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お互いを尊重することは賛成だけど、具体的にどうするの?

このnoteは上記『哲学部』へ参加しています。

私の中の生きる知恵や安心のことを話します。
どうぞお付き合いください。


はじめに

お互いがお互いを尊重することを、ねばならない義務として考えるよりも、安心できるし豊かなことだよねと感じられたらいいなと私は考えています。そのために、アナロジーとアイデアを述べます。

起:お昼時のアナロジー

例え話をします。これはフィクションであり、イメージです。現実とは無関係です。

ブッダと、モーゼとキリストとモハメット、そして無神論代表でマルクス。こんな人たちが現代の人間に対して影響を与えたねと、自分たちの責任や人間の幸福をテーマに集まって話をしていました。お昼になりました。フードデリバリーをお願いすることにしました。彼らもアプリを使っています。

この中で一番、食事を限定されているのはおそらくブッダです。にも関わらず、マルクスが「どうしてもベーコンが入った熱々のピザにしてくれ」とは言わないでしょう。新鮮な果物とお野菜が自慢の、スムージーとサラダのランチセットを頼みました。程なく届き、お食事にして、彼らは対話に戻っていきました。

承:アナロジーから言えること

ポイントはブッダに、お前だけ別ねと排除しないこと。今回はバラバラのお店に頼まずに、手数料もお得になるから同じお店のメニューの中から選びました。

お互いをお互いに尊重することは、みんな譲り合うこと。ブッダも自分の戒律を理由に、周囲の譲歩を強要してはいません。断食に慣れているから一食抜くこともできるけど、全員で食卓を囲むことを選びました。周囲の、自分たちは何でも食べられるから、合わせるよという大人の配慮です。結果、食卓を囲めた。譲り合うことは手段で、目的では無いですね。

転:過酷な現実との調整

世界人口が82億と言われている現在で、僕らが82億人を等しく尊重できているかといえば、そうじゃないですよね。すごく残酷な現実がある。僕らの日常に報道されず、語られないこともある。

では、どうしましょうか?

解決可能なこととか、解決可能な範囲からちょっとずつ、あまり頑張らないで緩く始めてみる。だから最初は話が合う友達、家族、信頼できる人、職場の仲間、学校の仲間、そうしたところからちょっと始めてみる。

結:橋渡し役は宝物

我々の周囲を観察すると、50人に1人か100人に1人ぐらいの確率で、要はクラスや職場に大体1人はいる確率で、めちゃくちゃコミュニケーション能力が高く、どこに行っても可愛がられるのが上手い愛されキャラがいます。その人に、言葉通じない個人や文化との通訳をお願いするとか、その人が違う文化圏と話をして疲れた時にサポートすることで、間接的にお互いを尊重することになります。

結び

皆さんはどう思われますか。身の回りで、「そういえばそんな人いる」と思われましたか? 「何言ってんだよ! 机上の空論だよ!」と感じられましたか。私のこのnoteが全部ボツでもいいんです。何故か?

あなたが読んで考えてくれてボツだったのだから、では違う可能性を考えようと僕らは前に進めるからです。この積み重ねは、僕らの前提知識を増やしてくれます。

誰かと分かり合えない理由の一因は、前提知識を共有できないことだから。共有できることを増やせば、相互尊重も捗ります。結果、ギスギスせずに済むから、ストレスフリー。


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