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菫 12(終)

菫 12(終)

12月31日 日中

「今から出してもどうせ明日には間に合わないだろうけどな………――ああ、喉痛い…」

昨夜から突如始まった女性化猛特訓のボイスレッスンの無理がたたって痛めた喉をさすりながら、柿崎は通りにあるポストに年賀状を投函していた。それは両親へ宛てたものだった。

柿崎は、たとえ今回の計画が上手く行かなくとも次への希望は抱かず、自殺するつもりでいた。不退転の覚悟で挑む、一回限りの、命をかけ

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菫 10

菫 10

某月1日 日中

「…こんにちは。特区へようこそ。宮前です」

「…宮前さん! 会えて嬉しいです! 私、ずっと会いたかった…!」

「そうですか。それはどうも……あの、早速ですが書類をお預かりしますね」

「はい! あとこれ、宮前さんにお手紙書いて来たんです! 読んで下さい!」

「いや、こう言うのはちょっと…って言うか、ですね、……お話があります吉川さん」

「はい? なんですか?」

「私には

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菫 9

菫 9

某月28日 日中

莉奈でなければ駄目なのか。
莉奈に愛されなくては駄目なのか。
莉奈に殺されなくては駄目なのか。

柿崎はずっと苦悩していた。だが莉奈を否定しようとすればする程、心は莉奈を求めていった。自分の中の妄念が、まるでとぐろを巻く蛇のようにその場から動こうとしなかった。

そもそも莉奈の何にそこまで惹かれているのか。
柿崎は莉奈の何を知っている訳でもない。
ただ出会って、宮前の恋人だと言

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菫 8

菫 8

某月25日 日中

その日は、通りである事件が起きた。有り体に言ってしまえば、殺人事件だ。

最初に包丁で脚を刺されたらしい男性が大声で助けを求めながら通りに飛び出して来た。その後ろから急がず慌てず、けれど歩みを止めず、包丁を持った女性が後を追う。脚を刺されたせいで上手く走る事が出来ない男性は、痛みに耐え切れず転んでしまう。そこに、追い付いた女性の追い打ちが入る。包丁は男性の腰に刺さった。

そん

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菫 6

菫 6

某月15日 日中

カラオケボックスの自宅。柿崎はテーブルの上で通知を何度も告げる携帯端末を眺めて考え込んでいた。

連絡して来ている相手は鶴橋。あの日は結局泊まり、翌日も一緒に過ごした。とても幸せだったと思う。だが同時に、本当にこれで良いのだろうか、と言う問いが柿崎の頭の中にこびりついて離れなかった。だから、また会おう、と連絡してくる鶴橋に対して返事を出来ずにいた。柿崎は頭を抱えた。

柿崎は小

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菫 5

菫 5

某月10日 日中

「柿崎さん、来てくれたんですね」
「あっ、鶴橋さん。こんにちは。今日はその…」
「良いんです、お互い楽しみましょう? …ね?」

柿崎を招待した鶴橋の住まいは元金魚屋で、古びた木造の店内狭しと並べられた空の水槽の間を抜けると居間があり、更にその先に二階への階段があった。

暗くて狭くて急な階段を登って左の襖を開けた部屋の中央には、真新しいシーツが敷かれたベッド。傍らのサイドテー

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菫 3

菫 3

某月2日 日中

柿崎はメインストリートを歩いていた。早く特区に馴染もうと道や街並みを覚える為だ。だが、あまり道も街並みも頭には入って来なかった。頭に浮かんで来るのは別の事ばかり。

それは宮前が言っていた通り『気にするな、お互い様』精神を早速試して来るかのような、何に興じているのかは分からないが一晩中嬌声を上げていた隣の部屋の住人の事ではない。

「莉奈ちゃん……、か」

一目惚れ、だった。柿崎

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菫 2

菫 2

某月1日 日中

「いやぁ、助かりましたよ。宮前さんのご尽力には本当に感謝です」

「いやいや。柿崎さんの情熱あってこそですから。お気になさらず。やっぱり一人でも多くの人に幸せになって欲しいですからね」

「すごいなぁ、宮前さんは。やっぱり自分に余裕があると人の幸せも考えられるんですかね」

「ははは、そんなところです」

某県にある特区のひとつ。その入口で柿崎は、特区居住者兼アンバサダーの宮前に

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菫 1

菫 1

20XX年 某月

国民の幸福度向上のためのヤンデレ及びメンヘラ等に代表される従来の倫理観の枠に捉われない幸福追求の法的保障に関する特別措置法 公布

科学の発展により、懸念されていた環境汚染に対する解決策も次々と生み出された。医療の進歩により、生活習慣で不健康になるリスクや病気で命を落とす事も減った。テクノロジーは、そんな人間たちを高速に、大量に、世界中でつなげてみせた。

しかしその結果、多く

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そこにあるガイア~偶像の構造色~ 5

そこにあるガイア~偶像の構造色~ 5

青年は武道館のステージ裏に立っていた。
会場は観衆で埋め尽くされている。

父と息子は、そこで二年ぶりに対峙していた。

「父さん…」

「息子よ。今こそお前が受け継ぐのだ。このガイアシステムを…」

「その、自分が考えついたみたいな物言いはどうかと思うよ、父さん…」

「だってカッコ良かったんだもん、ガイア。地母神のように全ての人類の欲望を受け止める感じもするし…な!…………いいや、違う。そうじ

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拝啓、教授様

拝啓、教授様

朝。
晴れている。
最近は窓から差し込む光が強くなって来た。
今日も良い天気になりそうだ。

ベッドから出る前にスマホに手を伸ばしSNSに目を通す。

政治、おもしろ動画、テレビ番組、芸能人、海外情勢、猫、スポーツ、ゲーム、朝の挨拶、飲料水の広告、旅行、何かの名言、〇〇すれば必ず儲かる、年収ン千万の僕が教える〇〇、ただのつぶやき、愚痴、推しのアイドル……

今日も人々は生きている。
世界は今日も運

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そこにあるガイア~偶像の構造色~ 4

そこにあるガイア~偶像の構造色~ 4

「ありがとう、ございました…」

「ありがとうございました…」

ヒメコが解雇されてから暫くして、噂は嘘のように収束した。だがもう何もかもが遅い。残されたいぶきとアニャンゴだけではこの状況を立て直す事が難しいとの判断から、事務所は掛橋少女を正式に解散させた。

今後についてはまた折を見て連絡するとの事だったが、正直もう声がかかるかどうかも怪しい。いぶきとアニャンゴは、もう戻れないつもりで頭を下げ、

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そこにあるガイア~偶像の構造色~ 3

そこにあるガイア~偶像の構造色~ 3

武道館のステージに立つ夢を見た。
それは昨日のアイドルフェスでの興奮が冷めやらぬからだろう。

サキからツーマンの申し出があった後、いぶきたちは掛橋少女の運営スタッフにその旨を伝えた。スタッフの方でもツーマンの実現に本腰を入れて臨むと言ってくれた。
運命の歯車が回り始めた―――そんな感覚があった。

この二年。短かったのか長かったのかは分からない。ただ、アイドルになる為に高校卒業まで耐え忍んで来た

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魂のなきあと~前職:VTuber~

魂のなきあと~前職:VTuber~

「高宮さんっの前職って……あのルリアだったんですか…っ?」

「はい」

高宮は面接に来ていた。
スーパーの、レジ打ちのアルバイトの。
履歴書を受け取った店長が目を止めたのは、高宮の職歴だった。

前職:VTuber。
それだけならまだ珍しくはない。
けれど高宮の前職は、トップVTuberと呼ばれたルリアだった。

店長の言葉と瞳に熱が籠もり始める。

「え、ちょと待って下さい…じゃあ…えと…2代

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