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就労支援日記㉓~『「住まい」は権利』、か?~

X(旧Twitter)をみていたら、建設関係者から建築資材が暴騰し、これからはいままでのような金額では家を買えない時代になるのではないか、という指摘があった。
あらためて思うのだが、人がふつうに働いていても、買うか借りるかに関わらず、安心と安全が保障された家を持つことができない社会とはかなり異様な状況である
「住まいは人権」という言葉を、改めて思い出す。

僕が「住まい」を人権としてかんがえるようになったのは、イギリスの社会福祉政策について書かれた本を読んでからのことだった。
様々な本に目を通してみたのだが、共通していたのは「Housing Policy」(住宅政策)について書かれている章がけっこうな分量であるということだった。
住宅政策を詳細に分析し、それを基本的人権という文脈で論じている社会福祉のテキストは、少なくともこれまで読んできた日本のテキストの中には、あまり見当たらなかった。
英文で読んでいたので、かなり心もとない読解力ではあったが、それでも「住まいは人権」という理念が、障害者や高齢者など分野以前の制度設計上の大前提になっているのは十分に伝わってきた。

後日、翻訳業をしているイギリス在住の女性の知人から、製薬会社に勤務している夫が日本に出張することになり、ご自分も日本に行くというご連絡を受けた。
簡単な夕食会をした後、イギリスにおける住宅政策の位置づけについて尋ねてみた。
知人女性が言うには、“日本にいるときは、お金にあるかないかで住まいは決まるみたいな感じでいたけど、イギリスは違うので驚いた”という。日本人の場合はマイホームを持つ、ということに価値を置くが、イギリス人の場合は買うか借りるかということよりも、人権が保障されている環境で生きる(住む)ことができるかどうか、つまり居住権そのものに強くこだわるらしい。
和やかな表情でうんうんと頷きながら話を聞いていたご主人が、思いがけなかったような真剣な表情となり、静かに語り出す。
“私は中産階級の出身だったので、自分の家に住むということは当たり前のように感じていた。でも大学生のときボランティア活動に参加して、貧困を知り、多くのイギリス人にとって安心して暮らせる家に住むというのは、国家にずっと要求し続けて勝ち取った権利なのだということがわかった”。

そう、基本的人権とはたたかって勝ち取るもの。
確かに大金持ちは、大きな家に住むことができる。
それは、それでいい。
ではいろいろな事情でお金がない人は、お金がない人なりの場所に住めばいい、という考え方はどうだろうか?
もしかしたら日本人がもっと確かな感触をもった人権論を構築できるとしたら、このテーマから始まるような気がする。

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