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「介護の大変さを少しでも、やわらげる方法」⑲「介護の重要性を再確認する」

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、書き続けることができています。

 初めて読んでいただいている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。家族介護者の心理的支援を仕事にしています。

 いつも読んでくださる方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、私も家族の介護をしていた時期があります。その時間の中で、家族介護者の方の、こころのサポートが必要だと考え、臨床心理士になりました。その後、公認心理師の資格も取得しました。

家族介護者の負担

 家族介護者の方にとっては、介護が始まってから、いつ終わりが来るか分からない毎日が続いているかと思います。

 その気持ちの状態は、単純ではなく、説明しがたい大変さではないかと推察することしかできないのですが、それでも、ほんの少しでも負担感や、ストレスを減らせるかもしれない方法は、お伝えする努力はしていきたいと考えています。

 時間的にも余裕がなく、どこかへ出かけることも出来ない場合がほとんどだと思いますが、この「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」シリーズでは、お金も時間も手間もなるべくかけずに、少しでも気持ちを楽にする方法を考えていきたいと思います。

介護の重要性を再確認する

「介護の大変さを少しでも、やわらげる方法」シリーズは、19回目になりますが、「介護の重要性を再確認する」です。

 今回の方法は、少し時間がかかるかもしれませんし、やや余裕がある場合しか試せない方法かもしれませんし、とても分かりにくいと思いますので、少しずつ説明を続けたいと思います。

「介護は誰でもできる」といった発言があり、それが少なくない人たちから支持されたのは、4年ほど前でした。それは、いろいろと反論もしたくなるようなこととはいえ、何を言っても、経済的な基準が優先されている場合には、かなり難しいことだと思いました。

 介護というものを、経済の基準で、その重要性をフェアに測定するようなことは、ほぼ不可能ではないかという気持ちもあります。

 ただ、「誰でもできる」ばかりが強調されてしまえば、介護に関わる人たちは、家族も含めて、ずっと傷つけられているような状態だとも言えます。

 それでも、人の考えや見方を変えるのは難しいので、まずは、自分の見方をわずかでも変えることで、「介護の大変さを、少しでもやわらげる」可能性を、今回は提案したいと思っています。

介護の重要性

 実は、介護(ケア)の重要性と難しさを語る言葉も、目立たないかもしれませんが、各方面で語られてきました。

 よい介護者のすばらしい技能には、それに見合った認識がなされていません。ケアの仕事には、やさしさと洞察、そしてとても限られた職業のみ見受けられる現実的なノウハウとの特別な組み合わせが求められるのです。たとえば、会計士や技術者、または医師の仕事になぞらえることができるでしょう。
非常に多くの人々が一般の目に触れない所で行っている、社会に欠かせない仕事へと、私たちはもっと目を向ける必要があります。直接の形でも遠くからの気遣いという形でも、介護をしている皆さんの仕事を、私は尊敬し、絶賛します。それでも、介護のために自分の健康を損ねてほしくはありません。
 ケアをすることは容易ではない。時間やエネルギー、財源を費やし、体力や決断力を奪い去る。それはまた、ケアをすることで効果があるとか希望が持てるといったごく素朴な思いに大きな疑問符をいくつも付すのだ。ケアをすることは苦痛や絶望を募らせ、自己を引き裂く。家族にも葛藤をもたらし、ケアのできない者やしない者とケアをする者との間に溝を作ってしまう。ケアはきわめて困難な実践なのである。専門である医学や看護の諸モデルが提案するよりもはるかに複雑かつ不確かであり、専門領域に限定されない実践なのである。というのも、わたしにとっては、ケアをすることの道徳的・人間的な中核は決して精神科医であり医療人類学者である自身の専門家としての仕事から得られたものではないし、主として研究論文や自分の研究から得られたものでもないからである。わたしにとってのケアをすることの道徳的・人間的な中核は、何よりもまずジョージ・クラインマンのケアをする第一の存在として始まった。自分自身の新たな暮らしから得られたのである。

 ここではケアという言葉が使われていますが、ほぼ介護という意味合いと同様に使用されていて、そして、長年、研究している人や、実践に関わってきた人。どの言葉からも、本気で、介護することの困難さと、同時に、それをおこなっている人への敬意のようなものが伝わってくると思います。

 もし、こうした文章で、介護が理解されている、という思いを少しでも持つことができれば、もしかしたら介護の負担感は、ほんの少しでも軽くなる可能性があるかと思い、こうして紹介させてもらいました。

ケアの倫理

 目の前の介護の大変さとは関係ないと思われるかもしれませんが、最近になって「ケアの倫理」が注目されるようになってきたようです。

 この場合のケアという言葉は、介護ということとイコールではないのですが、ケアの倫理は、これからの社会で重要な思想ではないか、という指摘や分析が多くなってきているみたいです。

 ケアに満ちた民主主義に向かうための、わたしたちの最初の変革とは、ケアに関心を向け始めることです。わたしたちは、自分たちがケア活動に費やす時間をどのように評価するかについて、これまでの考え方を改めなければなりません、すなわち、なによりも、ケアのための時間とは、価値ある活動をするために費やしている時間だということに気づかなければなりません。 

 これからの社会構造そのものを問い直す際、その核になる思想として、ケアの倫理ということが取り沙汰されるようになり、それは介護そのものではないとしても、このような思想が実現されるような社会に近づけば、当然のように介護することの重要性や価値は、今よりも正当に評価されるようになる、と思われます。


 ケアに満ちた世界を築きあげようとすると、私たちの宣言の始まった場所に立ち戻ることになります。すなわちそれは、私たちは生き物として、他のあらゆる人間や人間でない存在とのつながりのなかで共に存在し、また地球上の生命を維持する有生無生のシステムやネットワークに依存しつづけてもいるという理解のもとに行動することから始める、ということです。 

 こうした言葉や思想に関して、恥ずかしながら、私自身も完全に理解しているわけではないのですが、それでも、この著書は2021年に出版されていて、コロナ禍の話題についても触れています。

 パンデミックは、これまで最も無視され、権利を奪われてきた市民、とりわけ高齢者、女性、黒人やアジア人をはじめとするマイノリティ(BAME)、貧困者や障がい者たちを直撃する、ということを。こうした現状は、グローバル・ノースのその他の諸国においてもさほど変わりません。

 だからこそ、これからの世界にはケアが必要である、という主張にもつながっているのですが、もしかしたら、このような「大きい話」を聞かされても、自分とは関係ない、と思うかもしれません。それでも、社会の構造が変わることで、介護がより大事にされる可能性はあると思いますし、そうした考え方が存在すると知るだけで、ほんのちょっとだけ気持ちが変わることもあるかと思い、こうして紹介させてもらいました。

利他について

新型コロナウイルスの感染拡大によって世界が危機に直面するなか、「利他」という言葉が注目を集めています。
実際に人々のあいだにも利他的な意識や行動が広まっているようです。なかでも顕著なのは、若い世代の動きです。

 最近になって、「利他」ということが注目を集めているようですが、確かに、それが尊重された方が、生きやすくなるような気もしますが、その言葉を聞いた時に、私は、すぐに「介護」のことを思いました。

 それは、以前も書いたのですが、介護をする人たちの多くは、考えるよりも先に、困っている人がいたら「手を差し伸べる人」ではないか、と思っていました。それは、「利他」という言葉でも置き換えられるように思っているからです。

 他者の潜在的な可能性に耳を傾ける、という意味で、利他の本質は他者をケアすることなのではないか、と私は感じています。
 ただし、この場合のケアとは、必ずしも「介助」や「介護」のような特殊な行為である必要はありません。むしろ、「こちらには見えていない部分がこの人にはあるんだ」という距離と敬意を持って他者を気づかうこと、という意味でのケアです。耳を傾け、そして拾うことです。           
 ケアが他者への気づかいであるかぎり、そこには必ず、意外性があります。

「ケア」の核には、「介護」も存在することは間違いないと思いますので、とても日常的な行為でありながら、「利他」の視点からも、「介護」は、これからもっと見直される可能性があると思います。

介護の意味

 なんだか小難しいことを読んで疲れてしまったら、申し訳ないのですが、それでも、これからは介護の思想そのものが、時代を作っていく可能性を、個人的には感じたので、複数の書籍からも引用しました。

 特に、今、介護をされていて、その意味について、虚無感を覚える方もいらっしゃるかもしれないので、その重要性も、未来を切り開く可能性があることも、改めて伝えられたら、と思い、こうして紹介させてもらいました。

 最後にとってつけたような話ですが、介護は大きく言えば、人類にとってとても重要な行為だと思っています。そのことが、今はあまりにも軽視されていますが、それでも、その尊さは、変わりがありませんし、人間はずっと、困窮状態にいる人たちを介護することを続けてきました。特に老いて衰える存在を気にかけるのは人類だけだとも言われています。

 毎日の介護は、とても重要で尊いと、介護を終えた今でも、特に、介護をされている方の話を聞くたびに、思っています。

 現在、介護をされている方々は、ご自分の心身にも気をつけながら、過ごしていただければ、とも思っています。

 今回の記事は、まだ自分が理解しきれていないので、分かりにくくなり、すみませんでした。ただ、介護の重要性について、再確認することが少しでもできれば、ありがたく思います。

 今回は、以上です。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います)。



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