精神科医、准教授になる【中編】
【精神科医、誘われる】
「はい?」
一瞬、恩師の性癖を疑ったが勿論そういう意味ではない。
「私がいるB大学は、若い医師が多いのですが、彼らを指導する中堅医師がとても少ない...。みんな指定医*をとったら実入りの良い民間病院に就職するのでね」
「はぁ...。えっ?」
急な展開に状況を理解するのに数秒を要した。
精神科医は恩師が在籍する私立大学の教員として誘われたのだ。
「先生は研究熱心なので、その研究意欲をB大学の若手に注入してほしいのです」
当時のB大学の精神科に所属する医師は、病院・クリニック院長の二世・三世が多くを占め、研究に対する熱量は高くはなかった。
そうは言っても箔付のために大学院で学位を取りたがる医師は一定数おり、そういった大学院生を指導する中堅・ベテランが必要だったのだ。
「本当に小生でよいのですか?」
「C教授(恩師が所属するB大学精神科の教授)も研究が指導できる医師を探していたから、私が推薦すれば大丈夫だと思いますよ」
恩師はそう言って赤ワインを口にした。
「...、先生ありがとうございます。"渡りに船"とはまさにこのことです!よろしくお願いいたします!」
「ふふふ...。わかりました。ではC教授に話を通しておきます。先生のメアドは変わっていないですか?教員募集要項を送ります」
なんだかトントン拍子にすすむ話に困惑しながらも精神科医はとても嬉しく思った。
研究会の翌日、早速B大学精神科の医局秘書からメールが届いた。
そのメールには履歴書、業績集、推薦状(2名)のフォーマットが添付されていた。
さらにメールには、B大学でプレゼンテーションが必要である旨が記載されていた。
「プレゼンかぁ...」
精神科医は、所属する大学医局の教授と大学院時代の指導教授に推薦状の依頼をし、履歴書・業績集を書き、同時に今までの臨床・研究に関する業績についてパワーポイントでまとめはじめた。
【精神科医、プレッシャーを感じる】
恩師と会った日から三ヶ月が経過した。
プレゼンテーションはあくまで"勉強会の講師"という立場で行うこととなり、精神科医の「移籍」が掛かっているという話はB大学内でも一部しか知らなかった。
B大学を訪れるのはこれが初めてであり、メールに添付された地図を頼りに精神科医は大学医局を求めて彷徨した。
アポイントの時間よりも少し早く着いたため建物の前で時間を潰していると、
「あ、鹿冶先生!?久しぶり」
と聞き覚えのある声がした。
声の主は以前某民間病院で1年ほど一緒に働いたことのあるD医師だった。
D医師は民間病院で精神保健指定医に必要な症例を集めるとすぐにB大学に戻り助教となっていた。
「D先生、お久しぶりです!今日は、宜しくお願いいたします」
「先生のご発表、皆が楽しみにしてますよ。なにせドクトル・ソムリエの愛弟子の講演なので(笑)」
「あはは...」
精神科医は、プレッシャーを感じながらD医師の案内されるまま医局へと向かった。
途中、D先生からはB大学ではやはり中堅・ベテラン医師が少ないこと、基礎系研究の協力体制が不十分であること、そして矢鱈と飲み会が多いことを聞いた。
「失礼します!」
精神科医は軽く会釈して医局に入った。回想すると自分でも笑っちゃうぐらい畏まっていたと思う。
「鹿冶先生、ようこそ」
医局室のソファーに腰掛けていた恩師はスクッと立ち上がり、精神科医を笑顔で出迎えた。
「少し建物が複雑だから、ここ(医局)はわかりにくかったのでは?」
「いえ、秘書の方から地図を頂いたので問題なかったです」
「そうですか。その秘書が…、あちらのEさんです」
すると医局の奥の方から妙齢の女性が手を振った。
「鹿冶先生、メールをやりとりしていたEです。はじめまして!」
「この方がこの医局の"裏ボス"ですよ、鹿冶先生」
「D先生!聞こえてますよ?」
D医師がコソコソ話をする素振りを見せると、E秘書は両手を腰に当て怒った素振りで返した。
「(なんだか賑やかな医局だな...)」
精神科医は、先ほどまで感じていた緊張感が和らいだことに気づいた。
【精神科医、プレセンをはじめる】
いつの間にかプレゼンの予定時刻10分前になったため、精神科医はカンファレンスルームに案内された。
精神科医が所属する医局のカンファレンスルームよりも二回り広く、既に20数名の医師が座っていた。
そこへ禿頭でメガネをかけた初老の男性が小走りでカンファレンスルームに入ってきた。
「いや〜すみません、鹿冶先生。教授会が長引いたので。それでは、早速はじめましょうか」
席に着くなりC教授は恩師を促した。
「はい、それでは時間になりましたのではじめたいと思います。今日は平成●年第●回B大学精神科勉強会をはじめます。今回は、私の教え子であるE大学精神科に所属する鹿冶梟介先生に留学時代の研究成果を紹介してもらいます」
ここまではテンプレ的な演者紹介であったが、恩師はこう付け加えた。
「鹿冶先生は本当にやる気のあるドクターで、医員の時には誰から言われるわけでもなく論文を3報書き上げました。私が教えることがないぐらい優秀でした」
事実、精神科医は医員(医師になってから3年目)に2報の症例報告、1報の資料論文を書いていた。
いずれも指導医や先輩医師からの勧めではなく、自身が「これは興味深い」というケースについてドラフト(草稿)を書き上げ、それを他の先生にみせてアクセプトされそうか尋ねる...、というパターンで執筆した。
当然ではあるが経験の浅い3年目の医師が"興味深い"と思う症例は学問的には貴重でないこともあり、ドラフトの中にはいくつかボツネタとなったものもあった。
しかし、ダメ出しにも屈せず1年で3報書き上げたことは精神科医にとって大きな自信となり、医師・研究者人生の財産となった。
…とは言え、ほぼ初対面の聴衆を前にハードルを上げられた感があり、精神科医は少々(かなり)照れながらプレゼンをはじめた。
プレゼンテーションは簡単な自己紹介、研究のバックグラウンド、精神科医が行ってきた研究、そして今後どのようにして研究を臨床に活かすのか...、そんな話をしたと記憶している。
質疑応答を併せて90分間。
医師になりたての頃は30分のプレゼンも大変であったが、積み上げた経験のおかげで90分でも足りないほど内容の濃いスライドであった。
かつて大の苦手であったプレゼンも、研修医、大学院、留学というさまざまな経験を経てむしろ得意になっていた。
特段詰まるようなこともなくスムーズに発表できた。
恩師のおかげで質疑応答もそれなりに盛り上がった。
プレゼン後に開かれた医局での懇親会も恩師やD先生のおかげで盛況となり、特に恩師が「マイ・セラー」と呼ぶ医局の実験用冷蔵庫に保存されていたワインを5-6本振る舞ってくれたことはとても嬉しかった。
C教授も上機嫌で、
「先生の業績はすごいね。私が先生ぐらいの時にやっていた研究は英文にすらならなかったよ」
褒められ精神科医は「いえいえ、そんな...」と謙遜する他なかったが、医局全体の暖かい雰囲気に「ここで働きたい」という思いがした。
ワインを数杯空け酔いが回った頃、精神科医は恩師に気になることを訪ねた。
「ところで、小生がここ(B大学)で働く場合、職位はどんな感じですかね?」
「うーん...、多分助教からスタートかな?」
【精神科医、鉛筆を転がす】
B大学の雰囲気はアットホームで、精神科医はとても気に入った。
また恩師をはじめ、C教授、D医師、E秘書など精神科医に対する歓迎ムードは明らかであった。
しかし...、
「しかし、助教からかぁ〜」
精神科医は椅子に深々と腰掛け、頭の後ろで手を組み天井を見上げた。
正直にいえば職位に関しては期待外れであった。
自惚れと思われるかも知れないが、当時の精神科医の業績と年齢を考慮すればB大学においては「講師」以上が妥当と思っていた。
事実、恩師がB大学に赴任した時は講師からのスタートであった。
そして、これまた自惚れと思われるかも知れないが、恩師が赴任した際の業績は精神科医のそれに決して勝るモノではなかった。
精神科医は、提案されたポジションに不満を感じた。
だがしかし、天井から室内に目を移すとポツンと自分一人。
総合病院の一人医長の孤独さに嫌気がさしてきたのは紛れもない事実である。
「それに、あそこまで歓待されたのだから断るわけには...」
だが、だがしかし、運命とは気まぐれなモノである。
なんとプレゼンから2週間後、知り合いの地方国立F大学のG教授からメールで直々に教員採用のオファーがあった。
そのメールの内容は以下の通りである。
「国立大学の講師ポジション!?」
何とも嬉しい話ではあったがこの件については、精神科医の独断では決められない。
その理由はF大学が精神科医が住む場所から離れたF県にあるため、転居は必須であったからだ。
「家内に聞かなきゃ...」
自宅に帰るなり精神科医はG教授からのメールについて家内に話した。
家内は精神科医が大学ポジションを獲得できそうなことを喜んでくれたが、話が転居のことに及ぶと表情を曇らせた。
帰国して数年、ようやく今の生活に慣れてきたところなのでこの反応も無理はない。
転居しないで大学のポジションを得る...、これがどんなに難しいことか。
精神科医は所属する医局のボス、すなわちA教授の言葉を思い出した。
とりあえず話だけでも聞こうと思い、リビングのカレンダーに「G教授 19:00~」と記載した。
今やB大学かF大学の二択に絞られていた。
「うーん、どっちにすべきか...」
精神科医はB大学、F大学におけるメリット・デメリットをA4の紙に書きあげ、それぞれを眺めては唸ることを繰り返していた。
「もう鉛筆を転がして決めようか...」
精神科医は、鉛筆を転がしたが結局選ぶことはできなかった。
ところが事態は再び急展開を迎えることになる。
G教授のメールからわずか3日後、精神科医が所属する大学から勤務先に電話があった。
電話の主はH医局長だった。
H医局長は精神科医よりも4歳年上の講師で、恩師が大学を辞めてからE大学医局長の任を託されていた。
ちなみにH医局長は後に所属するE大学の教授に就任することになる。
H医局長から電話がかかってくることは滅多にないため、精神科医は少し身構えて電話に出た。
「あっ!鹿冶先生、久しぶり!今、電話大丈夫?」
電話越しだが、少し慌てた様子であった。
「H先生お久しぶりです。はい、大丈夫ですよ。御用件は...?」
「A教授からも聞いていたんだけど、先生大学に戻りたいんだよね?実は、ウチの大学の保健管理センターが教員を探しているんだよ」
「はぁ、そうなんですね...」
大学の保健管理センターとは、いわゆる大学の「保健室」のようなところで、大学病院とは別組織だ。
当時の精神科医にとってはあまり馴染みのない場所であり、正直ピンとこなかった。
「ほら、先生も知っていると思うけど、児童・思春期グループのI先生が今そこで教授をやってるよね。そのI先生からの情報で、半年後に保健管理センターの"准教授"を公募するらしいんだ。」
「えっ!?准教授!?」
「准教授」という言葉に精神科医の声は上擦った。
大学病院ではないが、母校...すなわち国立大学の准教授という待遇は望外のオファーであった。
「先生、興味あるでしょ?」
「はい...、しかし...」
精神科医は、H医局長にB大学とF大学から教員のオファーがきていることを説明する。
「ははは、そうなんだ。でも、職位から考えたら准教授の方が絶対いいよ。大学病院とはちょっと違う環境だけど、それでも繋がりはあるから今やっている研究も続けられると思うよ」
H医局長の言葉は精神科医を大きく揺さぶった。
「それに、B大学とF大学へは僕やA教授から事情を説明するから、先生は何も心配はいらないよ」
この言葉がダメ押しとなった。
「はい、ありがとうございます!この話、前向きに検討させてください」
<後編に続く!>
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