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【YouTube】オペラ「中国のニクソン」の「私は毛沢東の妻」聴き比べ

現代の古典「中国のニクソン」


1972年のニクソン訪中を題材にした米国のオペラ「中国のニクソン Nixon in China」は、ジョン・アダムズ作曲、ピーター・セラーズ演出で1987年に初演されました。

昨年(2022)はニクソン訪中50周年、同時に「日中国交正常化」50周年、そして「中国のニクソン」初演から35年の節目の年でもあったんですね。


ニクソン訪中とかニクソンショックとか言っても、今の若い人はピンと来ないでしょう。

なぜ1972年のニクソン米大統領の訪中が大事件だったのか。とくに日本にとってなぜ大事件だったのか、は、いろいろ解説があると思います。イデオロギーを飛び越えたキッシンジャーの現実主義外交の衝撃、台湾と親しい日本を無視して米中が握手した衝撃、とかね。

佐藤内閣がそれで倒れ、新たに首相になった田中角栄が北京を訪ねて「日中国交正常化」をした(残念ながら「角栄 in China」というオペラはまだない)。私は当時は子供で、政治の難しいことはわからなかったけど、中国ブームになったのは覚えています。「カンカン」「ランラン」のパンダブームがあったからね。たしか親戚が中国に旅行に行ったりしていた。


それから15年後、1987年のオペラ「中国のニクソン」初演時は、私はもう社会人になっていたから、世界的に話題になったことを覚えています。

日本にいると情報が限られていたけれど、極東の1(いち)音楽愛好家としては、のちに出た初演の指揮者エド・デ・ワールト盤を一生懸命聴いていました。オペラの意味はいまひとつ分かりませんでしたが(私はオペラ一般が苦手だ)、ジョン・アダムズの音楽の素晴らしさにはノックアウトされましたね。

初演当時、毛沢東は死んでいましたが、毛沢東夫人である江青(死刑判決を受けた後でしたが)を含め、登場人物のモデルはまだみんな生きていた(キッシンジャーなんか今でも生きている)。それを実名で登場させるオペラですから、今考えても大胆です。

当然のように賛否両論あったオペラですが、初演から35年を経て、今では「現代の古典」の地位を確立しつつあるようです。

日本語版Wikiでも、「最近ではこの作品は、アメリカのオペラへの際立った、不朽の貢献として認められる傾向にある」とあります。英語のオペラは珍しいですから、その意味でも貴重でしょう。


「中国のニクソン」2023年版


その高評価を象徴するように、この春はパリのオペラ・バルティーユ(パリ国立オペラ)で新演出の「中国のニクソン」が上演されました。デュダメル指揮、トマス・ハンプトンとルネ・フレミングが「ニクソン夫妻」を演じる注目のプロダクションでした。

パリ国立オペラ「中国のニクソン」予告動画 「まるで予言のよう This is prophetic」を歌うルネ・フレミング


どうしても英語圏での上演が多かったオペラですが、パリでどう評価されるか、気になっていました。いくつかレビューを見た限りでは、歌手を含めて好評のようです。

このオペラに、アジア人に対するステレオタイプな偏見がある、という批評は今回もあるようですが、オペラの観客のほとんどが白人である以上、わかりやすくするために仕方ないのでは、と私は思います。

今回の上演にさいして作曲者のジョン・アダムズが言っているように、初演のときの中国は、非常に貧しい印象の国だったんですよね。その後の35年で中国は高度成長し、印象も大きく変わりました。このオペラで描かれているのはあくまで当時の中国であることに注意すべきです。

とはいえ、中国という存在の複雑さは変わりません。初演時はまだ存在したソ連が消滅し、中国のプレゼンスが巨大になった今、このオペラは改めて現代的意義を獲得したと言えるでしょう。

今回の上演は、現在のウクライナ戦争と米中対立を反映して、中国への政治的批判がやや強めの演出になっているようでした。


オペラのあらすじ


このオペラは3幕構成で、主要登場人物は、ニクソン、ニクソン夫人(パット)、キッシンジャー、毛沢東、毛沢東夫人(江青)、周恩来の6人です。

第1幕 1972年2月21日、ニクソン一行が北京に到着。周恩来首相と握手したあと、毛沢東主席との会見に臨む。毛沢東は哲学的なことをしきりに言うがニクソン側には理解できない。その後の晩餐会では、お互いに完全には打ち解けないまま、深夜まで乾杯を重ねる・・

第2幕 翌日は雪だった。ニクソン夫人(パット)は、中国の工場を見学するうち、現実離れした感覚に襲われ、「まるで予言のよう This is prophetic」を歌う。その晩、ニクソン夫妻は、毛沢東夫人(江青)が考案した革命劇「紅色娘子軍」を見て、残酷な内容に驚く。江青は、ニクソン夫妻の反応を理解せず、文化大革命を正当化する「私は毛沢東の妻 I am the wife of Mao Tse-tung」を歌う。

第3幕 北京での最後の夜。華やかな公式日程を終えて、登場人物たちはみな寝室で追憶にふける。毛沢東夫妻、ニクソン夫妻は、それぞれ幸福だった過去を回想し、その後の人生の徒労感に苦しむ。ノスタルジックで淋しい雰囲気の中で、周恩来が「私たちはどれほどの善行をなしたのか How much of what we did was good?」と人間的な疑念を歌って幕となる。


このオペラには、特定の党派的政治性があるわけではありません。NHK大河ドラマがそうであるように思想劇ではなく歴史劇であり、むしろ、左翼からの嫌われ者「ニクソン」と、右翼からの嫌われ者「毛沢東」を、ともに、普通人と同じ「人間」として平等に描いているところに特徴があります。

とはいえ、毛沢東のそういう扱いは中国では許されません。当然のごとく、このオペラは中国で上演・放送禁止です。

「中国のニクソン」は、日本でも初演されてないですね。まさか中国に忖度しているとは思いませんが、残念なことです。


オペラの山場「私は毛沢東の妻」


実演を見る機会は限られていますが、今ではYouTubeなどで、このオペラのいろいろな公演を見ることができます。

オペラを見たことがない人も、クラシックファンなら、オペラの素材を用いたオーケストラ曲「主席は踊る The Chairman Dances」を聴いた人は多いでしょう。私も大好きな、ミニマル系最大のヒット曲。この曲も、すでに「古典」だと思います。

ただ、「主席は踊る」は、このオペラの序曲や抜粋ではありません。オペラの中に毛沢東が踊る場面はありますが、この曲が使われているわけではない。オペラの素材を使っているけれど、オペラとは独立の、ジョン・アダムズによれば「アウトテイク」に当たる曲です。


「主席は踊る」は内省的な第3幕の素材を使った曲ですが、オペラの中でいちばん盛り上がるのは、間違いなく第2幕です。

劇中劇「紅色娘子軍」は最もスペクタクルな視覚効果がある場面ですし、ニクソン夫人が歌う「まるで予言のよう」と、江青が歌う「私は毛沢東の妻」は、聞き応えがある歌曲で、単独でも歌われます。

劇中劇「紅色娘子軍」のシーン


とくに、コロラトゥーラ・ソプラノによる「私は毛沢東の妻」は、このオペラで最高潮に盛り上げる箇所で、最も有名な曲だと思います。

以下のような歌詞。「マオ夫人のアリア」とも言われるこの曲は、さながら現代の「夜の女王のアリア」みたいな曲です。

(大意)

私は毛沢東の妻。
彼は弱者と強者をひっくり返した。
私の言葉に人民はおののく。
彼の首飾りが私の首に重い。
私の言葉は毛沢東の言葉。
この毛沢東語録に載っている言葉だから。
この本に書いてある言葉だから。
この本に! この本に! この本に書いてある!

(I am the wife of Mao Tse-tung /Who raised the weak above the strong/When I appear the people hang/When I appear the people/They hang upon my words/And for his sake/Whose wreaths are heavy round my neck/I speak according to the book/The book/The book/The book/The book/The book/Book, book, book, the book・・・)


ステージでは、いわゆる「リトル・レッド・ブック(毛語録)」を掲げて「この本、この本、本、本(The book, The book, book, book・・)」と狂ったように歌う。

その狂気が上り詰めたところで、第2幕が幕となります。


聴き比べ


オペラ

キャサリーン・キム(2011)


スミ・ジョー(ヨー)(2012)


どちらも見事だし、歌の技術については素人だからよく分からないけれど、演出としてはスミ・ジョーの方がいいと思う。この曲を歌う人は怒りを帯びた「凶悪」な顔になっていくことが多いけど、本当はスミ・ジョーのように、できるだけ涼しい顔で歌う方が怖い。


演奏会

その他、若手のソプラノたちがこの曲で実力を競っています。

イ・へジョン(韓国)


ナターシャ・セレス(ブラジル)


エヴァ・コング(韓国)


キャンセルカルチャーの主題歌?


他にもたくさん見つかるけど、この辺でいいでしょう。

この曲をたくさん聴いているうちに、「キャンセルカルチャーの主題歌」のように聴こえてきました。

イデオロギーで人々の言動を弾圧する。そういうことを歌っている曲です。

もともと「ポリコレ(政治的正しさ)」は毛沢東の言葉だと言われますしね。

レナード・バーンスタインのオペレッタ「キャンディード」に赤狩りを風刺した曲(「I am easily assimilated(私はすぐ順応する)」「auto-da-fé(異端審問)」)があるけれど、抑圧するのは右翼だけでなく、左翼の「白狩り」だってある。

右翼の全体主義も、左翼の全体主義も、どちらもごめんです。

最近の西側では左翼(woke)の暴走が目立つから、ますますこの曲の風刺力が輝いている気がするのです。


日本人と、習近平夫人に歌ってほしい


あと、YouTubeで検索してすぐ気づくのは、プロ・アマ含めて韓国人が歌っている動画が多いことと、日本人の動画が見当たらないことですね。

この「江青」の役は、キャサリーン・キムのようなアジア系西欧人か、スミ・ジョーのような韓国人、あるいは日本人とかの東洋人が演じるのが自然ですよね。

だから、韓国人のソプラノが、歌いたがるのだと思う。アジア人にとって、狙い目の役なんですよ。かつての蝶々夫人のように。今後「中国のニクソン」がレパートリーとして定着する可能性を考えて、日本人も練習しておいたほうがいい。

本当は、中国人が歌うのがいちばんいいですね。

それで思い浮かぶのは、私の場合、彭麗媛(ほう れいえん、ポン・リーユアン)、習近平夫人です。

この伝説の名歌手は1962年生まれだから、1959年生まれのルネ・フレミングより若い。コロラトゥーラは難しいかもしれないけど、そこはジョン・アダムズに少し編曲してもらいます。


でも、彭麗媛は、夫の習近平が国家主席になり、中国のファーストレディになって以来、ほとんど人前で歌っていない。

これはたぶん、江青が反面教師になったからだと思う。女優だった江青が、ファーストレディとして出しゃばってひどいことになったから、自分はでしゃばらないようにしよう、と。

まあ、だからこそ、この役をやってほしいんですけどね。文革で傷ついた中国人の心を癒したのが彭麗媛の歌だと言われる。それなら、文革の悲劇を、芸術的な意味で乗り越えるために、このオペラを歌ってほしい。

そして、歌の途中で「私は習近平の妻」とか替え歌してくれれば、最高だと思う。これ、彭麗媛にしかできない。

そういうことをしてくれる、自由でシャレのわかる中国なら愛せるのだが。



<参考>


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