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書評

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#書評

批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

 石原吉郎、パウル・ツィラーン、原民喜、殿敷侃、そしてベンヤミン。本書において引用されるのは、みな歴史的経験によって生存を脅かされ、多くは自死に至った者たちである。各々の経験は第二次世界大戦中のものだという共通点を挙げられるものの、それぞれにまったく質の異なる出来事だった。本書が示す批評の力は、それらに布置を見出し、まったく質の異なるものの連帯を描き出す点にある。

 星の一つひとつは小さな光でし

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他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然——漱石試論』について

他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然——漱石試論』について

世間の掟と自然 柄谷は『それから』において代助が友人のために譲った女性を奪いかえすときに口にした「世間の掟」と「自然」という言葉に着目し、次のように述べる。

 ここで漱石・柄谷は「自然」という言葉をきわめて多義的に用いており、この「自然」には存在や実存や精神や本能や自由といったさまざまな言葉が代入可能である。仮にここに倫理という言葉を代入して読むなら、社会の掟と倫理とは背立するものであり、人間は

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従順と非服従——太田靖久『ののの』について

従順と非服従——太田靖久『ののの』について

 フランスの小説家ジャン・ジュネに『シャティーラの四時間』という作品がある。イスラエルによる支配からパレスチナを解き放とうと奮闘したフェダイーンと呼ばれる若い兵士たちのキャンプを訪れたジョネと彼らとの交流の日々を綴った平和なパートと、イスラエル軍の後ろ盾があったとも言われるキリスト教系の武装集団にフィダイーンを含んだ難民キャンプが襲撃され、女性や子供を巻き添えに無差別な殺戮が行われた事件が起き、た

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未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

 「暴力」という言葉はしばしばその内実を曖昧にぼかされたまま口にされる。物理的な暴行であれ性的な加害であれ、あるいは言葉によるものであれ、思い返してみるといつ誰にどのようなことをされたのかという被害体験を詳らかに語られることは意外なほど稀だ。人がそのような体験を告白し得るのは共に苦しみをわかち合えるような大切な他者を前にしたときのみだからである。毎日の報道がある、と人はいうだろうか。しかしそれは客

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【書評:ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』】遍在する「私」

【書評:ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』】遍在する「私」

小説内のリアリズムとは?
 小説の世界にはリアリズムと呼ばれるものがある。科学の産物であるそれは主に視覚的な情報を正確に切り取るのがよいとされる価値観で、風景を描く際に顕著に現れ、同じ風景をリアリズムに則って書けば同じような内容になると思われている。ところが冷静に考えれば、身長が違えば見えるものも身長差の分だけ違うはずなのに、小説の中で描写するとなると、言語は風景を前にしたときの身体的個人差を均し

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ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

 いずれ迎える死を内に抱えた人間はみな等しく死刑囚のようなものである。最期の瞬間をひとたび想像すれば、誰もが叫び出さずにはいられないような底の抜けた恐怖に襲われる。人が平気な顔をして通りを歩くことができるのは待ち構えている運命を見ないようにしているあいだのことであり、なにかの拍子に視線を上げてしまえば、もう精神を保つことはできない。では、避けられない死を前にしながら健康でいるためにはどのように振る

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性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

 自分の側に社会秩序や規範があり、正しく悪を裁こうとしているまさにそのとき、人は最も暴力的に振る舞うものである。それが顕著になるのはたとえば居合わせた群衆によって痴漢が取り押さえられるような場面で、加害者が逃げる素振りを見せようものなら群衆は手段を選ばない。群像2020年6月号に掲載された著者のエッセイ『記憶』ではその場面が次のように描かれている。

 作者は取り押さえられる痴漢の加害者を集団リン

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