はじめての和歌の学び方 ちゃ・か・ぽん基礎その1|社長の弘道館留学
過去と未来を結ぶ学問所「有斐斎弘道館」で、ちゃ・か・ぽんの3つが、身につけるべき教養の基本と位置づけられています。そのうちのひとつが「和歌」です。これは、現代の大学で言う、パンキョー(一般教養科目。もしかして、もう死語?)ということもできるかもしれません。
ちゃかぽんとは、茶道、和歌、お能(鼓の音のポン)のことです。
それぞれに「おそらく永遠に究めることなどできない」奥深いものですが、その入り口だけ一通り触れることであれば、この1年間の「弘道館留学」でわたくしにもなんとか出来ました。
わたしのように「がっつり留学」しなくても、月に数日、3ヶ月程度でさくっとエッセンスに触れる方法を、まずはひとつお教えします。今回は「和歌」から。
1)和歌を読んでみる → 勉強会「九条武子の会」に出る
和歌は、茶の湯や、能のさらに基本になるものです。何処がどう繋がっているかは、長くなるので今日は割愛します。
「九条武子(くじょうたけこ)」は、大正から昭和初期に活躍した歌人。1887年生〜1928年没。京都出身で、東京にもゆかりのある方です。
この勉強会は、90分の中で、半分くらいは、九条武子にゆかりのある地や、関連する歴史を学ぶ。あとの半分は、武子の和歌を読み、講師の先生を中心に参加者全員でその情景を読み解いていく、というものです。
で、その九条武子は、何者やねん、と思った方がほとんどと思います。その疑問をまとめた、わたし自身のnoteはこちら。
九条武子って誰やねん?和歌の名手ですがそれだけじゃありません|社長の弘道館留学
どちらかというと世の中的には「俳句」や「川柳」のほうが人気のようで。特に東京では「句会」が催されていることも多いようです。おそらくそういう状況を背景に、テレビ「プレバトの夏井いつき先生」のコーナーは生まれて、さらに人気を後押ししているようにも思います。
夏井先生は、私が、いま一番会いたい有名人ですが(笑)それはさておき、まず「俳句」は5文字・7文字・5文字の「5・7・5」ですね。
それに対して「和歌」は「5・7・5 7・7」です。前半5・7・5が上の句、後半7・7が下の句です。
おそらく、みなさんが一番なじみのある和歌は「百人一首」でしょう。
小学校〜中学校の授業で暗記した経験のある方は多いのでは?いまでも1〜2歌はそらんじられる人もいらっしゃるでしょう。
特に今年は「令和」のくだりで「万葉集」に注目も集まりましたから、「和歌」への興味が出たかたも増えたかもしれませんね。
「俳句」と「和歌」の違いで、私が一番戸惑ったのは「和歌には季語はなくてもよい」ということ。私はこれが一番驚いたことかなと。そして、あ、ハードル下がったな。とも思いました。
要は、和歌は文字数さえ合っていれば、かなり自由なものなのだとわかったのです。和歌には「お題」があり、それを歌の中に入れ込む。そして「歌合(うたあわせ)」として、誰が一番「すてきた和歌を詠んだか」を競う遊びがあります。
また、源氏物語で象徴的に使われているように、気持ちを伝える「お手紙」を和歌でしたためる、という、まぁ非常に知的でおしゃれなことが普通に行われたいたのが、平安時代(の貴族文化)でもあります。
「九条武子の会」の話に戻しますが、彼女の残した歌を読み、そして、武子が当時おかれている状況や心情を察し、どんな気持ちを込めたのか。どんな情景を描いたのか。そんなことを推測しながら考えていく勉強会になっています。
わたしも、和歌のことも何もわからず、九条武子か誰かも知らずに参加しましたが、なんというか、非常に豊かな時間が流れました。全く知らない武子という人のことが、その90分でも少し透けて見えてくる。100年も前に生きた人の気持ちが、いきいきと和歌を通じて伝わってくる。時に小さな喜びを、時に美しさを。時に切なさを。
先にリンクを貼った武子についてnoteにも書きましたが、私がある日の講座で良かったなぁと思った和歌と感想がこちら。
春ながら 海に帆舟の かげもなう いその小貝に さむき雨ふる
九条武子
情景描写としては、暦の上では春になったというのに、海には華やかな様子もなく、むしろ舟のひとつも見えない。さらに浜(磯)の貝に冷たい雨がしとしとと降り注ぐ空気。とても哀しげで寂しげな歌ですが、すごく絵が浮かんでくるところが美しい。ただ寂しいだけでなく、静謐で、とはいえ、海の波、雨など微細な動きが感じられるんですね。寂しげだからこそ、感覚が研ぎ澄まされて、些細なところまでも敏感に感じてしまう。そんな風に私は想像しました。
2)和歌を自分で作ってみる → 北野天満宮の「献詠奉納」に参加する
さて、読んでみたあとは、和歌を作ってみる。つまり「詠んでみる」です。つくることで、より理解が深まるのは、どんな「ものづくり」でも「デザイン」でも「プログラミング」でも共通しています。
「見て学んだ後は、やってみる」おそらく、身体を動かすスポーツなども同じでしょうか。(私はいたって体育会系のものが苦手でして…理解が薄いのですが)
先ほど、和歌には「お題」があるということを言いましたが、一番有名なお題は、毎年宮内庁より発表される「勅題(ちょくだい)」で、平成31年は「光」でした。そしてこのお題を入れ込んだ和歌を、皇室の方々や広く一般から募集し、新年に「歌会始」が執り行われます。これも万葉集の時代からあるというのですから、すごいことです。令和2年は「望」だそうですよ。これに応募してみるのもおもしろいかもしれませんね。
要は「大喜利」ですね。ある「お題」に対して、限られた文字数で「どれだけ、うまいこと言えるか」という遊び、であり、勝負、ということです。(これは俳句では、季語や季節=お題 となることが多いように思います。俳句のことは詳しくないので、ツッコミをお待ちしています。教えて下さいm(__)m)
そして、そういう機会として「北野天満宮の献詠奉納」への投稿を、館長・濱崎加奈子先生より課題として頂きました。濱崎先生は多才な方ですが、歌人としての顔もお持ちです。
そして、これが確か、私の記念すべき「1つめの和歌」かもしれません。
2018年6月 献題「兆」
「しめじめと まとへる闇の 世に兆す 光は降れり 雨粒のごと」
河原 司
詠意
「梅雨のように、世の中には暗い雰囲気が蔓延しているが、雨粒の数ほど無限の可能性が広がっているのかもしれない」
実は最初に、先生に提出した原案は「しめじめと まとふ暗闇 然れども
希望の兆し 雨粒のごとく」というものでした。
私は「弘道館の留学生」ですので、書いてみたあと、夏井いつき先生、ではなかった(笑)濱崎加奈子先生に厳しく鋭い添削を頂きました。そしてそのアドバイスを元に考え直してから、奉納(投稿)させて頂きました。
その後、掲載前に、さらに文法的な面も含めた添削が入り、少し変わり、最終形として、上記のようなかたちにして頂き、掲載まで頂けました。
これ、なんと贅沢なことなのでしょうか!自分が出した和歌が、原案の意味を残したまま、すごく良くなって仕上がるなんて。いや、修行して、最初から自分がそのレベルの和歌を書けるようにならないといけないわけですが。
でも、これだけでも、和歌をつくるのがものすごく楽しくなりました。その後も、北野天満宮の献詠奉納には参加させて頂いております。
また他でも「和歌」を使うことが増えてきました。おかげで、人生に新しい豊かさがプラスされた気が致します。
「有斐斎弘道館」での「ちゃかぽん」その1「和歌」の学び方の第一弾はまずはここまで。
「和歌」にしても、まだまだ弘道館だけでも、他の切り口・アプローチもまだまだたくさんあるのですけれど、それは別の機会に。
今回、濱崎先生の添削を直接受けられたのは留学生ならではの特権ですが、それ以外はみなさんでも可能です。
九条武子の会は弘道館の「公開講座」として誰でも参加できますし、北野天満宮の献詠奉納も社務所に問い合わせてくだされば可能です(もちろん私も含めて必ずしも掲載されるとは限りません)
ぜひ、参加&チャレンジしてみてくださいね。
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