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2023年11月の記事一覧
権力者よ、権力を満喫せよ
Mさんが面白いデータを引っ張って、面白い記事を書いていた。
そこで引用されているのがこれ。
一見、権威主義的に思える日本人がアンケート上では他国と比べて圧倒的に「権力・権威嫌い」と結果が出ているらしい。
では、道を歩けばプラカードを掲げたアナキストがそこら中に溢れかえっているのかと言えば、そんなことはない(むしろ、そういう人は白い目で見られることになる)。つまり、明らかに何かがおかしい。
じゃあお前Googleがうんこ食えって言ったらうんこ食うのか?
なんでも二項対立にするのは良くないと僕たちは口すっぱく教わってきた。しかし、言語とはそもそも「それか、それ以外か」という二項対立を生み出す性質を持っているわけで、言語を使ってコミュニケーションする僕たちはグラデーションを上手く表現するインスタントな手法を編み出せないまま2024年を迎えようとしている。
利己と利他。労働と余暇。快楽と苦痛。孤独と共存。
なにごともほどほどが一番であるし、人はほど
権力論 ー なぜ改善する人は煙たがれるのか?
職場の生産性を向上するために問題点を指摘し、なんらかの改善案を提示する。こういう人が嫌われることはよくある。
が、よくよく考えると不思議な話である。「あなたは生産性の向上を望みますか?」と質問して「望みません」と答える人はほとんどいないはずだ。誰しも口先では生産性向上を望んでいる。
問題点を指摘し改善案を提示することは、明らかに生産性向上に資する行為だ。仮にその意見が的外れだったとしても、単に
ホモ・ネーモへの独占インタビュー:哲学者でありアーティスト。2023年、世界の音楽界を揺るがせた男。
アンチワーク哲学者を名乗り精力的な執筆活動を続け、多くのフォロワーを獲得しているホモ・ネーモが、『World without Work』を引っ提げて2023年音楽界に彗星のごとく現れた。いや、それは彗星というより、音楽界という生態系を破壊し尽くす隕石のようなものだろう。しかし、破壊の後に創造がある。ホモ・ネーモが新たに思い描く音楽界、いや世界とは一体どのようなものなのだろうか? 『夜明けの歌』のリ
もっとみる仕事とはなにかを考える(『Teardown』をダシにしながら)
目下、このゲームにハマっている。
「地面以外の全てを破壊して強盗するゲーム」などというセールストークに踊らされた僕は、脳筋破壊プレイでストレス発散できるという期待に胸を膨らませながらこのゲームをダウンロードした。だが、プレイ開始後、1時間ほどで痛感させられることになる。
壊せばいいってものではない。
まず破壊に必要なリソースはそこまで豊富ではない。初期装備のハンマーでは木材やガラス、漆喰くら
言葉の自動機械は存在するか?
他人がボットのように見える気持ちは理解できる。
自分の頭で自由に思考していると思い込みながら実際のところは刷り込まれた観念を真実であると信じ込み、世間に流布するクリシェを繰り返すだけの人を見れば「こいつは言葉の自動機械だなぁ」と感じるのが一般的な感覚だろう。
しかし、本当に自動機械なのだろうかと言えば、もちろんそんなわけがない。彼だって多かれ少なかれ選択肢を持って意思決定をしながら生きていてい
音楽の楽しみ方を緑黄色社会から考える
人間は思春期に聞いていた音楽を永遠に擦り続けるという法則に抗って、最近は緑黄色社会にハマっている。
とは言え、緑黄色社会のことはこれまで全く知らなかったわけでもない。何度もテレビで見かけていた。しかし、その度に「ボーカル美人のくせになんでバンドなんかやってんねんやろ?」とか「お飾りの歌うま美人さんと、音楽マニアの男たちという男女混合にありがちな構成ね」とか「なんか毒にも薬にもならんバンドやなー」
最近なにをやってもあかんわ
最近はいろんなことをやっている。例えば、アンチワーク哲学のテーマソング制作である。
一回ほぼ完成まで行った。しかし、白紙に戻して、もう一度作り直している。大まかな構成はできてきたのだが、細部がどうしても決まらない。ギターとオモチャのピアノと作曲アプリとメモアプリを行き来しながらあれこれやっては、何も進まず、放り投げる。
「noteでも書くか」と書きかけになっている生命に関する考察を深めていくも
自分で痛い目を見ていない禁止は、どこかで限界がくる
最近、息子がマリオカートにハマっている。マリオカートにハマりすぎて幼稚園に行きたがらず、飯も食いたがらない。いま、息子にとっての理想の生活はお菓子だけ食ってマリオカートしていることなのだろう。
見かねた妻は息子に対して声を荒げ、叱りつける。
一方で僕は横から控えめに「せやな」と援護射撃を行うだけ。それには理由がある。
僕は1日10時間以上ゲームをするようなこともあるし、朝に腹が減ったらお菓子
いつもと違う記事を書いてみよう
僕はアンチワーク哲学者を名乗り、「アンチワーク哲学」などという思想強めなコンテンツを日々発信しているわけだが、不定期で、ほのぼの日常noteも投稿する。
例えばこの前のテーマは柿である。
日々、「労働なき世界」などという大仰なテーマを語っている人間とは思えない、拍子抜けするほどのスケールの小ささだ。
あるいは、スク水というテーマで1万文字以上書いたこともある。
映画やゲームの感想も書く。
大きな声では言えないが、毎日更新やってます
気恥ずかしいのであまり宣言したくはないのだけれど、実をいうとここ数日は毎日更新しようと決めて、実際に毎日更新している。
これと言って理由はないのだけれど、強いて言えばnoteでフォローし合っている方々が毎日更新を宣言し始めたことがきっかけだ。
「あ、じゃあ僕もやってみようかな」というラフな感覚だったので、わざわざ宣言することは避けていた。ところが、やってみると意外となんとかなりそうだったので、
モンゴル式食べ放題の立ち飲み屋をやりたい
「モンゴル料理食べ放題」との謳い文句に惹かれて友達3人でモンゴル料理店に行ったことがある。
オフィスビルの地下にある薄暗い店内には、モンゴル料理が所狭しと並べられている様子はなく「あ、ビュッフェ形式ではなく、オーダーバイキング形式ね」と僕たちは察する。
オーダーバイキングならば、それ用のメニュー表があるはず。しかし、おそらく店長と思しきカタコトの日本語を話す中年男性(のちに判明するが内モンゴル