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『「介護時間」の光景』(165)「さといも」「ホーム」。7.19.

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年7月19日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年7月19日」のことです。終盤に、今日、「2023年7月19日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2002年の頃


 とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、2年が経つ頃、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の7月頃だったように記憶しています。

 そのころの記録です。

2002年7月19日

『自分の病院も行って、午後4時55分頃、少し遅めに母の病院に着く。

 横になって、ぼんやりしている。

「昨日、来たっけ?」

 と言われる。昨日のことは忘れていたみたいだけど、外出しようという話は覚えていてくれている。

 それでも、話をしていて、なんだか、ぼんやりしている。

 今日は、病棟の集まりというか、リハビリというか、集まって話をして、子供時代の話をしたそうだ。

 男性の高齢者の患者さんが、最近、元気だということも聞いた。なんだか、少し良かったと思う。

 夕食は、50分かかる。

 天気が良くて、病室の窓から、月も見える。

 ずっと、1日の一個のつもりで、ひと口ヨウカンを買って行っているつもりだったのだけど、どら焼きも半分食べていて、このペースだと、1日に2個くらいは食べているようだった。

 だから、いっぺんに多く置きすぎると、その分、たくさん食べすぎるから、あんまり、置かないようにしないと、などと思う。

 それにしても、21日に出かけることを、そんなに楽しみにしてくれていて、「明日は、ゆっくり休んで」などと言われた。

 なんだか、ありがたいけれど、実家に戻るから、明日は掃除をしなくてはいけない。

 午後7時に病院を出る。

 そういえば、医師にも、どこへいくんですか?と言われ、少し置いて「実家に行きます」と答えた。なんだか、家なのに、実家とはいえ、住んでいたこともあったのに、変な遠慮みたいな気持ちがある』。

さといも

 バスの中から外を見ている。ちょうど目の高さくらいに、さといもの葉っぱが生えている畑を通る。大きくて、表面に毛がうすく生えていて、水玉が転がるヤツ。田舎にいる時には、よく見ていた気がする。

 そして、そのさといもの葉っぱが暗い中でざわざわと揺れていた。少し、重量感があるせいか、そのたくさんある感じの密集度のせいか、ちょっと人間みたいな気までした。

ホーム

 駅に着いた。
 夜8時くらい。人もそんなに多くないのに、向こうに見えるホームの端には、人がたかるようにけっこう密集している。

 鉄道マニアかと思ったら、タバコの喫煙場所だった。

                         (2002年7月19日)


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、在宅で、妻と二人で介護をしていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年7月19日

 起きたとき、汗が出て、それ以上出ないような感覚があって、これは、気をつけないと熱中症になるのかも、という怖さもあった。

 ただ、夫婦で寒がりなので、エアコンの温度設定も、29度か30度くらい、それも、タイマーをつけて30分ほどで切るようにしているから、室温を下げることは、微妙だった。

 とにかく水分をとる。

洗濯

 毎日のように35度を超えるようで、暑くて雨が降らないと、洗濯物はとにかく乾いて、ありがたい。

 干したものが取り込むときに、あったかい。

 冬に使っていた「発熱タイプ」の毛布なども、やっと洗えて、干して、乾いていく。

 収納する前に、妻が、熱を冷ましてから、袋に入れてくれる。

セミ

 洗濯機のそばの壁に、微妙に色が濃いものが並んでいる。

 セミの抜け殻と、セミだった。

 何年か前に、ここよりも少し上のところで、夜中にセミが脱皮していた。何時間もかかって、サナギから出てきて、最初は透明で、びっくりするくらいキレイだったことを覚えている。

 だから、反射的に、このセミは、この抜け殻となったサナギから出てきたのではないかと思っていた。

 それから、何時間も、セミはそこにいた。

工事中

 家のまえの道路は、「雨水マス」を新設するための工事がおこなわれている。 

 家の前に、雨が激しく降るたびに、水が溜まっていて、それは実は、側溝を整えたり、「雨水マス」の設置をすると改善する状況らしく、そのために先週から工事が始まっている。

 暑い中、先週から工事が続いていて、今日も音が響いている。

 その向こうに女子高校生が帰宅するために、歩いている。

 工事のために、完全にガードレールの中を移動しているから、2列縦隊のように歩いている。

 かなりの割合で、小さい扇風機を持って、顔に風をあてている。
 その同じように見える姿が、何人も何人も、続いていく。








(他にも、介護に関することを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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