Colabo問題と東京都庁「公金チューチュー」100年史
「伏魔殿」東京
東京都庁は、かつて「伏魔殿」と呼ばれていた。これは、年寄りなら覚えているだろう。
ふくま‐でん【伏魔殿】
〘名〙魔物の潜んでいる殿堂。 転じて、美名に隠れて陰謀、悪事などが絶えずたくらまれている所。 悪の根拠地。
現在の東京都、戦前の東京市は、大正時代から、腐敗と癒着、疑獄とスキャンダルの巣だった。(東京市は戦中の1943年に東京都になった)
そのイメージは、昭和時代までは、あったと思う。
しかし、都の「伏魔殿」という代名詞は、いつしか忘れられていった。
これは、腐敗がなくなったからではなく、メディアも腐敗のお仲間になったからではないか、と私は疑っている。
今の人たちが、東京都をまともな自治体のように思っていることに驚くのだ。
渋沢栄一と東京ガス疑獄
colabo問題のようなことを聞くと、私のような年寄りは、ああやっぱり「伏魔殿」だなあ、と思う。
東京都(市)は戦前から、「公金チューチュー」のデパートみたいなものだった。
戦前の東京事件簿について、詳しく知りたい方は、ちょうどいい記事が文春に載っている(筆者は朝日記者)ので、参照してください。
サブタイトルに、「市民も愛想をつく“金の亡者”に溢れた世界」とある。
「疑獄」で揺れる東京市議会の酷すぎる事件簿(福馬謙造 文藝春秋増刊号)
戦前で有名なのは、お札の顔の渋沢栄一がからんだ「東京ガス疑獄」だ。
東京市は財界長老の渋沢栄一の影響下にあったが、その渋沢が創業した東京ガス(東京瓦斯)は、値上げや増資で東京市議に大金をバラまき、繰り返し疑獄事件に発展する。
第1回ガス疑獄(大正7年) 東京ガスが料金値上げに賛成することを条件に有力市議の選挙費用を供出 社長・専務らが懲役、市議も懲役・罰金刑
第2回ガス疑獄(昭和2年) 東京ガス社長が「功労株」をお手盛りで現金化してバラまき背任嫌疑
第3回ガス疑獄(昭和4年) 東京ガス常務が増資案を東京市議会で通すために工作金をバラまき、贈収賄で常務、市議らが懲役
北条清一「昭和事件史」
日本最初の共産党と社会党を作った男、堺利彦が、昭和4年に東京市議会に乗り込んで、渋沢栄一と「最後の対決」をする話は、私も以前noteに書いたことがある。
「あの露骨な、無頼な、醜悪な、恥知らずの、泥棒」
「浄化の、革新のと空疎な言葉ばかり」
というのが、堺利彦が当時の東京市議会に投げつけた言葉だった。
記者クラブの癒着
東京都は腐敗した自治体だというイメージは、戦後も引き継がれた。
私が「公金チューチュー」という言葉で真っ先に思い出すのは、記者クラブ「都庁クラブ」の腐敗である。
東大法学部の丸山真男ゼミを出て、毎日新聞に入った内藤国夫は、東京都庁クラブに配属されて、その腐敗ぶりに驚く。
新聞社・テレビ局記者の集まる都庁クラブは、公金にたかって遊興にふける「殿様クラブ」だった。
春、秋の二回、「クラブ総会」といって、熱海あたりの温泉に出かけ、クラブ員同志の懇親を深めるのもそのひとつである。それだけならなんの問題もないのだが、その費用のほとんどをわれわれが負担するのではなく、都庁が持つのである。それもなかなか豪勢なものだった。
年末になると、連夜の宴会攻勢である。その日程調整に、クラブ幹事やボス記者たちがあれこれ相談するのに忙しい。今日は赤坂、明日は築地、次は浅草と出かけ、きれいな芸妓さんのお酌を受ける
都庁幹部がポケットマネーをはたいての散財ならともかく、いずれも、公金、つまり税金からの支出だ
(内藤国夫『新聞記者として』筑摩書房、p91)
記者クラブ制度は、そもそも「公金チューチュー」装置である。
知っている人も多いだろうが、記者クラブは戦前に報道管制のためにできた。ほぼ日本独特の制度と言っていい。
警察含めた官庁、自治体、証券取引所のような主要施設の中に「クラブ」はある。家賃、光熱費、通信費など、すべて公金で運営されていた。
記者は、その中で麻雀などをしながら、プレスリリースや記者会見スケジュールが下りてくるのを待っていた。
クラブにいれば、横並びに確実にニュースを得られる。しかもタダで。マスコミにとって都合がいいことこの上ないが、権力にとってもマスコミをコントロールしやすい。というか、それが目的の制度である。
引き継がれる腐敗
もっとも、内藤国夫が書いているのは、1960年代のことだ。(内藤国夫はのちに毎日新聞を追い出されるが、それはまた別の話)
しかし、私が知る1990年代でも、基本的には変わっていなかった。
新聞記者は、役所の秘書課長などに「おねだり」して、懇親会で飲ませろ、ゴルフ接待しろだの、うるさかった。
新聞記者から「新聞の部数を増やせ」と言われたら、役所の秘書課長が役所で買う新聞の部数を増やす。つまり、税金で新聞社に貢ぐ。
これは、当時の新聞労連でも問題になった。しかし、メディアぐるみの不正はオモテに出ない。そのことは、小説「1989年のアウトポスト」にも書いている。
新聞記者は、公金で接待されることを、なんとも思っていなかった。もう本社に上がる可能性の低い、地方の支局長には、それを生きがいのようにしている人さえいた。
多少変わったのは、1990年前後に日本経済が脚光を浴びたころ、外国人記者がたくさん日本に来て、日本の異様な報道慣習を批判した時だった。記者クラブ制度がある限り、日本の報道は信用できないと言う外国人もいた。
その「外圧」で、記者クラブ改革が唱えられたが、外圧が去った今はどうなっているか、私は知らない。
ただ、彼らは会社をあげて平気で「公金チューチュー」していたし、自浄能力がなかったことだけは知っている。
やる気のないマスコミ
そんな公金で買収されたようなマスコミが、都の腐敗を追及できないのは当然だった。
上の内藤国夫も、都庁クラブの記者会見でのやる気のなさを書いている。
記者会見に出席している二十人ほどの記者のだれも、肝心の問題には触れようとしない。なんとなく、知事を困らす質問がタブー視されているような空気である。(中略)「じゃーこのへんで」というボスの声で、記者会見はあっという間に終わった。
(前掲書p91)
colabo問題でも、小池都知事の記者会見が、つねに「無難」に終わるところを見ていると、
都庁クラブは変わっていないな、
というか、
相変わらず、やっておるな、
と思うのである。
100年の腐敗
ここではマスコミの問題を中心に書いたが、都議会、役人、知事、中央の官僚を含めて、東京は腐敗の巣となりやすい構造がある。
一国の国家予算と同じという予算を持ちながら、一自治体であり、国民環視の対象になりにくい。
不況だろうが、コロナだろうが、東京には、引きも切らず高額納税者が流入してくる。もしかしたら、世界でもっともリッチな「国」かもしれない。
しかし、国には厳しい世論やマスコミも、ここでは甘くなる。西山事件の西山太吉を持ち上げるような、「国家権力」が相手となるとやたら燃えるサヨク気質のマスコミ人も、自治体には甘くなる。
それどころか、colabo問題では、サヨクほど利権に群がっている。東京新聞の望月イソ子記者は、記者会見の相手が首相や閣僚だと「燃える」が、都知事や都議会には同じ態度を取らない、どころか、colabo問題では都の犬のような記事を書く。
都民自身も、あまり地元感覚がなくて無関心だったりする。
それをいいことに、やりたい放題だ。
東京都には常にカネがうなり、業者が群がり、政治家、役人、メディアがこぞって公金をチューチューする。
東京の疑獄や金銭スキャンダルは定期的に起こり、決してなくなることはない。
その歴史は100年以上にわたるのである。
「美名に隠れて陰謀、悪事などが絶えずたくらまれている所」という「伏魔殿」の歴史は続いている。カネがある一方、国防などの義務を追わないから、キレイ事を言いやすい。その外見に人々は騙される。
colabo問題の背景にあるのは、東京都のこういう腐敗の伝統である。
不正がないわけがない、と思うのである。
都庁を見たら泥棒と思え! これが歴史の教訓である。
<参考>
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