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「威厳」の必要 天皇制と「処理水」問題

井上VS小林再び


堀潤氏のツイート(ポスト)で知ったのだが、30日に、井上達夫氏と小林よしのり氏の対談(倉持麟太郎氏含めた鼎談)がYouTubeで公開されるという。


(以下敬称略)

井上と小林の対論は、4月にライブで見て、その感想をnoteに書いた。


その時のテーマはウクライナ戦争だった。

リベラルの井上と、保守の小林は、同世代で、友情が通っているように見えた。思想の違いを超えて、信頼しあっているようだ。

とくにウクライナ戦争では、どちらもウクライナ正戦派なので、ほぼ対立はなかったように思う。

もう少しバチバチやってほしい、とは思うが、二人ともパーソナリティが面白く、話に含蓄があるので、30日の鼎談も楽しみにしている。


天皇制の問題


井上と小林は『ザ・議論 リベラルVS保守究極対決』という対談本を出している。

その中で面白かったのは、やはり天皇制をめぐる議論だ。

今度の鼎談には「戦後日本の正体」というタイトルがついている。天皇制の問題にも斬り込むことを期待したい。


井上は天皇制廃止論者、小林は天皇主義者だから、この問題では妥協がない。

『ザ・議論』では、井上が、

「国家の象徴が必要ならば、たとえば「人権」のような理念でいいのであって、天皇制のようなのは必要ない」

と言えば、小林が、

「単なる理念で国家はまとまらない。やはり具体的人格が必要だ」

と反論する流れだったと思う。


私はここでは、小林の指摘が鋭いと思った。

ポール・トゥルニエというスイスの精神医学者(キリスト教系の精神医学をやっていた)がいたが、彼が、

「古代において、プラトンのような抽象的哲学に飽き足らない人々に、キリストの人格的教えが広まった」

というようなことを言っていた。


「国家とは」

とプラトンのように概念を抽象的に語られても、人々には通じず、感化もされない。

それより、

「私は神様と通じているが、その神様が言うには・・」

とイエスが語ると、人は耳を傾け、感化される。

イエスはプラトンのように本を書かなかった。ただ、人格から語っただけだ。

人格を通じてではないと、具体像が結ばれず、人の心に訴えず、教えは広まらない。

実際、キリスト教の普及の実績を見れば、トゥルニエの言は説得力がある。

同じようなことを小林は指摘して、天皇制を擁護しているのだと思う。


「人材」の問題


しかし、小林の議論の弱点は、まさに人格が具体的であるところにある。井上が指摘しているように、天皇がどのような人格を備えるか、わかったものではない。

「日本書紀」にすら、妊婦の腹を裂いたなどの残虐行為が記録され、「いいことは一つもしなかった」と記された武烈天皇(25代)なんかの例がある。

幸い、上皇と上皇后陛下は、意識して戦後の価値観を体現されたと思うし、現天皇陛下にも私は親しみを持っている。

とはいっても、今後はわからない。人気がある王もいれば、不人気な王もいる。これは、世界の王室に共通する不安要素だろう。


それでなくても、日本の皇室は、ご承知のとおりの「人材確保」問題を抱えている。

「愛子天皇論」を唱える小林だが、最近はこんな弱音を吐いていた。


文芸春秋の「佳子さまからの警告」を読んで、わしは気力が萎えた。
もう「女性宮家創設」なんて言えない。
「旧宮家(国民)の皇位簒奪革命」は絶対無理だが、皇室そのものが断崖絶壁に来ている。人権がなさすぎて、気の毒すぎる。
『愛子天皇論』を描く気力も萎えた。


「威厳」の不足


日本の天皇制には別の問題もある。

立憲君主国の元首には、国家の権威と独立を象徴してほしい。

バジョットのいう、「威厳的部分」だ。

しかし、日本の天皇は「戦争に負けた王」だ。

戦争に負けて、生殺与奪の権を戦勝国に握られた過去は消せない。

その点、厳密にはともかく、「戦争に負けていない」イギリス王室やタイ王室と同じではない。(とはいえ、その両国でも王室批判は増えている)


人権や民主主義のような戦後的価値を象徴するにはいいが、通史的な国家の対外的な威厳と独立を象徴するには弱いのではないか。

天皇が靖国神社に参拝しない(できない)のはその表れだろう。

そして、仮に天皇が参拝したとしても、過去が変えられるわけではない。

これは、右翼が言うように「天皇元首化」を明確にしたとしても、解決できないように思う。


私は、なんとなくだけど、今の天皇陛下は、「威厳的部分」をある程度回復させなければならないと思っている気がする。

いつまでも「敗北を抱きしめ」た、「敗戦国」の、悔恨共同体の象徴であっていいはずはない。

将来の世代のことを考えたら、なおさらそうだ。「威厳」の必要は、日本の若い世代も、なんとなく感じていると思う。

周辺国に対して、また、アメリカ等に対しても、日本の独立と威厳をより示す必要があると感じていると思う。

ただ、どうすればいいのか、まだわかっていないだろう。

憲法改正がその筋道になるのか、ならないのか。私にもわからない。


「放出」支持の意味


その「威厳」が必要だという世論は、今回の原発「処理水」放出に対して、中韓の主張を代弁するような左派メディアの大報道にもかかわらず、支持率が高いことにも表れているのではないか。


説明が十分かどうかといった問題とは別に、国家としての決定に独立性と「威厳」を持たせるべきだという国民の意思が働いている気がする。

そしてそれは、ほかのところで、日本の「威厳的部分」があまりにも発揮されていないことへの、不満の表れでもあるのではなかろうか。


これからの日本の政治は、そうした国民意識をどう取り込んでいくか、で動いていく気がする。

しかし、いわゆる戦後体制に逆らうこうした主題を、主流メディアはほとんど取り上げない。

とくに左派メディアは、「敗戦国」の戦後体制が永遠に続くことが自分たちの利益になると思い込んでいる。

その中で、井上や小林には、天皇制にせよ戦後問題にせよ、思想的指針となる勇気あるメッセージを期待したい。


<参考>







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