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『「介護時間」の光景(77)』。「輪ゴム」。10.8.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

(この「介護時間の光景」を、いつも読んでくださっている方は、「2003年10月8日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられると思います)。

介護時間の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護者の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も古い話で申し訳ないのですが、前半は、18年前の「2003年10月8日」のことです。
 後半に、今日、「2021年10月8日」のことを書いています。

2003年の頃

 個人的なことですが、1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期入院が可能な病院に移ったのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。

 転院当初は、それ以前の病院の医療関係者に、かなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていましたが、2年経つ頃は、病院のスタッフの方々が、母親に丁寧に接してくれているのも分かり、さらには、減額措置なども使えるようになり、病院のことを信頼するようになったので、私も、母親も、少し落ち着いていたのが、2003年の頃でした。

 それでも、病院には、毎日のように通い続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、引き続き、2003年も、病院に通っていました。それでも、その頻度は、少し減っていたかもしれません。

 そのころの記録です。

2003年10月8日

『3日あけて病院へ。

 人に話を聞いた日もあったので、その日数以上に時間がたったような気がした。

 昨日、急にブルーハーツが聴きたくなり、いろいろなことを思い出した。

 病院に着いたのは午後2時前だった。
 今日、母の病室に行く前に、入院している患者さんに渡す「誕生日カード」を作るボランティアがあるから、いつもよりも早めに着いた。

 1階の大きい部屋で、同じように家族が入院している人たちと一緒にカードを作る。
 なんてことのない話でも、さまざまなことを、詳しく説明しなくても伝わるので、とてもありがたく、支えられている感じがする。

 今日も、皆さんと一緒にカードを作って、栗ご飯などもモチーフにして、うまくできたと思う。

 できたあとは、次の11月のカードをどうするのか?を相談をする。10月や、11月は、同じ秋であっても、どう違うのか、と考えて、形にするとなると、けっこう難しい。

 その作業が終わってから、午後4時過ぎに母の病室へ行く。
 母は、病棟内でのレクリエーションのために、部屋にはいなかった。
 午後4時45分に、戻ってくる。
 変わらず、元気そうだった。

 「おしん」というテレビドラマを、みんなで見たそうだ。

 それから時間が経って、午後5時30分から夕食になる。
 35分かけて、食べる。
 その間に、他の患者さんの話を聞く。
 元気そうだし、内容もしっかりしている。

 午後7時に病院を出る。
 11月上旬の天気だそうなので、少し肌寒い。

「お母さん、大事にね」などと言われる。
 妻の母親のことで、帰ってから、介護がある。
 そんな気遣いもしてくれるほど、余裕が出てきたのかもしれない。』

輪ゴム

 帰り、夜9時前、私鉄の車両の床に輪ゴムが落ちていた。
 かなりすみっこなのに、なんでだか、けっこう目につく場所というのがある。
 確か、午後…今から7時間くらい前…に出かける時にも、同じような場所に輪ゴムがあったと思った。

 なにかの「しるし」にも見えてくる。
 ここの輪ゴムの中の床を押すと、何かのリセットボタンだったりしたら、と珍しく具体的な事を考えた。
 何か、って?

 自分の考えが、あんまり具体的でないことにも、すぐに気づく。

                         (2003年10月8日)


  その生活が続き、2007年に母親は病院で亡くなった。そのあとも、義母の在宅介護が続いたが、その合間に勉強を始めて、大学院に入学し、臨床心理士の資格を取得したのが2014年だった。同じ年に「介護者相談」を始める。2018年の年末に、義母が103歳で急に亡くなり、突然、介護も終わった。2019年には公認心理師の資格も取得した。介護後、思った以上に、体調を整える時間がかかったら、その頃には、コロナ禍になっていた。


2021年10月8日

 朝起きて、妻と顔を合わせて、「無事でよかったね」と話をする。
 昨日の夜は、地震があった。

震度5

 急に足元が、ドンドンドンドンと強く叩かれるような感触があった後、横に激しく揺れる。
 明らかに、日常が壊れそうな強さ。
 怖いけど、避難することを考えて、なんだか面倒臭い気持ちにもなり、ガシャーン、という破壊の音が、どこからか聞こえる。

 これ以上、揺れたら古い木造の家はもたないのではないか。だけど、2階にいるから、潰れても、助かるかもしれないと、布団で寝そうになっていて、起きてしまった妻のそばで思っていた。

 しばらくたったら、揺れが止まる。
 どうやら、これで収まったようだ。

 ホッとする。

 1階に降りたら、廊下の棚の上に置いてあった額縁が落ちて、そのガラスが割れて、バラバラになっていた。さっきのガシャーンは、この音だったのかと思い、他の部屋は、小さい箱が落ちてきているだけで、少し安心した。

 だけど、割れたガラスを、本当ならば妻が寝る時間になっているので、私が一人でやらないといけないのに、妻が一緒に片付けてくれた。最後は、ガムテープで、廊下の小さいキラキラしたガラスの破片をとって、終了したら、午後11時を過ぎていた。

 当たり前のように思ってしまうが、本当は、とても微妙なバランスの上にやっと生活していると、改めて分かる。

 夜中に電車が遅れ、とても混乱したことを、改めて朝に知った。


家の修繕

 夏に水道管が漏れているのが分かり、動揺し、ご近所の方に相談したら、やってもらえることになり、その際に、お礼を渡したら、多すぎるということと、古い木造住宅で、あちこちに気になるところがあると言われ、少しずつ修繕をしてもらっている。

 自宅で、部屋を一つ作ってしまうような人なので、その作業自体は、苦痛ではないと言ってもらえるから、甘えてしまっているのだけど、いろいろと直してもらうのはありがたい。この前、濡れ縁を作ってもらったのは、知り合いの方に材料をもらったから、という理由だった。

 そのたびに、さらにささやかにお礼をすることにして、ただ、まだ作業が残っている。

 今日は、台所の流し台が、木製で、かなり分かりやすく壊れているのに、それに気づいたのは最近で、そのことを相談したら、直してもらうことになり、そのご近所の人は、「修理部分」を自宅で作る作業をしてから、午後になって、いろいろと持って来てくれた。

 作業が続く。

 昔、妻の父が直してくれた部分があり、それが、あまりにも強力な修理をしているので、それを取り外すのに苦戦をしていたりしているらしい。

 さらに作業は続く。

 その間に、妻が家にいるので、私は買い物に出かけ、薬屋で思った以上に時間をかけてしまったせいか、寄るところが多かったせいか、いつもよりも遅くなったようで、家のそばの小さい交差点まで、妻が様子を見にきてくれていた。

 その後も、作業は続き、作業音もして、流し台は、きれいに仕上がっていった。

 午後1時過ぎに始まった作業は、午後4時30分に終わった。
 帰り際にも、次の気になることを話し、ご近所の方は帰っていった。

 恐縮してしまうが、とてもありがたかった。

これからのこと

 新型コロナウイルスの話題は減っている。
 感染者数も減少しているが、原因が分からないというから、また寒くなってくると、去年のように増大するのだろうか。

 この間に、もう少し病床を増やすこともしてほしいけれど、新しい首相の演説では「新型コロナ、法改正で対応」という見出しがあって、なんだか不安にはなる。


 今日は、ずっと、いい天気で、気温も高かった。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえれば、うれしいです)。



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