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「書くこと」を始めた最初のきっかけ

こんにちは!Kanaです。

前回の投稿で
いろんな書くことがあるけど、わたしがジャーナリングを選んだ理由について書きました。

その時に、そのもっと前
「Kanaさんが一番最初に【書こう】と思った時の話を聞きたいです!」
と言っていただいたので、

今日はわたしが書き始めた最初の頃の話をしていこうと思います。

ちなみにKindleで出版している自伝には、わたしの人生が詳しく描かれています。
はちゃめちゃな状態からどんな風に「書いて人生変えてきたのよ?」と興味を持ってくださった方はぜひご一読いただけたらと思います✨

🔻Kindle Unlimited加入の方は読めますし、買っても300円です!

今回、この自伝には書ききれなかったちちょびっと重い話も書かれてます。
母のうつ病とか少しだけ家庭崩壊な描写もあるので、苦手な方はお気をつけください。


きっかけ


母はうつ病だった。

祖母の介護が大変で、娘のわたしになんて構ってる暇がなかった。

わたしは物分かりのいい真面目な良い子だったから、母が一日中布団にこもっていても、勝手に育っていった。


学校ではいじめられていた。

正確には、ハブかれていただけだったけど
わたしには近所に住む隣のクラスの女の子しか話してくれる子がいなかった。

ここではMちゃんと呼ぼうかな。

小学校5年生のとき、
そのMちゃんと交換日記を始めた。

唯一なんでもわかってくれる、話を聞いてくれる存在だった。


だからわたしはその交換日記に
「毎日生きてる意味がわからない」
「死んでしまいたい」

そう書いては手首を切る挿絵まで描いて渡していた。
何度もネガティブの詰め合わせみたいなことを書いていた。

いつも返事は優しかった。

「じゃあ今度は〇〇に遊びにいこう!」とか
「辛くなったら”天国”に逃げておいでよ!」とか。

天国、とは屋上の前の踊り場のことだった。

普段は誰も来ないからわたしとMちゃんの秘密の隠れ場所で、いっつもそこで話を聞いてくれていたから、天国って言ってた。


これが多分、わたしが一番最初に
書くことで少しでも気持ちが楽になる、と知った経験だった。


「なんでもノート」

そのうちMちゃんにそんな暗い話題ばかり書いて見せるのは、気が引けてきて交換日記は書けなくなっていった。

Mちゃんからの返事も遅くなって自然消滅した。


そんな時、母から

「なんでも、どんなことでもノートに書けば良いのよ」

と言われた。

確かに母はいつも何かをノートに書いていた。

うつ病になってほとんど布団にこもっていたけど、起きてきた時はノートにあれこれ書いている姿は見ていた。

だからか
わたしにもノートに書いたらいい、と勧めてきた。


「何を書くの?」

そう聞くと

「今自分が思ってること」
例えばMちゃんに聞いてほしいなって思ったこと、
もう自分なんていなくなっちゃえば良いのにって思った素直な気持ち、
お母さんへの恨み言でもいいわ。
なんなら神様に文句言ったって良いのよ。

ふーん。
書いて何になるの?そう思っていたけど

誰にも話を聞いてもらえない、親に話しても仕方がない、と諦めていたわたしはおもむろにノートに自分の気持ちを書いてみた。


お母さんが何でもノートに書けって。
わたしは言われたことをちゃんとやる娘でいないといけないから、何を書いたらいいかわかんないけど、とりあえず書いてるフリをする。
いつまでこんな真面目でいれば良いんだろうね。

もう記憶が曖昧だけど、こんな感じのことを書いたと思う。

「書いたよ」そう言って、適当に終わらせていたと思う。


事件が起きた


中学生になったある日帰ったら
家の中がぐちゃぐちゃで
まるで泥棒にでも入られたかのようだった。

恐る恐る奥の部屋まで行くと
「来ちゃダメ!!」と止められた。

床を見たらガラス片があちこちに飛び散ってた。


姉の仕業だった。

父と別居することになったとき、年の離れた姉と母と住むことになって、母と姉とわたしの3人暮らしだったが、

姉も母の状況に限界が来ていたのか
何だったのか詳しいことは知らないが

とにかくとても激しい喧嘩をして

家中の食器やコップを壁に投げつけたらしい。

姉が怒鳴り散らして、
母は泣きながら姉に抱きついて止めようとしてた。


わたしは怖くなって自分の部屋にこもった。

その時、机の上にあった「なんでもノート」を見つけて、何かをしていないといけないと思って

どうしてこんなことになってるの?
あんなお姉ちゃん初めて見た。
お母さんも・・・
怖い。どうなっちゃうの。

そう書いた。

しばらくして姉が出ていって、母が片付けをしてる音が聞こえてきた。

わたしは部屋にこもってずっとノートに書いていた。

母に呼ばれても「勉強してる」そう嘘をついて部屋から出なかった。


それから何かあれば書くようになった


家族といることが恐怖になって
部屋にこもることが増えて、

本を読んだり、勉強したりしたけど、やることがなくなった時「書くこと」をするようになった。

その日の日記だったり、辛い思いとか恋愛のこととか。

何でもその時の気持ちをノートに吐き出すようになった。


中学生になって少し友達はできていたけど、
やっぱりもう本音を話すのは怖かったし、
母には何も言えなくなっていたし、

「ノートだけがわたしの話を聞いてくれる」
「このノートだけは裏切らない」

そんな気持ちだった。

そうしてだんだん書くことが定着して、受験やら部活やら何やらで忙しくなってからは毎日書くことはなくなったけど

「なんかあればすぐに書く」ことが当たり前になった。


月日が流れて
2冊目のノートを使い終わった時に

ふと1冊目のノートを読み返してみる気になって
「あーこんな時もあったな」って振り返った。

・・・・

「あ、ここに書いてたこと、叶ってる」
「うそ、こんなに悩んでたのに、今は解決してるじゃん」

・・・・

え、、ただ思ったこと書いてただけなのに・・・?


これがわたしの書くことを始めた最初の頃の話です。

だんだんノートが話し相手として聞いてくれる、という状態から、ノートが全部導いてくれるって感じになってきて

読み返すのも楽しくて、こんな風に自分の人生が記録されていくのが面白い!!って思うようになりました。

多分、今もわたしが人生が物語のようだ、と思うのは

自分が書いたノートを読み返している時、自分の人生なのに「Kanaって少女が人生を奮闘してる物語」みたいに読んでて。

その客観的な視点で読むと、自分の人生が一つの物語のようで良いなって思えたことが繋がってるんですよね。

不思議なことに時間が経ってから読み返すと、もう一人の頑張って生きてる自分、として見てあげられるようになって愛おしくなるし、ジャッジもしなくなります。


「そんな物語を一生懸命生きたんだね。」
ただその思いだけなんですよね。

わたしはちゃんとは読んだことないんですけど、『アンネの日記』みたいな日記ものを読んでるような感覚に近いと思います。
あれもアンネの壮絶な人生を読んで、あれこれ思うじゃないですか。

それを自分の書いたものでやるんです。


もちろんそう思えるようになって、自分を認めてあげたからって幸せになれたわけでも、自分を好きになれたわけでもありません。

それは29歳の誕生日を迎えるまでできませんでした。

でも。
それでもずっと書いてきて、自分の人生を言葉にして、一つの物語として受け入れることができていたから、「変わりたい」そう本気で思った時に全力でアクセルを踏むことができたと思っています。


だから、いろいろ調べていくうちに
この前の記事で書いたように

ジャッジしない、というマインドフルネスの精神や
自分を思いやる、というセルフコンパッションの精神が大事だって価値観を知ることで

今までバラバラのページにあった物語が整理され、パズルのピースが埋まるように「あぁ、これだ」とジャーナリングに辿り着いたんだと思います。


今日も長くなってしまいましたが、

書くきっかけは何であれ

「書くことは、ただ自分がその時思ったことでいい」

というのが伝わったら嬉しいですし、

「意味あるのかな?」とか「何書けばいい?」と思ったそのままをとりあえず書いてみることで、見えてくるものがある、とわたしの経験談からお伝えしたかったです。

🔻自伝はこちらから読めます

書くことを一緒に楽しみましょう✨

最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとってお役に立てれば嬉しいです❤️
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