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体調の変化、DV男の家族

私たちはハネムーンとお互いの両親への挨拶も兼ねていた。

お互い出身国が違うため、ハネムーンと合わせて3カ国を旅した。

とても暑い夏だった。


私たちは乾燥した国に住んでいたため、2年ぶりに日本に帰った時は暑くて一気に食欲を失くした。

私の両親は彼を大歓迎し、私たちは一緒に観光に行ったり夕食に出かけたり、短い滞在だったが彼らの時間が許す限り一緒に過ごした。

彼はこの時はまだ日本語が話せなかったのだが、来日前に覚えた日本語を一所懸命話している彼をみて、私はとても幸せだったのを覚えている。

ただ、私は体調がとてつもなく悪かった。
食事はほとんどできなかった。

それでも次は彼の国に行く予定があったため、私たちは予定通り飛行機に乗った。

彼の国に到着後、さらに私の体調は悪化し歩くことすら困難になった。

暑さのせいではなかったのだ。


彼の家族や親戚、彼の親族は海外に住んでいる人が何人もいたのだが、この日のために帰国してくれていた。

そして私のことを歓迎し、毎晩パーティのように盛り上がった。
彼の親族は皆とても温かく、わざわざ高級お寿司レストランを予約してくれて、大好きなお寿司や刺身をたくさん食べた。

彼らは多分好きじゃなかっただろう。。


後に別の記事で書こうと思うが、
彼と彼の両親は私たちが今回結婚の報告のために来るまで、絶縁していた。

そのため彼にとっての唯一の親族と呼べるのは、彼の叔父さんだった。
彼は後にも先にもその叔父さんだけを信頼していた。

そして、私はついに彼に会ったのだ。

叔父さんと言っても、彼の親の一番下の兄弟にあたるのだが、年齢は彼と5歳しか変わらなかったため、兄のよな存在だったのだと思う。

そして私にとってもその叔父さんが後にも先にも信頼できる人物となる。

叔父さんは本当に素晴らしい人だった。
今でも時々連絡をとっているが、彼もまたトリリンガルで英語を話したため、私たちはすぐに仲良くなった。

この叔父さんのこともまた別の記事で書こうと思う。

彼らの家族にとっても、私と彼の関係にとっても、この叔父さんが一番かわいそうな人だった。
この叔父さんがいたから、彼は両親と絶縁しながらもまだ親族は繋がっていたと言える。



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