることが少しずれて、妙な感じになって、でも、その研究所の人たちにフォローしてもらったので、御礼を言ったり、で時間は過ぎていきました。

 それから帰っていくクライエントの人が、受付にも御礼を言ってくれたので、実習の二人とも、反射的に、思わず立ち上がって元気に御礼を言ったりしてしまいましたが、それは、あとからスタッフに、もう少しさらりとやってください、と言われました。

 それは、立ち上がって、というような事をすると、相手がびっくりしてしまうから、みたいな事でした。それから、私がいちいち御礼を言うのも、ここではあんまりふさわしい行動ではない、という事を教えられました。

 母の病院に通っている時に、知らないうちに感情や行動のあらゆるボリュームをしぼる癖がつき、大きな声も出ない時が7年続きました。それとは違うかもしれませんが、ここはカウンセリングの場所であって、活気のある、一般社会ではプラスと思われる事が、ここではマイナスなことも、少しわかった気もしました。

 クライエントが現れた時に、いちいち驚いていては空気が乱れます。今日は、最初に会ったクライエントではない人のテンションにあわせてしまい、その事に自分で気がつかずに、今日は変にテンションが高めだったのだと思いました。

 自分の感情の強さ、みたいなものを考え、それはこういう場所では致命的なのではないか、などというマイナスな気持ちにも動きそうになったりもしましたが、でも、家に帰って、妻にも聞きました。感情強いかな、と。そうしたら、生まれながらなんじゃないの?と否定的でなく言われました。

 そういう元に生まれてしまったのだろうと思うしかありません。生まれる時に難産で、その時の輸血のせいで母親が肝炎になり、その事で高齢になってから老人性精神障害、になることにつながって、今も義母の介護が続いて、というようないろいろな環境のせいもあるかもしれません。

 でも、そういう感情の強さみたいなものは、人に沈黙を強制する事もありえます。

 小さい頃から、自分が叫ばなければ存在していない事にされてしまう、という気持ちもずっと強く、それは今でもどこかで抜けない癖みたいになっているのですが、自分の感情が強い、という意識を持てば、コミュニケーションももっとスムーズに行くかもしれない、とも思えました。

 そして、そういう事を考えていけるだけでも、実習というのは意味があると思えました。自分の感情を認めて、今は横に置いておく、というような事は、考えたら、まるで武道の訓練で、それは反復して体で覚えなくてはいけない、という意味でも共通点があるかもしれない、と思っていました。

トレーニング

 5月19日。水曜日。

 学校のトレーニングルームが使え、その条件が講習会へ申し込むことだとも知ったので昨日、申し込んで今日講習会でした。いつも通っている建物の裏に運動部などの棟があるのを知らずに、工事中でどこから回るかも分からずに、でも、弓道場の裏、という表示を見て、そこから工事中のあれこれがある中を歩いて初めて、9号棟へ、やっと着けました。

 運動部のにおいのする、ある意味ではなつかしい建物でしたが、といっても、ここの大学では初めて来るところで、そこではまだ4時限の講習会をやっていました。

 だいたいが大学生のようです。若い。持って行った運動ができる格好に着替えて、またのぞいたら、大学院の上級生で、私よりも年齢はかなり若い男性が一人いて、心強く思えました。

 そして、自分が受ける講習会の番になり、そうしたら、また一人、今度は同期の男性がやってきました。その人は、院生の中ではベテランでしたが、私よりは10年は若い上に、ダンスもしているし、体も鍛えていそうだったから、ああそういえば、という納得感がありましたが、ここで会うなんて思いませんでした、と言われました。それは、私が、この場に違和感があるということでしょう。

 考えたら、年齢はかなり上で、その上で、初対面の若い人に、運動が苦手そうで、木陰で本でも読んでいそう、と言われるくらいな感じになりましたし、そういえば、今から10年ほど前に、ヘルパーの講義を受けている時も、年上の女性達にも、スポーツとかと縁がなさそう、と言われていました。

 決して強豪でもないし、自分がアスリートの仲間と思ったことも一度もないし、平凡な運動部員に過ぎませんが、でも、一応は大学でも運動部だったのに、そんなにスポーツの気配がなくなっているのかと思うと、微妙な気持ちにはなりました。

 講習会は、プロのトレーナーでハンドボールの選手の人がやってくれました。学校側が、プロを雇ったという事になりますから、ぜいたくな時間だと思いました。

 最初はトレーニングとは何か?という話から始まり、筋肉の力のリミットを意識ではずせる人がいる、みたいな話もしてくれたり、乳酸というのはエルルギーであって、それがあまってしまって疲労の元になる、とか、歳をとると、というより運動をしなくなっていると、筋肉が使うことで切れたりしているのを痛みとして感じるのが遅くなるから筋肉痛が翌日になったりする、といったエピソードもまじえ、テンポよく進んでいきました。

 それでもマシンなどを使ったことがあるのは、10人中3人くらいで、立派な体を持っていても、あまり経験がない、それも意外でした。

 もっと若くて、ばりばりの人たちばかりだと思っていたのですが、どちらにしても、私が最年長であるのは間違いなさそうで、考えたら臨床心理学専攻の大学院で少なくとも3人はトレーニングセンターの会員なのだから、なんだかちょっとすごいかもしれません。

 その講習が終わってから、水のいらないシャンプーで頭をふき、パンツや靴下やTシャツを着替え、それから、写真などの提出は金曜日にしてもらい、わりとあわてて学食に行って、持って行ったパンを食べようとして、あわてたせいか買ったお茶とかを床に落としたりしながらも、何とか軽食を食べてコーヒーを飲んで、教室へ向かったら20代の同期に呼び止められて、フォーカシングを専門とする教授のゼミに参加することにしました。

 今日は、いつもの実習ゼミが休講になり、他のゼミに出席してもいいと言われていたので、そのことをそのゼミの担当教授と、参加している学生の方々に伝えて、快く参加させてもらいました。

 フォーカシングを専門とする担当教授のゼミは、独特の繊細さと丁寧さと、ゆっくりとした時間が流れました。そして、せっかく誘ってくれた同期の話はちゃんと受け止められなかった気がして、申し訳なかった気がして、それでも、個人的にけっこう大変な時にあるのが話でわかったのに、その上で、こちらの気持ちをちゃんと受け止めてくれた人もいたりして、とてもありがたい気持ちになりました。

 その実習ゼミの時間は、とても長く静かなまま、終わりました。

 帰りの地下鉄は久しぶりに一人で乗りました。先週の月曜日から発表や課題が続き、明日は10日ぶりに家で休めます。疲れるはずだけど、でも、私だけでなく、若いとしても、同期のみんなも、結構不安だというのは何となく分かった1週間でもあった気がしました。

 家に帰ってからは、いつもと同じように、義母の介護で午前5時近くまで起きている時間が続きます。

将来

 5月20日。木曜日。

 ばたばたして1ヶ月以上が過ぎ、あれだけ別の世界だった学校、それも大学院という時間も、少し日常になってくると、夏休みまであとどれくらいかな、とか、夏休みでも実習は続くんだな、とか、雑念としかいいようのない気持ちがわいてきたりします。

 さらには、修了後の事まで気持ちが向くことまであります。

 若い人たちの中でしゃべったりしていると、その気になって、というより、たとえば、自分以外はみんな20代という中で話していると、多数決ではないけれど、そこでのスタンダードは20代の発想になり、自分はもう50になるくらいなのに、勝手にそのくらいの気持ちに少しなったりもするのですが、当たり前だけど、圧倒的に年齢が違って、しかも、無職で何のキャリアも積んでいないわけなので、修了後というのが、ちょっと考えると一気に不安にはなります。

 修了後の進路については、少し講義を受けたりしただけでも、現状というものもやはり分かってきたような気がしますので、より不安がふくらむようでした。

 多くの臨床心理士は教育の分野(スクールカウンセラーなど)や、医療の分野(病院など)もしくは福祉の分野(障害者関係の施設など)もしくは、公務員の心理職などに就職する、というパターンのようでした。ただ、常勤として仕事をすること自体も、誰もができるわけではないようです。

 そういった、ある意味では安定した場所というのは、やっぱり若い人の場所だと思います。自分がもし採用する側にいるとしたら、50歳になっている人間を、新しく雇うことは考えにくい。つまり、当たり前だけど、職場というよりは、働く場所も自分で作るしかない立場でしょう。

 だから、最初の予定通り、自分は介護の現場で、自分の居場所と働き場所を作る努力を続けるしかないし、それに加えて、臨床心理士になったから、それによって書くべき原稿も出てくる気がするので、それも行い、さらには以前の仕事だった、書く事を、そういう資格と関係なく仕事として成立させないと、結局のところは生活していくことすら、とても難しい状況なのは変わらないのは、改めてわかった気がしました。

 現実を思い出すと、とたんに気持ちが重くなります。

 大学院に入って、2年で学び、実習もし、そうして時間や労力をかけ資格をとっただけで仕事がある、というものではない、というのがリアルに分かってきて、今も女性の方が圧倒的に多い仕事、というのが、また少し分かってきたような気がします。

 だけど、何もなかったころに比べたら、それはもちろん未来の希望の一つには、臨床心理士の資格は十分になるはずですし、あとは自分次第という当たり前の前提が残るので、考えたら、そういう不安が出てくる、というのは、今の生活に少し慣れてきた、ということなのかもしれません。

すごさ

 5月21日。金曜日。

 今日は、大学を代表するといっていい名誉教授が講義をする日でした。

 この世界では知らない人がいない、ということでしたが、勉強不足もあり、恥ずかしくて失礼ながら私は詳しくはわかっていませんでした。怖いカリスマだったら嫌だな、と勝手に思っていたのですが、講義が始まっていたら、違っていました。それこそ、勝手で失礼な思いこみでした。

 高齢の女性のはずなのですが、さらに若い教授陣が、おとなしく見えるような、もっと踏み込んだ感じで、今でも完全に、少しでも真っ当な現役な存在でいようとする意志までも感じて、ちょっと恐いくらいでした。

 幸せのために何とかベストをつくしてほしい、みたいな話になった時に、なんだか泣きそうな方向の気持ちになりました。

 それは、どんな状況でも絶対にあきらめない、というような覚悟の蓄積と今でも完全に健全な意志みたいなものを感じ、目の錯覚かもしれませんが、背後に大きくオーラが開いたような気がしました。

 それは、昔、プロスポーツの取材をした時に、その日に、信じられないようなプレーをしたアスリートに感じたものと、同質のようなものに見えました。この1ヶ月、様々な講義を受けてきたのですが、そんな気持ちになったのは初めてでした。なんだかすごいと思えていました。

 それから、実際に実習の対応に悩んでいる学生の話を聞いた時の進め方は、途中でちょっと占い師的な感じもしましたし、それは、おそらく見えているのではないか、と思うようになり、豊富な経験と想像力と、考えている長い時間が可能にしたものだ、というのは分かる気がしてきました。

 その講義が終わった時は、ライブが終わった時のような不思議な疲労感がありました。考えたらとんでもないエネルギーなのですが、でも、自分も50近くになってしまって、と思いがちな自分にとっても、とても励みになるすごさでもありました。

 講義の前後に、教授陣がすごく気を遣っているように思えたのですが、それは、ああいう力の一端でも見せられたら、普段の凄さも推測できるので納得できることでしたが、本人がその持ち上げられ方を失礼にならないように、微妙にスルーしていて(そういう見方も失礼かもしれませんが)、それも凄いと思いました。

 やっぱりちょっと恐い人だと思ったのは、洞察力がとんでもなくすごいのが、この短い時間でもわかった気がしたからですが、こういう人が目指す資格の組織の偉い人、というのは、それは、その組織がフェアであることでもあるので、励みになるとも思いました。なんだか、ぼんやりして、帰ってきました。

 いつもよりもけっこう早い時間に帰れたのですが、寝るのは、義母の介護があるので、いつもと同じ午前5時くらいになりそうでした。ただ、明日とあさっては講義は休みで、課題などは残っていますが、けっこう気が楽なのに気がつきました。

フォーカシング

 5月24日。月曜日。

 午前中から、午後にかけて、課題のレポートを書いて、でも進まずに、外は雨が降っていて、気持ちが明るくならず、どこかあせりみたいなものがあり、そうこうしているうちに義母がデイサービスから帰ってくる時間が近づきます。

 だけど、月曜日はいつも微妙に遅めにバスが来るので、いらいらした感じになり雨が降り、というパターンは最初の講義の時からそうで、重い気持ちがどこかにありながら出かけることになり、午後4時50分くらいにやっとバスが来て、荷物の受け渡しとカサの具合がうまくいかず、いらつきながら自分のレインコートを頭からかぶせるように義母を部屋へ連れて行って、それからあわてて着替えて出かけました。

 それでも午後6時頃には、大学の最寄りの駅に着いたので、乗り換えがスムーズだと、本当に正味で60分と少しという感じで、40分以上、地下鉄に乗っているけれど、それほど遠い気はしなくなりました。学食でコーヒーを飲み、汗をかいたのでトイレでTシャツを着替え、それから教室へいったら、ほぼ全員が揃っていました。

 知らない人がいると思ったら、フォーカサーという人が2人いて、このフォーカシングのプロでした。ものすごく穏やかで繊細そうな人たちで、そういう人を見てしまうと、自分はこの方法には合わないのではないか、という気持ちにもなってしまいますが、この時間は自分への批判もしない、というのもルールだから、とりあえず慣れることだという気持ちにもなってきました。

 それは、この教室の肯定的な雰囲気のおかげもあると思いましたが、教授を含めて3人がガイドになって、誰かを相手にする、というパターンで、誰もいないなら自分が手をあげようと思っていたのですが、若い人が希望をしたので、その人に譲りました。

 ものすごくぼんやりしている話だったけど、その人の表情が変わったように見えたので、なんだか変化があるんだ、というのは分かり、それよりも本人が、具体的なことを一切語ることなしに何かが進んで行く、というのは一歩間違えれば妙な宗教にも見えることだとは思うのですが、それが確かに人の力で、フォーカシングだとも思えました。

 それは安全を保証され、否定的な見方も存在しない、という限定付きなのですが、確かに不思議なほど深みがある方法なのはわかりました。

 そして、もう一人希望者が募られ、いなければ私が、と思ったのですが、ここまで過程を見て、分からない、と連発していた若い同期が、いいですか?というので、当然、どうぞどうぞ、と譲りました。

 今度も、その若い同期に、やはり変化が訪れ、それから時間が過ぎていきました。いくつかのグループに分かれていますから、うしろからかなり率直に自分の内面を語る声も聞こえてきます。

 そのあとは、休憩をはさんで、講義は続きます。ガイドを含めてのデモンストレーションを見たい人と、セッションといって1対1で、今のを再現するグループのどちらにするのか。

 それを、みんなが目をつぶって、手をあげたら、私以外は、かなり慣れている人たちだけがセッションを希望していて、私はチャレンジャーだといわれました。ただ、年齢が高い分、やれることはやっておかないと、という焦りはずっとありました。

 それからの時間は座禅をくんだような(やったことないですが)時間でした。不思議な疲労感みたいなものがあって、ぼんやりしながら帰りました。

 以前、住んでいる場所のそばの高校に妻が通っていたことを話したら、20代の同期女性が興味を持ってくれたという話をしたら、妻が一緒に出かけたい。帰りの地下鉄の中で、そう言っていたと、その20代の同期に伝えたら、会いたいと言ってくれたので、だいたいの日程を決めました。なんだかうれしい気持ちがしました。こういう変化があるとは思いませんでした。

欠席

 5月25日。火曜日。

 カウンセリングの受付の実習があって、なんとか無難に乗り切り、今日はそれほどの問題もなく終わって、じくじくした気持ちが少しとれました。ただ、一緒に実習を受けている同期の人から、今年入学した一人が講義に出なくなってきているという話を聞いて、気がつかなかったと思いました。

 それは、先週からのことで、そういえば、その同期は、金曜日にも月曜日にもいなかったけれど、でも、そんな深刻なことだとは思っていませんでした。

 大学院という場所でも、そういうことが起きるのだと思うと、そして臨床心理という学問を学んでいる場所でも、そんなことが起きるのだと思うと、そして、気がつかなかった自分に、そんなことで人の心を扱う、というようなことが出来るのだろうか、などともいろいろと思ったりしました。

 そういえば、先週の講義の中で、私がその人に「○○さんは、どう思いますか」と聞いたあとの休み時間に「わたしの名前を言ってくれてびっくりしました。おぼえていてくれて……でも人数少ないからですよね」と言われ、「そんなことないですよ」的な答えは言ったとは思うのだけど、それ以上は言えませんでした。いま考えれば、もっと、ちゃんと言えばよかった、と今さらながらに思いました。

 ……名前、覚えてますよ。だって、わたしが以前、スポーツ選手に取材をする仕事をしていたことに興味を持ってくれて、その時に、あんなに、こちらをまっすぐに見て、ちゃんと聞いてくれたのは、やっぱりすごくありがたい気持ちがしたので、というような、その時に思ったことをちゃんと言えばよかったのに、どうして言えなかったのだろう、みたいなことを思いました。

 そんなことを考えること自体が、とても偽善的だとは思いました。

 実は、誰もが、新しい環境に慣れるのに大変で、だから、周りを見る余裕もそれほどなくて、でも、まだそんなことを思うのは、気が早過ぎて失礼ですが、しばらく休んだとしても、また復帰してくれれば、などと思っていました。

 その後に講義があって、1年近くも相談を継続している人の事例を発表してくれました。

 そして、最初はその人がクライエントの事情に気がついていない、と思われていたのですが、講義に参加しているある学生の発言で、その人が、実は邪心がないゆえに、最初の頃から相手に信頼されているのではないか、と気がつき、その事例の見え方がガラッと変わり、すごく気持ちも揺さぶられたりもしました。

 講義を受けてよかった、と思える展開になっていました。すごい。この短い時間の中で、こんなに視点が変わるような、こういう講義もあるのだと、なんだか感謝したくなる部分もありました。

 冒頭で前回の私の発表への感想で、担当教授が、この前は介護の職員への話に焦点を当てすぎて、私のような介護者への視点がなかったのが反省点といってくれて、それはすごく有り難く思えました。その通りだと本当に感じたからです。

評価

 5月26日。水曜日。

 いろいろと都合が重なってしまい、提出が今月中なのに、今日26日に、義母の介護認定の調査に来てもらうことになりました。結果として、ケアマネージャーの人に迷惑をかけることになってしまいました。

 午前11時半の約束に合わせて、廊下とトイレと玄関の掃除をしました。そして、来てもらって丁寧な調査をしてもらい、気をつかってもらい、それから、少し話もしました。ケアマネージャーの仕事の大変さ、というものをまた改めて分かった気もしました。

 それから、食事をして、テレビを見ていたら、ものすごく眠くなって、少し寝て、それから今日の課題のチェックと書き直しをして、学校へ出かけました。午後5時半頃に着いて、学食でランチの和定食で、「アジフライ」がメインの食事をしていて、食事が終わった頃に同期が来て、「同じテーブルで食事をしていいですか?」と言われ、「もちろん」と答え、少し話しをしていたら、ほめられました。

 講義などで、私の話を聞いていると、想像力がある、ということを言ってくれました。なんだかテレくさい気持ちです。というより、学校という場所で、しかも学んでいることについてほめられたなんて、ほとんど記憶にありません。自分よりはるかに若い女性に、しかも、自分よりも臨床心理学を長く学んでいる人に、素直にほめられるのは、とてもうれしいことでした。

 そうしたら、もう一人、社会人枠の同期の女性も合流し、その流れで、ほめられました。最初は、ただよくしゃべる人、という否定的な見方をしていたのが、変わりました、と言われ、微妙に複雑な気持ちはしたものの、でもうれしく、ちょっと楽しくなったりもしました。

 こんなことがあるとは思いませんでした。

 それから講義に出ました。今日は、テキストでもある本を読んでいろいろと話すという形式だったのですが、何より、その本の分からなさ、というものが自分だけではない、と思って、少し安心したりもしました。

 ただ、質的研究の膨大な手間ひま、というものは再確認したりもできて、だから、それは何となくがっかりするようなことでもありました。

 外へ出たら、この季節のわりには、けっこう気温が低く感じました。そのまま地下鉄の駅へ行ったら、同期がいて、もう一人の方は、知らなかったけど、大学院の先輩にあたる人で、あいさつをして、それから同期の2人の女性と話しながら、途中までいっしょでした。

 課題がどうこう、とか、講義がどうこうとか話しながら移動するのは楽しい時間でした。そして、気持ちのどこかで、慣れないんです、と言って、しばらく休んでいる同期のことを思いだしました。

 家に帰って、妻と話をして、テレビも見ました。考えたら、妻の負担もけっこう増えているはずで、そういうことを思うと、ただ楽しいだけではないことに気がつきます。今週もまだ課題が残っています。それは、とても学生っぽいですが、でも、自分で何かを書いて、それが大学の先生だから仕事ではあるのですが、誰かが確実に読んでくれると思うと、それを書くことが実はけっこう楽しいと思えてしまうようでした。

 これまで、自分が、どれだけ孤立感の中にいたのだろうと気がつきました。

距離

 5月27日。木曜日。

 この前、発表をして、ベストをつくし、思ったよりも好評だったので、実は自分でも知らないうちに調子に乗っているのではないか、などと恐れていたので、講義が始まり、教授から微妙なつっこみが入るたびに、半分冗談で半分は本気なのではないか、とびくびくしていました。

 講義の最後の方で次回の発表という話になった時に、同期が手をあげて、私がやります、というので、おおーと思っていたら、実は講義中に他の出席者との微妙な戦いがあったようで、それに対する、やってやるぜ、みたいな事だったらしいとあとで知り、若いし、学生だし、という気持ちに自分にまでなれました。

 だけど、どこかで何だか調子に乗っているのかな、という思いはどこかにあり、駅まで担当の教授といっしょで、いろいろとしゃべってもらったのだけど、わずかな恐怖感がぬけなかったのは、基本的に先生とか学校というものに、どこか苦手意識がある、という事だと思います。

 しかし、びびりながら講義を受け、その終わりというのは7月ですが、この講義が終わる時、という話が出た時に、確かに時の流れみたいなものを感じ、ものすごく長く感じた4月や、夏までの時間に急に風みたいなものがふいて、すぐそばに終わりがあるように思ってしまいました。

 だんだん楽しくなるような、この時間にも確実に終わりがあって、それは2年間という、これまでの学生生活ではもっとも短い時間なのだから、あっという間に終わってしまう、という気持ちが実感として初めて起こりました。

 地下鉄のホームで、さらに何人かの同期と合流し、その中で、恐れを知らない同期の女性が教授に話しかけているのを見て、でも、笑ったりしているような時間が、どれだけかけがえのないものか、今の時点で分かるような気もしています。いろいろな心配や不安やあせりもありつつ、学生生活は今のところ、とても楽しいのだと思います。すごくありがたい、と思いました。

 帰ってからは、早朝に近い時間まで、介護は続きます。

休学

 5月28日。金曜日。

 今日は早めに起きて義母をショートステイに預けました。

 担当してくれたのは、いつもの感じのいい人で見るとホッとするので、とてもありがたい気持ちになれました。確実に過酷な労働といっていいはずなのに、この人には余裕があるように感じるのか、とすごいという気持ちと、不思議さも感じます。

 それから、久しぶりに妻とファミレスで外食をしたのですが、その前の道路でマックのクーポン券を配っていました。そのマクドナルドのショップは、もう31日で終わります、と大きくでていたのが小さい看板になっています。もうすぐ、この町から、マクドナルドがなくなるのは、ちょっと寂しいことでした。

 食事をして、コーヒーを飲んで、ミニデザートも食べて、帰ってきてから、提出の書類を作成して、ロールシャッハの分析を少し始めたのですが、すごく眠くなって少し寝ました。

 学食で食事をしようと思って、早めに出たら、途中で今日の教授が目の前に立っていました。席をゆずって、少し話をしたのですが、最近、自分がすごく押し付けがましいのではないか、と思って、なんだか自分が嫌になりましたが、途中で、その教授も高齢者に席をゆずっていました。

 それから、学校の最寄りの駅で降りて、学校に着いてから、ずっと携帯もスマホももったことがないので、校舎の中の公衆電話を使って、ウチに電話をして、今日から5日間義母がいないんだ、と思い、それでも学校はあるから、それほど変わりないし、今日も早く寝たいけど、ロールシャッハがあるし、などと思いながらも、閲覧室へ行って提出書類を、頼まれていたものも含めて無事に出せました。よかった。やっぱり人のものもあると、ちょっと緊張していたのを、終わったあとに気づきました。

 今日は、しばらく来ていない同期が来るかもしれない、というような気持ちもあって、でも、一応は今日の講義で、その人が来ない場合でも、発表だけは出来るように、と思って準備はしてきました。

 そして、講義が始まっても私の隣の席はあいたままで、どうやら、休学といった事で、その事情は2人くらいは知っているようでした。代わりに発表ができる準備はしてきましたが、教授に聞いたら、欠席をしている人がいるので、予定とは違うグループに分かれて参加してください、と言われ、そうすることにしました。

 だから、その準備は、ひそかに無駄になりました。

 グループに分かれ、いろいろと考え、ちょっと悩み、インタビューデータの分析もして、その中で、油断すると自分が意地が悪くなるのだと、改めて思いました。

 講義が終わってから、同期の20代の女性に、2分くらいいい?と相談にのってもらいました。休んでいる同期の事で、結局は、何か伝えたほうがいいのか、という話だったけど、でもすでに伝わっていると思います、と言われ、相談は終わりました。これ以上、何かを伝えるのは、かえって負担になる可能性が高いのも間違いありません。

 なんだか重い気持ちのまま、地下鉄に乗って、あと数駅で自宅の最寄り駅に着く頃、自分が背負っているリュックをひっぱる長い髪の女性がいて、急に重くなり、うわ、見えるのは自分だけだったら、何かにとりつかれたか、と怖かったら、貧血で倒れそうになっていた人でした。

 リュックをつかまれたので、一瞬、すごく重かったのですが、なんとか、こちらも倒れずに済んだので、無事で、親切な人が席を譲ってくれて、その女性に、とりあえず座ってもらいました。

 すごく、びっくりしたけど、リュックじゃなかったら、その女性は捕まるところがなくて、倒れていたかもしれないので、とりあえずはよかったと思いました。

 帰ってきて、メールのチェックをしたら、昨日、話をした社会人の同期の人からメールが来ていました。

『発表の準備をしてくれて、○○さんのかわりに御礼を言います。神様は見てます。いいことがありますよ』という内容でした。なんだかありがたく思いました。

ロールシャッハ・テスト

 5月29日。土曜日。

 土曜日は朝が早い。

 昨日は、ショートステイに義母を預けていたのに、ロールシャッハの課題があったので、結局、いつもと同じような午前3時過ぎに寝たので、かなり眠い状況でした。

 朝から微妙におなかの調子も悪く、ちょっと下っているような、でも便はほとんど出ないような、そんな感じのまま電車に乗りました。

 学校へ着いてから、もう一度トイレに行ったのですが、やっぱり調子が悪いままで、コーヒーを買って、水を買って、実習室へ行きました。

 あいさつをして、みんなで座って、そして、講義が始まると、解釈の話が続きます。教室の中には教授の声だけが響いて、時間がたつと、おなかの調子がずっと悪くなり、ごろごろぴーぴーという音がなってしまい、ちょっと聞こえたかもしれません。その後で隣に座った人のケイタイのアラームが鳴ったり、と妙に音がありながら、講義の時間が過ぎました。

 講義が終わってから、トイレに行って、その間に他のみんなはそれぞれの食事場所に消えていました。私は学食の券売機の列の一番うしろに並び、いろいろな定食を見て、カレーセットに決めました。300円。

 他の同期のみんなもテーブルにいたのですが、そのテーブルはいっぱいで、場所がなかったようなので一人でカレーを食べました。コーヒーを飲んでいた時に、昨日メールをくれた受付の実習を一緒にしている同期の人が通ったので、昨日は、とてもありがたかった、という気持ちを伝えました。

 それから、後半の講義まで、意外ともう時間もなくなっていて、実習室に戻ると、後半は、昨日、記号化したことの答え合わせのような内容になりました。

 自分の記号は、どんどんはずれているのがわかります。また違う。さらに間違っている。自分で書いた記号がほとんど違うので、せっかく集計というような表を書いたのに、ほとんど書き直さないといけない、という事が途中で分かって、ちょっと嫌になったりもしました。

 おなかの調子も悪いままでした。ロールシャッハテストの記号化は、どんどん間違っていて、たまに、こういうのはどうですか?と手をあげると、解釈のし過ぎだね、みたいな事を言われ、どうも、クライエントの話している内容に入りすぎて、その主観に沿いすぎているのが何となく分かりました。

 それで、自分のゆがみみたいなものを感じたりもしましたが、そういう事を修正していくのが、これからの時間なのかもしれない、などと思いました。

 講義が終わったら、おなかの調子は治りました。どうも、ロールシャッハテストのプレッシャーがあったようです。

 同期の人たちと、おつかれさま、と言い合って、校門を出たら、食事をするとかしないとか、という話になって、だから、私もよく分からないまま、一緒に行くことにしました。そこにいる、全員で行くのかと思ったら、その中の一部でした。あれ?と思ったのですが、それを言うわけにも行かず、まずは池袋まで歩きました。初めての道で、20分くらいかかりました。

 それから、いっしょに食事をするというか、私はさっき昼ご飯を食べたので、デザートを食べました。

 それから、いっしょにいろいろな話をしたけれど、同期の過去のいろいろなハードなエピソードも聞いたりして、それから帰路につきました。途中の駅でいったん降りて、ワイシャツと妻へのおみやげを買って、帰りました。今日は義母がショートステイでいないので、気持ちはかなり楽だとやっぱり思いました。

日曜日

 5月30日。日曜日。

 朝、なんだか早く目がさめてしまったのは、久々に午前2時半頃に寝たせいでした。いつもは4時半だから2時間は違うことになるので、午前8時過ぎに妻と二人でテレビを見ていました。

 その後は日曜美術館を見て、この時間にいっしょに見れるなんて、と妻に言われ、日常の事を描いている画家で、なんだかモダンな人でよかったけれど、映画監督の小栗康平がゲストで、その人の語りがまるで自分の内面を丁寧に見つめながら話すフォーカシングのようで、その話す力が凄いと思いました。

 今日は、日曜日なので、講義は休みです。

 妻といっしょに朝食のカロリーメイトを食べてから何だか眠くなって、寝ていたらカウンセリングの夢を見て、目がさめたら昼を過ぎていて、また昼食を食べました。

 そのあと、洗濯をして皿を洗って、それで耳は英語を聞いていて、それからまた課題を進めて、自分でなんだか大げさというか情緒的すぎるかも、などと思いながらも、読んでくれる人がいる文章を書けるのはありがたい気持ちが、まだどこかにあります。

 それからも時間は過ぎて、ほとんど何もしていない日にも思えたし、課題がいろいろ出ていたのと比べると一段落したから、なんだか妙に余裕があります、

 でも、今は学生気分でなんだか楽しい時間を過ごしている部分があるのですが、それも2年で終わりなのだから、と思いながら、ここまで2ヶ月経っていないのに、ホントに学生らしい時間があって、それは、夢のような楽しい時間が贈り物のように与えられた、というように感じています。

 入学前は、こんな時間があるとは思っていませんでした。

 でも、学問に関しては今が一番熱心に取り組んでいる、というのは間違いないと思います。あれだけ何も授業に出なかった大学時代と比べたら、本当に違うので、自分では笑ってしまうほどですが、でも、周りが若い人が多いおかげで、自分の年齢を忘れて自分も若いつもりになったりも出来て、それは、もしかしたら外から見たらイタイ人だとしても、おそらく本当に得難い貴重な時間なのだろう、と改めて思ったりするのは日曜日で気持ちに余裕があるせいだとも考えました。

 2年間を大事にしようと、やっぱり思いました。




(この話は、⑭に続きます↓)。




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