曇天と、買えなかったモモ
久しぶりの曇り空だった。
東京の神保町まで出かけて古本の中に埋れているのもいいかなと思ったけれど、
なんせ最近本を買いすぎて金がない。ないわけじゃないけどお金を使うことに罪悪感を感じ始めている。
しかも新書を。
古本に抵抗がないわけではないけれど、なんとなく新しい本というものは、一生自分のそばにいてくれる気がするから好きだ。
古本デビューでもしますか。と、神保町への旅を考えたけれど、やはり交通費だの他にも出費がかさむし、近くの古本屋でも探そうと検索した。
あった。
隣の市に、チェーン店じゃない、一人の男性が経営してる、大正時代の建物の、、、
完璧。と、思ってしまった。
なにをもって完璧なのかと言えば、持論ですが、「一人になれそう」。という、ただ、それだけ。私の感覚を頼りにしている。
早速Google先生と最寄り駅からその本屋まで歩いたけれど、見つからない。
突然現れた、このあからさまに古そうな建物群の中にきっとあるのだろうけれど、どうしても入れない。入る勇気がない。手に汗をかく。
だけど外は暑い。とりあえずどこか室内へと、古い建物群の中に足を踏み入れた。
シネマ、雑貨屋、あ、あった、本屋....。
「気軽にお入りください」
の看板を見つけて、引き戸をガッラガラ鳴らしながら本屋に入った。
扇風機の音で察する。ここには冷房がない。
まあいい。本にまみれていれば暑さも忘れる。
建物内はクンクンしなくても、古い本と木の匂いでいっぱいだった。
入ってすぐ右側が日本文学と書かれた棚だったので、ここだ。太宰治、小林秀雄、内田百閒、芥川龍之介、檀一雄、あっ、まじか、坂口安吾もある。
一人で興奮しながら、思惑通り一人ぼっちの世界に入る。
いつもの本屋は蛍光灯が眩しい。それに、他の人の声も充満している。それじゃ、うまくいかない。
一人に、なりたかった。この空間を、求めていた。
たまに額の汗を拭って、たまに背伸びして、日本文学の棚から、私は離れられずにいた。
途中、ガラガラと音がして、「こんにちはぁ」と高い声がした。女の人か。
店の奥から若い男性店主のこんにちはという声も聞こえる。
親しげな会話。いいぞ。そうしてもっと私を放り出してくれ。ひとりぼっちにさせてくれ。
これも欲しかったんだよな、すごっ、日焼けして真っ茶色になってるw
とか思いながら、なんとか欲しい3冊を決める。
あ、そういえば、さっき入り口のあたりに、ミヒャエル・エンデの「モモ」あったよな。
欲しかったその本のことを思い出して、レジへ向かう体を入り口の方へひねった瞬間だった。
「ねえ、モモ、ある?」
「はい、ありますよ」
2人の足音。
「ほら、ここに」
「あー本当、ここにあったの。これ、ほしかったんだよね」
やられた。
こんなこと、あるのか。
ほんの数秒の差。タッチの差、ってやつ?
私は、男性店主に、いいえ?私はモモなんて目もつけてませんでした。どうぞどうぞ、そちらの女性客にお渡しください...。
というテレパシーを送る。無論、そんなもの求められちゃいない。
自分を落ち着かせて、レジへ向かう。欲しかった3冊を手に持っている。男性店主に告げられた金額を払う。どうもありがとうございましたと言われる。私も、ありがとうございますと言う。
ええ、ええ、嘘じゃありません。こんなにひとりぼっちの時間を大切にできる、蛍光灯も他人の声も少ない場所を用意してくれてありがとうございます。私のような不器用な人間のための場所であるような気がします。
店から出る。
すぐに空を見上げた。灰色。
モモ。取られちゃった。
頭の中であの光景を反芻してる。
だけどあの女性が欲しいと思っていたなら、それでいいじゃないか。
私があのときもし、モモを手に持った状態であの会話が繰り返されていたら、それこそ私は悪人にでもなるんじゃないかと思う。
「ねえ、モモ、ある?」
「はい、ありますよ。
ほらここに、、あれ、確かモモはここに...」
「売れちゃったのかな?」
「いや、モモは買われていないです...」
『だとしたら........』
女性客と男性店主の声が重なって聞こえてきた。2人とも私の方を見つめている。こわっ。幻聴だとわかっていても怖い。そんなことになるなら、あの女性がモモを買って帰った今の状況が1番なのだ...。
こんな日常がおもしろくってたまらない。
私、生きてるなと思う。
太宰治と小林秀雄と野坂昭如と一緒の帰り道、
一度も話したことのない、私の家から5、6本路地を無視してまっすぐ進んだ角の家のおじさんが、「おじょうさん、今日はよく晴れてんねえ」と話しかけてきた。
はい。と笑って答える。
嘘つけ。今日は久しぶりに、綺麗な曇天じゃないか。
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